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#ハッピーエンド
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翌朝。
巨大な湖は、昇りきった太陽を受けて鏡のようにきらきらと光っていた。穏やかな波が岸へ寄せては返し、そのたび光の粒が弾ける。どこかで水鳥が鳴き、涼しい風が草を撫でた。
湖畔の少し開けた場所に、四人と一人の影が並ぶ。
「今日から、あなた達を鍛えるわ」
エリーは湖を背にして腕を組み、まっすぐ彼らを見据えた。朝日が青い髪を拾い、輪郭だけがきりりと浮き上がる。
「ミラは?」
ダリウスが、不思議そうに尋ねた。
その問いに、エリーはほんの一瞬だけ目を伏せる。まつ毛が落ち、すぐに持ち上がる。顔を上げたときにはいつもの無愛想に戻っていたが、瞳の奥で光が一度だけ揺れた。
「必要ないわ」
ピシャリとした口調で言い切る。
「あの子に、これ以上頼らないで」
言葉の端が、ほんのわずか擦れた。
「……そうだな」
ダリウスは返すまでに、少しだけ間を置いた。口元が硬くなり、視線が地面に落ちる。次の瞬間、真剣な眼差しでうなずいた。
「で、私たちは何を?」
エドガーが顎をさすりながら、様子をうかがうように問う。
「ここでは言えないわ」
エリーは腕を組み直し、順番に三人の顔をなぞるように見渡した。
「それぞれ別に鍛える。個別に課題を渡すから」
「ちょっと待て」
オットーが苛立ったように口を挟む。腕を組んだまま、指先で肘をトントン叩き続けている。音が一定の間隔で続いた。
「お互いの新しい技や成長したとこが見えねぇと、連携が崩れるだろうが」
エリーはその指先のリズムごと、視線で止めた。
「それも狙いよ」
鋭い眼差しを真っ向からぶつける。
「他の仲間が何をするのかわからない状態で戦う。その中でも、状況を見て柔軟に連携できるようになってもらう」
そこで一拍置き、全員を見渡す。湖面のきらめきが、彼女の瞳の端で揺れた。
「私はね、一旦あなた達の“型”を壊した方がいいと思ってるの」
「ちょっと待てっての」
オットーは苛立ちを隠さず眉をひそめた。唇が横に引かれ、顎の筋が浮く。
「わざわざ今ある連携を、完全に捨てることはねぇだろ。ここまでそれで生きてきたんだ」
「……ダリウスは、どう思いますか?」
エドガーがゆっくりと問いを投げる。
ダリウスはすぐには答えなかった。目を閉じ、息をひとつ吐く。肩口の古い傷に指が触れて止まり、そこから手を離す。短い沈黙が伸びた。
やがて、静かに目を開いた。
「…………一度、崩そう」
言葉を選ぶように、ゆっくりと。
「俺たちの連携を」
「……ちっ」
オットーは舌打ちし、視線をそらす。足元の小石を靴先で蹴り、波の音に混ぜる。
「ダリウスが言うならしょうがねぇか……。わかったよ」
「話が早くて助かるわ」
エリーは小さく頷き、懐から数枚の紙片を取り出した。
紙には、それぞれ違う場所を示す簡単な地図と時刻。インクは薄いのに、線だけは迷いなく引かれている。
「これが待ち合わせ場所。全員バラバラ」
一枚ずつ配り終えると、紙を持つ手を軽く叩いた。
「じゃあ、私が指定した場所で待機していて頂戴。そこで“課題”を渡すわ」
湖からの風が、外套と青髪を同時に揺らした。四人が覗き込む紙片は、まったく違う方向を指している。
しばらく顔を見合わせ——誰からともなく、足が動いた。互いに短く頷き合い、ばらばらの方角へと歩き出す。
共に戦うために、一度、離れる。
*
巨大湖の北側は、さっきまでの喧噪が途切れていた。
水上の街から伸びる桟橋が尽きた先。崖の割れ目みたいに口を開けた洞窟がある。そこから冷たい空気が、ゆっくりと外へ流れ出していた。
