テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
美冬が甘めでさっぱりした口当たりのものがいいと言ったら、甘めでさっぱりしているワインを選んでくれて、それが美味しくて飲みすぎてしまった。
槙野がそっとクマを外した時、お風呂から上がってきたんだなということは美冬はなんとなく分かった。
だから抱き上げてくれた槙野にきゅうっと抱きついたのだ。
一緒にいればいるほど好きになってしまうし、美冬を大事にしてくれていると感じる。
この人でよかったんだ……。
そっとベッドに降ろされた時半分意識はなかったけれど、そういうことがあるならあってもいいと思ったのだ。
なのに、耳元に聞こえた低い声は……
「俺に甘えるな……美冬」
そんな声で。
どういうこと? どういうことなの?
美冬は聞きたかったけれど、眠気に逆らえずに眠りに落ちてしまったのだ。
そんな中、美冬はエス・ケイ・アールとの業務提携について検討を始めていた。
正式に書面を交わし、お互いのプロジェクトの責任者とのミーティングをすることになっている。
他にも槙野と一緒に出なくてはいけないレセプションパーティの衣装や、結婚式のこと。
考えなくてはいけないことは山積みだった。
「ただいま」
「お帰りなさい」
モフっとしたパーカーとショートパンツにソックスが美冬のルームウェアだ。
それに今日は家でも作業していたので、ブルーライトカット眼鏡をしている。
玄関にそんな美冬が出迎えてくれたのだ。
「祐輔? どうしたの? 疲れた?」
「いや……」
──可愛すぎかよ……。
リビングに足を踏み入れた槙野は苦笑する。資料が散らばって、あちこちに付箋の貼ったメモが置いてある。
「見てやろうか?」
そう言って槙野はジャケットを脱ぐ。
「いいの? だって帰ってきたばかりじゃない」
ペタンとラグに座る美冬が果てしなく可愛い。それに仕事に一生懸命なところも。
(眼鏡とか、すっげー可愛い)
早く二人きりでイチャイチャするには仕事を終わらせるしかないのだ。
「ほら、何に悩んでんだ?」
ソファに座って散らばっている書類の付箋を確認する。
「あ、えっとね……」
膝に置かれた手や、肩越しに見えるすんなりした足とか、無防備な素顔が槙野の目に入った。
「美冬……」
名前を呼んで、ぎゅっと抱きしめたら、肩を押された。
美冬の目が泳いでいる。
「見てくれるんじゃないの?」
確かにそう言ったけれど。
「見ないなら、シャワーとか浴びてきたら……」
どうしたのだろうか?
抱きしめたら拒否されるように肩を押されたのだ。
シャワーってもしかして、汗臭いとか!?
いや、今日は汗をかくようなことはしていない。
──もしかして……加齢しゅ……いや、そんな訳は……そんな訳はない……ハズ……。
しかし自分では分からないと言うし、槙野はそれなりに気を配っていて朝晩のシャワーは欠かさず、きちんとパフュームも使用している。
いい匂いとか官能的な匂いと言われたことはあるが、加齢臭はまだ大丈夫なはずだ。
槙野がぐるぐるしていると、美冬はハッとしたような表情になった。
「ごめん! 仕事から帰ってきたところなのに。やっぱりいいわ」
「そんなことは気にしなくていい」
美冬と仕事の話をすることは別に嫌いではない。
槙野が書類を手にしようとしたら、美冬は書類を片付け始める。
「ごめん。本当にいいの。会社でやるわ」
慌てた様子で書類を全部片付けてしまって、槙野の手の行先はなくなる。
もういい、なんて顔をしていないくせに急にこんなことを言い出して本当にどうしたのだろうか?
いつもなら素直に書類を渡して、わいわいと二人で言い合えるはずなのに。
「美冬、シャワー……とか浴びてきた方がいいか?」
「そうして!」
え? ホントに? 即答!?
槙野が肩を落としつつバスルームに向かったのだが、美冬は先日の言葉に頭を占領されていたのだ。
『甘えるな……美冬』
槙野は面倒見がいいから、美冬が甘えたら、きっとどこまでも見てくれようとしてしまう。
美冬の仕事の相談や、ドレスの相談なんてできるわけがない。
書類を片付けた美冬はソファでクマを抱いてしゅん、とする。
──私、なにやってるんだろう。
槙野に触れられてもいい、と思っているのに。
契約だったはずなのに。
頼りがいのある笑顔や、意外と面倒見の良いところとか、仕事がすっごくできるところとか、とてもとても惹かれていた。
そんな槙野に触れられるのも嫌じゃない。
ちょっと意地悪で容赦のない触れ方で、あの色気たっぷりな雰囲気で迫られるのは悪くはない……のに、押し退けてしまった。
違う、触れられてもいいんじゃない。
触れられたいんだ。
──私、祐輔に触れられたい。
それに気づいたらクマをぎゅううっと抱きしめてしまっていた。
そうして、ふう……とため息をつく。
「寝よ……」
バスルームで念入りに洗って寝室に入った槙野は足を止める。
ベッドの上ですやすやと寝ている美冬はあのいつものクマをぎゅっと抱きしめているのだ。
頼む、頼むから俺に抱きついてくれないか?
そして寝付きが良すぎる!
美冬の腕の中のクマに『お前なにしてんの?』と小馬鹿にされているような気がして、槙野は美冬に背中を向けて布団に潜り込んだ。
ベッドの中がほっこり温かいのさえ、切ない。
「はーっ……」
さすがに深いため息が出た。