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僕が十二回目の誕生日を迎えた日、鬼の子供が父上の屋敷で暮らす事になった。父上や僕が生活している本邸ではなく、彼は敷地内の奥にある離れに住むそうだ。少し離れていて不便ではあるが、彼は鬼の子である為、あまり他者の目に付くことの無い様にとの配慮だった。
神々の国に鬼が居る。
それだけで不快に思う神も少なくはない。神格の高い父上の保護下にあるので安全ではあるだろうが、念の為にとの事だ。
「それにしても、紅焔は寝てばっかりだなぁ……」
離れの一室に敷かれた布団の中で紅焔が規則正しく寝息をたてて眠っている。起きる気配はまるで無い。此処へ来てもう一週間程度は経ったのに、起きている時間の方が少ないくらいだ。心配になり父上に理由を訊いたのだが『多分、此処の清浄な空気が合わないのと、栄養失調のせいじゃないかな』と言われた。
眠る事で、力を温存しているのか。
理由がわかってもスッキリはしない。紅焔と一緒に遊びたい気持ちは、そんなものじゃ満たされるはずが無かった。
「……花でも摘んで来ようかな。部屋に飾っておいてやれば、起きた時に喜んでくれるかもしれないし」
誰に言うでもなく呟き、紅焔の隣に寝そべりながら頬杖をついて顔を見ていた体を勢いよく起こす。
真横から見た顔も、上から見た姿も、やっぱり可愛く思える。大きな札が顔に貼ってあってきちんとは見えなが、きっとこの子は大きく育てばとびきりの美丈夫になるに違いない。今はボロボロの髪で肌艶も悪く、目の下が窪み、頬もこけて見栄えが悪いが……顔の構造自体は悪く無いので期待大だな。
「……ついでにお菓子ももらって来るか。魚を釣って、七輪を借りて、庭で焼いてもいいかもしれないや」
彼と一緒に何かをすると考えただけで胸が高鳴る。
(なんなんだろうか?この気持ちは)
不思議に思いながらも僕は、部屋からそっと出て、庭の方へと走って行った。
庭を抜け、森の中へ入って行く。此処まで来るともう父の管理下では無いが、僕だけならば害は無い。神々の国でわざわざ害なす行為をしようなどといった捻くれ者も居ないし、皆が庇護する地上とは違って、此処は平穏を絵に描いた様な世界だ。
「釣具はどこに放置していたんだったかなぁ」
キョロキョロとしながら川辺を歩き、前回放置していった釣具を探していると、大きな岩の上に一人の先客が居た。彼は僕の姿にすぐ気が付き、「よぉ、久しいなぁ」と声を掛けてきた。
「ケイジュ様!お久しぶりです」
長い長い黒髪を地面にまで垂らし、薄緑色をした浴衣を着たケイジュノミコトが僕の方へ振り返った。日差しが暑いのか浴衣は着崩していて胸元が露わになっていて筋肉質な肉体がバッチリ見える。同性だろうが『こういうのを大人の色香と言うのだろうな』と思うくらい、漢くさい色気が立ち上っている。
切長な瞳を優しく細め、ケイジュノミコトに「隣に座ったらどうだ?」と言われたが、僕は反射的に顔を横に振ってしまった。
「龍神様の隣だなんて、滅相も無いですよ」
「おいおい、ちょっと会わないうちに随分と他人行儀になったなぁ。オレはお前の名付け親だぞ?仲良くやろうや」
ケイジュノミコトがにっと笑い、長い髪を操って強制的に僕の体を拘束し、持ち上げて隣に座らせられた。
こうやって二人きりで会ったのは何年ぶりだろうか?
久しぶり過ぎてやけに緊張してしまう。前はもっともっと自分が子供だったから、父上とも並ぶ神格のお方だと聞かされてもよくわからなかった。だが、自分の尻尾が三本にまで増えてくると、隣に座るだけで彼の神格をイヤでも思い知らされてしまう。この間会った『鬼母神』とかいう鬼も相当怖かったが紅焔可愛さで十分耐えられたけど、今はそれすら無いで緊張は解けなかった。
「お前も釣りに来たのか?」
「は、はい」
「……鬼の子を、引き取ったそうだな」
急に紅焔の話をされ、ビクッと体が跳ねた。
「そう警戒するな。鬼の子を取って喰おうって話じゃない。喰うならば断然お前がいいからな」
くしゃくしゃと頭を撫でながらそう言われたが——
(ぼ、僕は食われるのか⁉︎)
ケイジュノミコトの真意が読めず、汗だくになりながら動揺していると、嬉しそうに笑いながら、彼はまた僕の頭をガシガシと撫でてきた。気易い感じが嬉しく、ちょっとずつ緊張が解れてくる。彼の言う様に、『名付け親』として、もうちょっと甘えてもいいのだろうか?
