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122 - 第74話:触れただけで動く日 ― サーモチャージ

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2025年12月11日

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第74話:触れただけで動く日 ― 夏のサーモチャージ


昼過ぎの街は、熱が静かに溜まっていた。


風が動かないだけで、歩道の空気が重くなる。


駅前の広場は人が多いのに、声は少ない。みんな、同じ速度で流れていく。


改札を出てすぐの都市案内板が、淡い緑の文字を淡々と点滅させていた。


今日の外気温、温感状態、推奨導線。


その下に、いつもの言い回しが添えられる。


触れて、終える。安心の一日。


りおは水色の薄手シャツの袖を肘までまくり、ベージュのパンツのポケットを探った。


指先だけ汗ばんで、端末ケースが滑る。


隣のすずは、淡い紫のワンピースにモカの薄い羽織。髪は低い位置でまとめられていて、額にかかる短い毛だけが湿っていた。


「ねえ、今日さ。手、暑い」


「暑い日ほど、端末が最初から満ちてるよ。触れただけで終わるから」


すずが笑うと、りおは半信半疑のまま、端末を取り出した。


電源表示は、すでに落ち着いた緑に近い点灯になっている。


何もしていないのに、ほとんど満電みたいに見えた。


ふたりが歩道の端を曲がると、手すりの金具ではなく、表面が滑らかな板が現れた。


都市温感板、アーバンプレート。


公共構造物の一部として埋め込まれていて、ただの手すりにしか見えない。


りおが何気なく触れた瞬間、端末が一度だけ短く震えた。


画面に出たのは残量の数字じゃない。


満電、と小さく出て、すぐ消える。


確かめる暇もないくらい短い表示だった。


「今の、満電?」


「うん。夏は外の熱だけで端末が満ちる。触れた瞬間に、満ちてるって確定されるだけ」


りおはもう一度、今度は手のひらを板に当てた。


板は冷たくない。外の熱を抱えてぬるいまま、ずっと待っている。


触れた側の皮膚から、ほんの少しだけ熱が抜ける感じがした。


画面が切り替わり、今日の推奨行動が並ぶ。


水分、姿勢、移動の順番。


見慣れた項目なのに、今は手すりに触れただけで出てきた。


「街が、端末を動かしてるみたいだな」


すずは歩幅を落として、りおの腕に軽く触れた。


その瞬間、りおの端末がまた震えた。


触れた場所は手すりじゃない。人の皮膚だ。


「ほらね。触れただけで、満電が続く日」


りおは照れて笑いそうになったが、周りを見て口元を整えた。


この街では、笑い方にも角度がある。


周囲の人たちは、ベンチに座るときも同じ方向に身体を向け、沈黙が揃っている。


広場の中央にある長いベンチへ向かう。


ベンチの縁にも、アーバンプレートが埋め込まれていた。


目立たないように、材質が周囲と揃えられている。


ただ、日差しの反射の仕方だけが少し違う。


すずが先に腰を下ろし、りおは隣に座る。


背もたれに手を置いた瞬間、ベンチの端に小さな表示が点いた。


満電、という文字が一度だけ出る。


次に、整流、という短い表示が流れる。


説明はない。満ちていることだけが示される。


りおの端末は画面を勝手に暗くして、通知だけを小さく出す。


満電維持。


動線逸脱なし。


そして、安心補助映像は本日不要。


「なんか、恋人と座っただけで、満電の確認されてる感じする」


「確認されてるだけ。夏は最初から満ちてるから、触れた瞬間に“満ちてる”って確定される」


すずはそう言って、りおの指先をつまむ。


ふたりの手が重なった瞬間、りおの端末がまた一度だけ震える。


今度の表示は、さらに短い。


満電安定。


りおは思わず自分の手を見た。


ただ手をつないだだけなのに、何かが整ってしまった気がする。


街に対して、生活の操作をひとつ終えたみたいに。


ふたりは、そのまま商業通りへ向かった。


路面の材質が変わる場所で、靴底がわずかに吸い付く。


歩くだけで発電する区画だ。


小さな振動が足裏に伝わり、端末がそれに同期するように震える。


通りの外壁も、床も、柱も、ただの建材に見える。


けれど暑い日ほど、街全体が満ちている。


人が触れなくても、勝手に満電の状態が続く。


その状態で触れた瞬間だけ、記録が濃くなる。


カフェの入口。


りおがドアノブに触れると、店の案内端末が先に起動した。


誰もボタンを押していないのに、入店の導線が点灯する。


すずが軽く首を傾ける。


「入る前に、もう満ちてる感じ」


りおは笑いながら、端末を見せた。


画面には、注文の推奨がもう並んでいる。


飲料は冷却。甘味は少量。滞在は短め。


最初から整っている前提で、全部が進む。


「俺、まだメニュー見てないんだけど」


「見なくても終わるように作られてるんだよ。迷いが少ないほうが、静かだから。静かなほうが、満ちたままでいられる」


店の中は涼しすぎない温度で揃っていて、椅子の脚が床に触れる音まで小さい。


客は会話をしないわけじゃない。


けれど声が上がらない。


言葉の代わりに、端末の短い震えが増える。


ふたりは窓際の席に座った。


りおがテーブルの縁を指でなぞると、そこにもアーバンプレートの感触がある。


木目風の加工の下に、都市温感板が埋め込まれている。


すずがりおの手の甲に指先を置いた。


恋人らしい仕草なのに、動作が小さい。


この国では、感情が大きいと揺らぎとして扱われる。


だから、触れる。


そのかわり、声を抑える。


「ねえ。満電ってさ、便利だね」


「便利だよ。探さなくていいし、切れないし」


「でも、触れたことまで、全部“満ちてる”って扱われる」


りおは言いかけて止めた。


店内の柱の上、目立たない位置に小さなレンズがあったからだ。


レンズの周りの淡い緑の点灯は、暑さで少し明るい。


すずはりおの手をぎゅっと握った。


強くは握らない。


指の力が揃う程度に、そっと。


「満ちてるって言われると、足りないって言えなくなるよね」


りおは、胸の奥が一瞬だけ熱くなった。


その熱も、きっとどこかで満ちた記録の一部になっている。


店を出て、夕方の駅へ戻る。


改札前の手すりに触れた瞬間、ふたりの端末が同時に震えた。


触れたのは同じ板。


同じ熱。


同じ満電。


改札は、カードを近づける前に準備を終えていた。


財布の中で、交通カードがすでに満ちている。


夏の街は、勝手に満電になる。


「ねえ」


「なに」


「今日は、ずっと満ちてた気がする」


「うん。満ちてるから、触れるだけで進む」


ホームの床にも、細い帯のようにアーバンプレートが埋め込まれていた。


立つ場所は自然に決まる。


そこに立てば、端末が整う。


そこに立たなければ、整わないだけ。


電車が来る。


風が少しだけ動く。


それでも熱は残ったまま。


りおは、すずの指先をもう一度つまんだ。


恋人としての確認のつもりで。


端末が、また短く震える。


満電。


接続。


安定。


ふたりは何も言わずに、同じタイミングで息を吐いた。


大和国の夏は、触れただけで満ちる。



街が巨大な満電の箱である限り、ふたりの距離さえ、勝手に記録の中で整っていく。

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