第3話:市場の騒動
昼下がりの市場。
屋台が並び、魚の匂いと香辛料の香りが混じり合う。商人の声が飛び交い、人々で溢れていた。
その人波の中を、カイ=ヴェルノは歩いていた。
華奢な肩に布袋を下げ、整えられた黒髪は汗に濡れて少し額に張りついている。灰色の瞳は真っ直ぐに値札を見つめ、果物をひとつ手に取った。
「これをください」
短く告げ、きちんと代金を差し出す。商人は受け取りながらも、どこかぎこちない表情を見せた。
ヴェルノは小さく頭を下げ、布袋に果物を入れて歩き出す。
その背に、突然大きな声が響いた。
「おい!今、盗ったんじゃないか?」
振り返ると、そこにはヒカル=セリオンが立っていた。
水色の髪を風に揺らし、鮮やかなマントを翻す。鍛えられた体を誇示するように胸を張り、周囲の視線を集めていた。
「ち、違う!あの人は代金を――」商人が言いかける。
しかしセリオンはその声を遮るように言い放った。
「ヴィランの血を引く者が金を払うだなんて、信じられるか?」
群衆のざわめきが一斉に広がる。
「やっぱりそうか」「盗みが本性なんだ」「セリオンが気づかなければ危なかった」
ヴェルノは言葉を失った。
灰色の瞳が揺れ、袋を抱きしめる手が震える。
確かに払った。だが誰も信じない。
セリオンは群衆に向け、勝ち誇った笑みを浮かべた。
「俺が見張っておく。市民を守るのがヒーローだからな」
その言葉にまた歓声が湧き、拍手が起こる。
ヴェルノは沈黙したまま視線を落とす。
手袋に覆われた指先が、母の言葉を思い出すかのように強く袋を握った。
――「血がどうであっても、人の手をとることを忘れないで」
だが群衆の中に、ひとりだけ目を細めて様子を見ている男がいた。
灰混じりの髪に日焼けした肌、地味な作業着の上着。
グレン=タチバナ。
彼の視線はヴェルノの行動を黙って追い、その手に確かに代金が渡されていたことを見逃さなかった。
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