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嬉しい誤算――見込み違いによって予想とは異なる結果になったが、それで却って有利な状況になった様子を指す言い回し。
ウチの団体アルテミスリングは、今まさにその嬉しい誤算の真っ只中だろう。
幸楽園ホールの控え室で一人、柔軟体操をしながら備え付けのモニターを眺め、オレはそんな事を思っていた。
『ハイアングルのパワーボムだーっ! ブレーキの壊れたダンプカー、バイソン絵梨奈のパワー殺法が炸裂っ! 竹下、防戦一方だぁぁぁーっ!!』
備え付けのモニターかはらセミファイナルの、一見優勢の荒木さんと一見劣勢の佳華先輩の試合が流れている。
そのモニターのスピーカーからは、実況の日テレアナウンサー、ジャストミート明菜さんの派手なアナウンスと共に割れんばかりの佳華コールが鳴り響く。
相変わらず魅せるプロレスが上手い。一見劣勢だけど、これは完全に佳華先輩のペースだ。
そしてモニターに映るリングの後ろに見える観客席は超満員。この辺は佳華先輩やかぐや達の人気のおかげだろう。
何よりさっきから言っている嬉しい誤算だったのは、かぐや達の入団を発表して注目度が上がると、参戦の希望をするフリー選手が現れ出したのだ。
まあ、全女のバカボン社長の目もあり日本人の参戦希望は無かったけど、それでもアメリカやメキシコの新人や中堅レスラー達が数十人、名前を上げようと参戦を希望して来たのである。
その中から、佳華先輩と智子さんのおメガネに適ったデビュー二年目の新人を二人。そして、デビュー五年目の中堅双子ペアの二人。計四人と今日一夜限りのワンナイト契約を結んだのだ。
これによって、選手が八人から十二人へ一気に増え、シングルマッチ四試合とタッグマッチ一試合。計五試合と試合数が増えた。
更にテレビは地上波の|日の本《ひのもと》テレビでライブ中継される事になり、チケットは発売二時間で完売。前日には徹夜組が出るほどの話題となった。
そして実際の試合の方でも、第一試合でデビュー戦の舞華がヴァルキリースプラッシュでピンフォール勝ち。第二試合では、同じくデビュー戦の愛理沙がバニッシュメント・ナックルからの|顔面締め《フェイスロック》でギブアップ勝ち。
そして第三試合である美幸のデビュー戦は、木村さんと組んだタッグマッチに変更。相手ペアのカットを木村さんがしおりんクラッチで抑えている間に、美幸が逆一本背負からの|裸締め《スリーパー》でギブアップ勝ち。
と、新人三人がデビュー戦で白星スタートという、出来過ぎた結果を出しているのだ。
そして今はセミファイナルの第四試合。時間は十五分を経過したところだ。二人の実力からいって決着は、だいたい三十分を過ぎた頃になるだろう。
オレは柔軟をやめて、パイプ椅子へと腰を下ろした。
なんだかんだ言っても今日は、オレにとってもデビュー戦だ。緊張もしているし、身体を動かして
てないと落ち着かないけど、ウォーミングアップで疲れてしまっては意味がない。
この一ヶ月、しっかりトレーニング出来たからカンもスタミナも戻って来てはいるけど、やはり油断は禁物だ。
まっ、それに関しては、薄給でバイトを頑張ってくれた|男子部員《ヤローども》のおかげでもあるので、一応は感謝しておこう。
ちなみに女子部員の方々はと言えば――
コンコン……
ふと、背後からドアをノックする音が聞こえてくる。
「はい、どうぞ」
オレが返事を返すと、見覚えのある女子が顔を覗かせた。
「優月さん、ソロソロ入場の準備お願いしまーす!」
ウチの団体のジャージを着て、右手にカゴを持ったショートカットの女子――見覚えがあるのは当然だ。彼女の名前は絢子。大学の一つ後輩でプロレス部の現部長、細川絢子なのだから。
そう、女子部員の方は今日の館内スタッフやセコンドに駆り出されていて、彼女はオレのセコンドに付く事になっている。ちなみに彼女が手に持っているカゴには、テーピングや包帯。ワセリンにアイシングスプレー。それとうがい用の水などといったセコンドグッズが入っているのが見えた。
てゆうか、いくら貧乏団体とはいえ昭和のボクシングじゃあるまいし、今時うがい水をビール瓶に入れているのは、いかがなモノなんだろうか……
「あ、あの……優月さん?」
手に持っているカゴを見て苦笑いを浮かべているオレに、キョトンとした顔を見せる絢子。
「いや、なんでもない――準備は出来ているから大丈夫」
リングコスは着ているし、あとは入場の時に上から団体のジャージを羽織るくらいだ。
「それよりも悪かったね。ウチの社長がムリ言って――」
「え、あぁ……は、はははは……」
オレと交代で今度は絢子が苦笑いを――いや、苦笑いと言うより引きつった笑いを浮かべた……
お互いの先輩である佳華先輩。それを、あえて”社長”と呼んだのには訳がある。
