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焚き火の煙。
焼いた肉の匂い。
酒場から漏れる笑い声。
ノッテンガムの街は、まるで巨大な祭りの坩堝だった。
王国全土へ向けて告知された――
王妃御前弓大会。
その知らせは、騎士だけでなく、商人、
旅芸人、吟遊詩人、農民にまで火のように広がっていた。
石畳の大通りには、人、人、人。
荷馬車が軋み、露店が並び、子供たちは木の枝を弓に見立てて遊んでいる。
「見たか!? 王国の騎士団も来るらしいぞ!」
「優勝者には王妃から褒賞が出るって話だ!」
「ジョン殿下も来られるとか!」
興奮した声が、あちこちで飛び交っていた。
広場では大道芸人が松明を回し、
吟遊詩人がリュートを鳴らして歌う。
酒場の前では酔っ払い同士が肩を組み、
市場では行商人が怒鳴るように客を呼び込んでいた。
「焼きたてだ! 鹿肉の串焼き!」
「南方産の葡萄酒だぞ!」
「王都仕込みの矢羽だ! 大会前にどうだ!」
街は熱狂していた。
だが、その熱狂の中心にいるはずのノッテンガム卿は、
城の窓から静かに街を見下ろしていた。
民衆の歓声。
鳴り止まぬ鐘。
増え続ける旅人。
――そして、王妃の来訪。
それは栄誉であると同時に、
一歩間違えれば命取りになる政治の舞台でもあった。
ノッテンガム卿は細い目をさらに細める。
「……騒がしくなってきたな」
「そろそろ王妃がご到着なされる」
「準備を」
遠くで、再び歓声が上がった。
弓大会前日の夜。
ノッテンガム城では、
王妃臨席を記念した盛大な宴が開かれていた。
大広間には無数の燭台が灯され、
赤い絨毯の上を、
王国中から集まった貴族たちが行き交う。
銀器。
葡萄酒。
焼き上げられた猪。
吟遊詩人の奏でる竪琴の音色。
北部諸侯。
南部の大領主。
王都の有力商人。
そして王家に仕える騎士たち。
これほどの顔ぶれが一堂に会することなど、
そうあるものではない。
その光景を、
ノッテンガム卿は満足げに見渡していた。
(……見事なものだ)
深紅の衣をまとい、
豪奢な杯を手にする。
(いま、この王国で)
(これだけの貴族を集められる諸侯はおるまい)
各地の領主たちは笑い、
互いに酒を酌み交わしている。
だがノッテンガム卿には分かっていた。
彼らは皆、
王都の空気を読みに来ているのだ。
誰に力があるのか。
次に王国を動かすのは誰か。
そして今、
王太子リチャードは遠征中。
国政を支えているのはカルド王と、
その側近たちだった。
その中で、
財政を握る自分の影響力は、
日に日に増している。
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(今に見ておれ)
ノッテンガム卿は、
ゆっくり杯を回した。
(お前たちは、もうじき――)
(この儂にひざまずくことになる)
その時だった。
広間の空気が変わる。
楽団の演奏が止み、
貴族たちが一斉に道を開けた。
「王妃陛下のおなりである!」
声が響く。
現れたのは、
黄金の刺繍が施された深緑のドレスをまとった女。
エレノア王妃。
その隣には、
まだ幼さの残る第二王子ジョンがいた。
ジョンは周囲を見回しながら、
どこか誇らしげに歩いている。
やがて二人は、
ノッテンガム卿の前で止まった。
「母上、ご紹介いたします」
ジョンが笑顔で言う。
「ノッテンガム卿です」
ノッテンガム卿は静かに片膝をついた。
「これはこれは、王妃陛下」
「この度は我が城へお越しいただき、恐悦至極にございます」
だが――
頭を下げながら、
彼の額には薄く汗が滲んでいた。
(さあ……勝負だ)
視線を上げる。
エレノア王妃は、
静かに彼を見下ろしていた。
微笑んでいる。
だがその目だけは、
まるで獲物の値踏みをする猛禽のように、
冷たく澄んでいた。
弓大会会場となる――
ノッテンガム城。
王都から北へ二十キロ。
丘の上に築かれたその城は、
普段は北方街道を監視する軍事拠点でありながら、
この日ばかりは巨大な祭りの舞台へと姿を変えていた。
昨日までに各地の予選は終了している。
王国中から集まった射手たちの中で、
最後まで勝ち残った二十四名だけが、
今日、この本戦へ進む資格を得ていた。
城下は朝から熱気に包まれていた。
行商人の呼び声。
焼いた肉の匂い。
酒場から漏れる笑い声。
遠方から来た貴族たちの馬車が列をなし、
兵士たちは城門前で怒鳴りながら人波を整理している。