ダリウスは入口の前に立つ。足元で、ぽちゃん、と水滴が落ちた。奥は何も見えない。光が吸い込まれ、境目だけが黒く残る。
「あなた、《深き森》に入れるのよね?」
静寂を破ったのはエリーの声だった。
彼女はダリウスの正面に立ち、青い瞳でじっと覗き込んでくる。ダリウスは頬をぽり、とかき、少し首を傾げた。
「深き森……? 超集中のことか?」
エリーは盛大なため息をついた。
「……は? 知らないでやってたの?」
「ああ」
ダリウスはあっけらかんと答える。
「ここで死にかけた時に、できるようになった。それからは、なんとなく使ってる」
エリーは視線を洞窟の奥へ流し、それからまたダリウスに戻す。顎に指を当て、確認するように言葉を置いた。
「塔に入ってから?」
「そうだな」
「成功確率は?」
「ほぼ百パーセントだ」
事務的に告げるダリウスの声に、エリーの指先がぴくりと止まる。目尻がわずかに細くなり、口元だけが苦くなる。
(天賦の才ね……。なぜその才能を、そこで止めておくのよ)
息を吸って、吐く。表情の裏側へ押し込める仕草みたいに、肩が一度だけ上下した。
「……あなた、今まで本当に“長所”を伸ばさなかったのは罪よ」
その声音には、先ほどよりも冷たさが混じっていた。
「昔、何があったかは知らないし、知りたいとも思わない」
ダリウスの目がわずかに揺れる。唇が一度だけ結ばれ、すぐにほどけた。
「ただ——あなたの歪んだ慎重さ、卑屈な臆病さ、間違った成功体験が、この先の階層では“仲間を殺す”わ」
言葉が落ちる。空気が薄くなったように、ダリウスは喉を鳴らした。
何かを言い返そうとして唇を開く。だが、声にはならない。胸の奥で、反論と戸惑いが絡まってほどけない。
(……確かに、オットーの呪い、阿修羅。あれ以来、俺は慎重になった。でも……それが、悪いのか?)
眉間にしわが寄り、すぐにほどける。視線が洞窟の闇に吸い寄せられ、戻ってくる。
エリーは一度だけ目を閉じ、感情を整えてから続けた。
「……深き森には“深度”がある。それは、なんとなくわかるわね?」
「ああ。だんだん深く入れるようになってきてると思う」
ダリウスは真剣にうなずく。
洞窟の奥から、ぽちゃん、と水滴が落ちる。音のあとに続く沈黙が長い。
「でも、あなた——まだ“意識”があるでしょう?」
「当たり前だろう?」
ダリウスは眉をひそめる。
「意識がなければ、動けない」
「違うわ」
エリーは静かに首を振る。
「身体も意識も、そもそも“無い”の」
「……は?」
意味がわからない、という顔をするダリウスを無視して、エリーは淡々と続ける。
「無いのよ。そこまで達すれば、最低でも十分は《深き森》を継続できる」
ダリウスの喉が、ごくりと鳴った。
「十分……どうすればいい?」
問いは短い。だが、言い終えたあと、指が無意識に握られた。
エリーは振り返り、洞窟の奥——光の届かない闇を指し示した。
「洞窟の奥の暗闇で、“座ってるだけ”でいい」
「は?」
「ご飯以外の時間は、そこに座るだけ」
当たり前のことを言うように、さらりと言い切る。
「以上よ。——じゃ、頑張って」
青い髪が、振り向きざまにふわりと揺れた。エリーはそれ以上何も言わず、スタスタと洞窟を背に歩き出す。
足音が遠ざかり、やがて湖のざわめきと水滴の音だけになる。
ダリウスは大きく息を吐き、肩を落とした。吐息が白くはならないのに、胸の内側だけが冷たい。
「……まあ」
口の端がわずかに動く。
「とりあえず、やってみるか」
そう呟き、暗闇の中へ一歩踏み入れた。洞窟の空気が、肌の露出した部分を撫でる。光が背中で途切れ、前だけが黒い。足裏が石を探り、彼はさらにもう一歩進んだ。