三年間、同じプロレス部に所属していたにもかかわらず、絢子はオレが佐野優人だという事に気が付いていないのだ――とゆうより、男子だけではなく女子の部員ですらも、全員がオレの正体に気が付いていない。
まあ、女装をしているなんて黒歴史。知られないのは良いことだけど、女装に対して全く違和感を持って貰えないのも悲しいモノがある。
「まあ……社長の、あの勧誘は少し……いや、かなり強引だったよね。ホントごめん……」
「ははは……強引と言うより強迫でしたけどね……」
絢子の顔が、引きつった笑いからドンドン虚ろな笑いへと変わっていく。
確かにアレは強迫だったな……
佳華先輩の随伴で、女子プロレス部へと顔を出した時の事を思い出していくオレ。
ホントは一緒に行くつもりなど無かったのだが『後輩達に、佐野の女装が見破れるか試すから』などと言いながら、かぐやの私服を着せられ強制連行されたのだ。
結果はさっきも言ったけど、誰も見破れていない……
まあ、それはさて置き、回想スタート――
現部長の絢子にアポを取って、部室へ顔を出したオレ達。プロレス部の女子メンバー全二十八人を前にして、佳華先輩は話を切り出した。
「あ~。みんな知っていると思うが、来たる七月十四日。あたしの立ち上げた団体が旗揚げする事になった。そこでみんなには、ぜひ当日の会場スタッフとセコンドを手伝ってもらいたい。正直、大したバイト代は出せないが、それでも将来プロを目指す意味では貴重な経験になるはずだ」
ちなみに佳華先輩が提示したバイト代は時給二百五十五円と、男子よりほんの少ぉぉぉしだけ、色が付いていた。
「という訳で当日、参加出来る者は手を挙げてくれ」
と、この地点で手を挙げていたのは約半分――いや、3分の1くらいだった。なにより現部長の絢子の手が挙がっていない。
「なんだ絢子? その日は何か用事があるのか?」
「スミマセン、佳華先輩……その日は彼氏とデートの約束がありまして……」
頭を掻きながらバツの悪そうに笑う絢子に、佳華先輩の眉が一瞬ピクンっと跳ねた。
「彼氏ぃ……? 何それ美味しいの?」
「いや、そうじゃなくて……まあ、確かに彼のは美味しいですけどぉ♪」
「…………(ピキッ!)」
頬を抑え、照れながら嬉しそうに笑う絢子。佳華先輩は腕を組みながら、そんな絢子に背を向けた。
ちなみに、その時の佳華先輩の表情は、隣に居たオレにしか見えていなかったけど、いま思い出しても背筋が寒くなるような顔をしていた。
「ときに絢子……お前、あたしの握力がいくつあるか知っているか?」
「えっ? いえ、知りませんけど……」
「そうか……まあ、最近測ってないからな。正確な数字は分からんが、とりあえず片手でリンゴを潰してリンゴジュースを作るくらいは出来る」
「は、はぁ……?」
言葉の意味が分からずに、キョトンと首を傾げる絢子。そんな彼女に、佳華先輩は声のトーンを下げて話を続けた。
「彼氏の『ナニ!』が美味しいのかは、あえて聞かんけど……その彼氏の『ナニ!』はリンゴより硬いかな……?」
「えっ……?」
顔を蒼白にして固まる絢子。佳華先輩は邪悪な笑みを浮かべながら、ゆっくりと顔を絢子の方へと振り返っていく。
「ある日突然、彼氏が女の子になっちゃったら……イヤだよなぁ?」
「――――!!」
絢子は声も出せずに、物凄い勢いで首を前後へと振った。
「じゃあぁ、もう一回だけ聞いてみよっかなぁ――当日、参加出来る者は手を挙げてくれ」
まるで軍隊のような直立姿勢で、全員の手が一斉に挙がる。
「うんうん――いい後輩を持って、あたしは幸せ者だなぁ」
うんうん――悪い先輩を持って、皆さんご愁傷様……
と、言う訳で、回想終了。
――――うん。あらためて思い出しても、確かに強迫だな、あれは。
「え~と……彼氏さんと、うまく行くといいね……」
天井の隅を見上げて虚ろに笑う絢子に声をかけるオレ。さすがに、コレが元で別れたなんて事になったら寝覚めが悪いし……
しかし、絢子から返って来たのは予想外の答えだった。
「ああぁ……いいんですよ、あんなヤツどうなったって……」
「そ、そうなの?」
「ええ。実はあのあと、三股掛けられてる事が発覚しまして……しかも、わたしは三番目らしいし……ははは……」
虚ろな笑みから更に生気が抜け、真っ白な灰に変化していく絢子。
「ははは……ああ、そうだぁ……今からでも佳華先輩に頼んで、潰してもらおうかなぁ……トマトみたいにグシャっと! ははは……」
彼氏さん、逃げて~~~っ!!
気持ちは分かるし自業自得かもしれんが、それはほんの少しやりすぎではないか?
佳華先輩にはタマ潰しの前科があるし、頼んだらホントにやりかねない。
「お兄ちゃ~~んっ!!」
真っ白な灰から一瞬にしてヤンデレと化した絢子を何と言って宥めようかと考えていると、控え室の扉が勢い良く開き、満面の笑みを浮かべた舞華が駆け込んで来た。