「今年は西部の騎士が強いらしいぞ」
「いや、南の狩人だって話だ」
「王妃陛下もご覧になるんだろ?」
「そりゃ命懸けにもなるさ」
観客たちは好き勝手に噂を飛ばし合っていた。
城内では、
本戦出場者たちが最終調整を行っている。
高価な長弓を抱えた騎士。
森育ちの狩人。
傭兵崩れの荒くれ者。
誰もが己の腕に絶対の自信を持っていた。
だが――
そこに、
ロビン・フッドの名はなかった。
予選にすら現れていない。
名簿にも載っていない。
王国中を騒がせる森の義賊は、
まるで最初から存在しなかったかのように、
大会の表舞台から姿を消していた。
そのことに、
最も苛立っていたのは、
ノッテンガム卿だった。
「……どういうことだ」
大会用の貴賓席。
豪奢な椅子に腰掛けたまま、
ノッテンガム卿は低く呟く。
隣に控えるガイが答えた。
「森にも街にも兵を配置しております」
「ですが、未だ確認できておりません」
ノッテンガム卿の指が、
肘掛けを苛立たしげに叩いた。
「来ると思ったのだがな」
ガイは静かに周囲を見回した。
「念のため、私も選手に紛れてもよろしいですか」
「もちろんだ、登録はしてある」
「しかし、どこにおるのだ」
「必ずいるはずだ」
歓声。
音楽。
笑い声。
だがその熱狂のどこかに、
確かに妙な緊張が混じっている。
まるで誰もが、
“何か”が起きる瞬間を待っているかのようだった。
エスカリオ王宮。
執務室には朝の光が差し込んでいた。
積み上がる報告書。
広げられた地図。
その中心で、
カルド王は盛大に頭を抱えていた。
「ククルース!」
怒鳴り声が響く。
扉が開き、隊長ククルースが静かに入ってきた。
「お呼びで」
カルド王は机の紙束を叩いた。
「なんだよこれ!」
「三十人の予定が三百人に増えちゃってるじゃないか!」
ククルースは悪びれもせず答える。
「例の条件を出したところ、皆志願しまして」
「志願しまして、じゃないんだよ!」
カルド王は椅子から立ち上がった。
「新兵三百人って何の罰ゲームなんだ!」
「教える側の身にもなってみろ!」
「若者は王直属騎士団という響きに弱いようです」
「うるさい!」
カルド王は机へ突っ伏した。
「まったく……」
その時だった。
部屋の隅で控えていたコピットが、
静かに一枚の報告書を差し出した。
「陛下」
「ん?」
カルド王は紙を受け取る。
数行読んだ瞬間、
眉が跳ね上がった。
「……リチャードが?」
コピットは頷く。
「予定を早めて帰国中とのこと、
いまノッテンガムにおられる模様です」
「なんでまた」
ククルースが腕を組む。
「エレノア様を驚かせたいんじゃないですかね」
カルド王は嫌そうな顔をした。
「えー……」
椅子へ深くもたれかかる。
「ジョンもリチャードも」
「お母さん、お母さんって」
「いい歳して馬鹿じゃないのか」
天井を見上げた。
「お父さんはどうでもいいんですかねー」
コピットは静かに咳払いした。
「現在、ノッテンガムは祭り騒ぎのようで」
「いいですねえー楽しそうでー」
カルド王はふてくされた声を出す。
「そーですか、そーですか」
「お父さんだけ”のけもの”ですか」
そして突然、
がばりと起き上がった。
「……それもこれもサイラスのせいだ」
ククルースとコピットが顔を見合わせる。
カルド王は拳を握りしめた。
「あいつ」
「人の国へ来て」
「悪さばかりしておるから」
「こんなことになるのだ」
窓の外を睨む。
遠い北。
ノッテンガムの方向を。
やがて、
カルド王はゆっくり笑った。
「よし」
嫌な予感しかしない笑みだった。
「この恨み」
「どこにぶつけてくれよう」
ククルースは無言で敬礼した。
たぶん止めても無駄だと、
もう理解していた。
コメント
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**眠狂四郎さん、第11話「祭り前夜」読みました!** ノッテンガムの熱気がすごく伝わってきて、祭りの前の高揚感がビシビシ来ましたね。でもその裏でノッテンガム卿とエレノア王妃の静かな睨み合い、めちゃくちゃ緊張感あって鳥肌立ちました。王妃の“獲物を値踏みする猛禽”の目、やばいっす。 そしてカルド王の「お父さんだけのけもの」発言とサイラスに恨み言ってるとこ、笑ったw この緩急がたまらないっすね。ロビンがまだ姿見せてないのも気になるし、リチャードも帰ってくるし…次が待ちきれないっす!🔥