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「さてと、ご飯ご飯」
手を繋いだまま陽が奏の一歩先を歩く。
「あ、あの……手を、流石にもう……」
周囲からの好奇が混じった視線がチクチクと刺さる気がして、陽の背を見上げながら奏が恐る恐る声をかけた。自分に甘えてくれるのはいいのだが、ちょっと長過ぎやしないだろうか?人前だし、大人同士だしと気がかりになることばかりなのだが、陽の方は全くそんな事を考えている雰囲気は無い。むしろ自慢気に歩いているような気さえする。
「手?あぁ、義兄さんの手は小さくって柔らかくって気持ちいいね」
振り返り、可愛い笑顔を奏に向けてくる。
この人は本当に二十七歳の青年なんだろうか?年齢を詐称しているのでは?と奏が思っていると、「何処でもいいかい?食事をする場所は」と陽に訊かれ、慌てて「はい」と答えた。
だがしかし、『はい』と言ったはいいが、それと同時に財布の中身が心配だった事を思い出す。昨日の集まりでは結局定期券のみで移動出来てしまったし、外での食事も、ちょっとした買い物すらもしなかった。ここ最近は飲み物を買う程度にしか財布を開いてはいなかったので、札が何枚残っているのかも思い出せない。
(立場的には社長秘書とはいえ、実質彼が社長みたいな立場の人が選ぶ店となると、ディナータイムではなくても高いのでは?でもこっちの方が年上なのだし、ここは出すべきですよね。途中で銀行に立ち寄ることは出来るだろうか?)
——などと、頭の中でぐるぐる考えてしまい、周囲を全く見る余裕が無くなっていく。
(困った!せめてカード払いが出来ますように!それすら財布に無いかもですけど!)
「さ、着いたよー。ここで食べようか」
「……え」
二人が着いた先が普通に社員食堂だった事で、奏はちょっと拍子抜けしてしまった。
「ごめんね?もっと違う場所の方が良かったかな」
ランチタイムはもう終了していた為、二人は通常メニューから選んだ料理をトレーに乗せて運んでいる。奏はオムライスのセット、陽は焼き魚定食を頼み、食事時では無い為ほとんど客のいない食堂内の窓側で横並びに席を取った。
「もっと時間があればよかったんだけど」
「社食の料理はどれも美味しいので、むしろ嬉しいです」
美味しいし早いし、何よりも安い。かなり安い!よくよく覗いてみたら財布の中身がとても乏しかったので、本当にここで助かった。食券を買う時に『遅れたお詫びに私が出しますね』と安心して言えて本当に良かった。
陽の方は陽の方で、ここで奢ってもらっておけば『この間の礼だ』と言って外に誘い出せると考え、素直に『じゃあ、次一緒に食事をする時は私に出させてね』と伝えてから奏にお金を出してもらったのだが、彼女はそこまで深く察してはいなかった。
「義理の兄弟になる私達が揃って同じ職場っていいね。こうやって、隙間時間で親睦を深める事が出来るんだから」
「そうかもしれませんね」
「私の妹が義兄さんの弟さんとお付き合いしているとは知らなかったから、結婚を考えている相手がいるという話を聞いた時は少し驚いたけど、椿原家の方と血縁関係になれるだなんて本当に嬉しいよ」
「こちらこそ、反対せずにいてくださりありがとうございます。ウチは由緒正しき家柄というわけでも無いので……相手の方が青鬼家となると、少し心配でしたから」
「邪魔なんてしないよ。だって私は、絶っ対に、義兄さんと家族になりたいし」
絶対の部分をヤケに強く言われて奏が反応に困った。妹の幸せを願っているからではなく、自分との関わりを求められた事に驚き、何と答えていいのか思い付かない。
「あ、ありがとう……ございます」
奏が無難に礼を言うと、陽は笑顔だけを彼女に返し、この会話を打ち切ったのだった。
「ところで義兄さんは、普段何をしているの?」
「仕事です」
キッパリと言い切り、それ以外に何かあるの?と言いたげな顔を奏が陽へと向ける。
「……そうじゃなくてね?終業後とか休みの日とかさ」
「あ、そうですよね。えっと、そうですね……」
必死に普段何をしているのかを考えるが、仕事をする自分の姿しか思い浮かばず、奏は言葉を詰まらせた。
「……仕事、ですね」
オムライスをすくった手が止まり、ぼそっと呟く。だがここで会話を切る訳にはいかないと思い、今度は奏が「青鬼さんは、お休みの日には何を?」と訊き返した。
「……一日中、寝てるね」
「そ、そうですか」
奏は仕事中毒だし、彼も彼で、社長業をほぼ全て代行している身では自由な時間などかなり少ないので、残念ながらこの話題はこれ以上膨らみそうにない。だがそれでもと、陽が必死に話を続ける。
「休みかぁ……温泉とか行きたいなぁ。しばらく行ってないから恋しいよ」
「いいですね、自分も一度は行ってみたいです」
うんうんと頷き、ちょっとの間の後で、やっと奏の言った言葉を脳内で処理しきった陽が「待って⁈義兄さん、温泉に行ったこと無いの?」と慌てて訊き返した。
「無いですね。旅行とかの類は一度も。両親共に地元出身なのでお盆での帰省とかもありませんでしたし。旅らしい旅は、学校の修学旅行くらいでしょうか」
(え、じゃあ……義兄さんの『初めて』を私がもらえるってことか!)