「……『紅焔』という鬼の子を、『鬼母神』から引き取りました。事情は……父から聞きましたか?」
「まぁ、直接ではないがな。噂程度には聞いている」
「可愛い子ですよ、現状のままならば脅威は無いです。まだ力弱く儚げで、開花前の蕾の様な……そんな子ですよ」
「ほお?おいおい妬けるなぁ、オレ以外をそこまで褒めるとは」
そう言って、軽く肘打ちしてくる。 まさか『いずれ嫁に来い』と昔言われた戯言は本気だったのだろうか?と一瞬思ったが、すぐに『——んなワケあるか』と打ち消した。人間との合いの子である僕なんか、本気で愛してくれるのは父くらいなものだから。
「まさか、好意を持っているのか?ソイツに」
「——は⁉︎へ⁉︎な、な、なななななっ、何でそんな事訊くんですかっ」
激しく動揺し、声が裏返る。そんな僕を見て、ケイジュノミコトが腹を抱えて笑い出した。
「おいおい、顔が真っ赤だぞ?お子様同士のくせに随分といい反応をするじゃないか」
長寿の龍神様から見れば確かに僕は子供どころか赤子も同然だろうが、そこまで笑う事では無いはずだ。
(だけど……僕が紅焔に好意?『好意』って、えっと、『好き』って事、だよな?会ったばかりだぞ?確かにあの子は可愛いし、細っこくて小さくって今にも壊れてしまいそうな硝子細工みたいで綺麗だけど、好きだなんて、そんな馬鹿な——)
「あー……本気かよ。腹立たしいな」
真っ赤な頬を冷やそうと、両手で顔を覆った僕を見て、ケイジュノミコトがボソッと呟いた。
「あ、いや、まさか!そんな事は無いよ。無い……です、よ?」
「……そう、だな。まぁ今なんてどうせ子供同士の遊戯みたいなものだろうからな、何事も……経験か?」
腕を組み、首を傾げて「んー」とケイジュノミコトが悩んでいる。だがしかし、眉間にはシワが入っていて、何だかとっても機嫌が悪そうだ。
「えっと……ケイジュ様、どう、されました?」
不思議に思いながら顔を覗き見ると、「ん?あぁ、気にするな」と言い、また髪をくしゃりと撫でてきた。父に似た白い狐耳ごと撫でられてかなりくすぐったい。
「大人になったらお前にはオレの嫁に来てもらうが、それまでは好きにするがいい」
ほ、本気だったのか!と思ったが、『嫌だ』とも『無理だ』とも言いづらい。そのせいで黙ったまま目を見開いていると「照れるな照れるな、そんなに嬉しいか」と勘違いされてしまった。かといって『違う』と訂正するのも龍神相手だと何だか怖い。僕と比べて、彼はあまりに格上過ぎる。
「そうだ、今日は土産を持って来たんだ」
出来るだけ表面に感情を出さないまま内心だけでオロオロとしていたら、ケイジュノミコトが僕の目の前に蓋付きの竹材で造った籠を差し出してきた。
「お土産ですか?わぁ、ありがとうございます!」
「喜んでもらえるのは嬉しいが、まずは中身を見てからだな」
「そうですね、じゃあ遠慮なく」
受け取って、中身を確認する。するとそこには硝子の小瓶に入った金色の液体があった。
「……蜂蜜、ですか?」
「そうだ。珍しいだろう?それだけの量を集めるのは大変だそうだが、運良く分けてもらえてなぁ。オレは甘い物をそんなには食わんし、竜斗なら喜ぶだろうと思って持って来たんだ」
「嬉しいです。こんな貴重な物、ありがとうございます」
礼に対して、ケイジュノミコトがニコッと笑顔を返してくれる。たったそれだけなのにやっぱり色気があって、大人はずるいなと思った。
「此処には釣りに来たんだろう?なら一緒に釣りでもするか」
「いいんですか?付き合ってもらって」
「当たり前だろう?本当はもっと時間をつくって会いに来たい所なんだが、これでいて案外忙しくてなぁ」
「無理はせずに。名付け親として気に掛けて頂けているだけで畏れ多いくらいなのですし」
「はっはっは。そう堅苦しくなるな、今からそれでは今後先心臓が保たんぞ?」
そうは言われても、龍神様相手になかなかそう気安くなんか出来やしない。でもそれをお望みなら、努力はせねば。
「そういや、この釣具はお前のだよな?」と釣竿を差し出されたので、礼を言いながらそれを受け取る。どうりで探しても無いワケだ、ケイジュノミコトが既に回収済みだったのだから。
「勝負といくか?」
「え!龍神様に、釣りで勝てる訳が無いじゃないですか」
「まぁまぁ、その辺は気にするな」
気軽に接してくれるおかげで釣りを始めてからは割と普通に話す事ができ、結局僕らは夕刻近くまで二人で釣りを楽しんだのだった。
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