箸をトレーに置き、体を横に向けて、ちょっと興奮気味に陽が奏の細い肩をがしっと掴む。
「じゃあ私と一緒に行こうよ、温泉旅行!兄弟で一緒に温泉に入って、裸の付き合いを是非!深い親睦を、ね?」
「……一緒にとか、無理ですよ?混浴とか、確か最近はあまり無いんですよね?自分が青鬼さんと一緒に温泉に入ったら、捕まってしまいます」
コイツは何を言っているんだ?と思い、本心ではギョッとしつつも、乏しい表情筋のおかげで陽を不快にさせるような表情にはならずに済んだ。
「あーそうか、捕まるよねぇ」と答えつつ、彼の頭の中では、男性体をした全裸の奏に襲いかかるモブ男共を思い浮かべ、深く納得して陽が頷いた。
細くて小さくて可愛らしい義兄さんの全裸など男にとって性欲の対象にしかならないはず。今までよくまぁ無事に過ごせてきたものだと陽の妄想は膨らむ一方だ。
(……過ごせて、きたのか?)
勝手な妄想が更に膨み、陽の顔が一気に青冷める。そんな奴が自分以外に既にいたのだとしたら、殺しても気が済まないなという考えが胸の奥から湧き出し、負の感情がゆらりと陽から噴き出しそうになった時、そっと奏が彼の手に触れた事で陽は一気に明るい顔色に戻った。
「大丈夫、ですか?顔色が悪いですけど」
(柔い!気持ちいい!触ってもらえた!)
嬉し過ぎて、陽の脳内が語彙力不足になる。
「大丈夫だよ、義兄さん!」
つい本心の方が出てしまい、『あ、ねぇさんって呼ばないとダメなんだったよな』と思ったが、奏は聞き逃してはくれていなかった。
「えっと、何度も言っていますが、自分は『姉』ですよ?『兄』ではないです。確かめますか?」
「た、確かめる⁈ ま、まさか今から男子トイレとかで?」
顔を真っ赤に染め、口元を手で塞ぎ、陽の全身が打ち震える。脳内の妄想が捗り、もう彼の中では白衣しか纏わぬ奏が『ココ、触ってみますか?ほら』とトイレの個室内で陽に迫る姿でいっぱいになった。もちろん、男性体でだ。
「……鼻血モノだね、それ。賛成です。いいでしょう、時間はどうにか作りましょう」
「待って下さい。それも自分が捕まります。不審者情報に載りたくはないので勘弁して下さい」
何を陽が想像したのか全く予想出来ないが、きっと非常にマズイ内容に違い無いだろうと察することの出来た奏は必死に拒否した。
「身分証をお見せしますから、それで納得してもらえますか?」
「でも、性別の書かれた身分証って、パスポートとかマイナンバーカードとか?」
温泉旅行だけでなく、海外旅行の経験も皆無な奏はパスポートの必要性が今まで無かったので作ったことがない。マイナンバーカードも手続きを先延ばしにしていたので、まだ未作成のままだし、そもそも性別の欄があるのかもわからない。
「あ、すみません。自分どっちも無いです」
どうしよう?じゃあ他に何かあっただろうか?と慌てる奏の横で、『でもそんなもんの性別欄なんか、どうにでもなるしなぁ。偽装とか。そう、偽装とか!』と、頑なに女性であると信じる気のない陽がいた。
「……あ、母子手帳、とか?」
「え、母子手帳?」
「あれだったらエコー写真もあるので、自分の性別もわかって頂けるかと!」
珍しく目を輝かせ、良い事思い付いた感を奏がプンプンとさせる。
「……わ、わかった。楽しみに、してるね?」
後日。
本当に母子手帳を奏に見せられ、『初めて見せてもらった写真が、胎児期のエコー写真かぁ』と陽は遠い目をしつつも、ちゃっかり記載内容を存分に堪能した。だがしかし、ど素人がエコー写真を解説抜きで見ても性別の判断など出来るはずが無く、手書きの性別欄も信じなかった陽は、結局奏を『オトコの娘』だと思い込んだままで終わったのだった。
「義兄さんの全裸を見せてくれたら、一発で信じるのに……」
「いや、出来るわけありませんよね?異性だからこその、拒否ですよ?」
強い思い込みにからくる陽の勘違いは、まだまだ解消出来そうにはなかった。
コメント
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うわあ、今回も面白かったです! 社員食堂っていうチョイス、奏さんの財布事情を考えると本当にナイス判断でしたね(笑)陽さんが「次は私が出す」って算段してるのも、なんか策士だなあと。 それにしても、母子手帳を出す奏さんと「オトコの娘」認定を手放さない陽さんのすれ違い具合が絶妙で、笑いながらも「いつ気付くんだろう…」とそわそわしてしまいます。裸の付き合い云々の流れも、もうこの二人にしか成立しない独特な空気感で大好きです。