テラーノベル
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普段は乗ることのない路線に乗って俺達は江の島へ向かった。時刻は午後四時とか。夏はまだまだ昼が長くて月は顔を出さない。それなのにふっかは「サンセットビーチだ」とかばかみたいなこと言ってて。俺より年上のはずなのに抜けてるところもあって、学力も別に誇れるほどじゃなくて、残念なイケメンで。でも、底抜けに優しくて、見返りを求めたことなんて俺の知る限り一度もなくて、気が効いて視野が広くて。俺より大人なんだなって、度々思い知らされる。まぁ、本人には言わないけど。 やがて到着した江の島には平日だというのに人がそこそこいて。ガラケーをみて立ち止まってたり、竜宮城みたいな駅の外観を撮影していたり様々だ。ふっかは駅の近くにあったお店に一人で入っていって、俺は弟にでも送ろうかと思って周りの人々と同様にガラケーのカメラを構えた。
すると突然首筋にひんやりとした冷たい何かが触れる。俺は驚いて思わず飛び上がった。反射で振り向くとそこには瓶のサイダーを両手ににやにやと笑っているふっかがいた。
岩「ばか。なにすんの」
深「いいでしょ! 照の分も買った!」
岩「なにもよくないんだけど……」
ふてくされたように口をすぼめてみたものの、その数秒後には笑ってしまった。あまりにも愛おしかった。平穏でくだらなくていつか色褪せていくこの日々が、一瞬で世界で一番大切なものになってしまいそうだった。
瓶をもらうときに意図せず触れ合ったふっかの指先は冷たくなっていて、そのまま包みこんで体温を分かち合いたくなる。咄嗟に手を引っ込めたり、照れたりなんてしない。俺達にはもう普通になってしまったこの他の誰とも成立しない距離感。
「とくべつ」
いつの間にか口に出ていたその言葉に、ふっかは頭を傾けた。「特別?」俺の言葉を薄い綺麗な唇で繰り返すふっかは、純粋で無垢で、綺麗だった。
岩「……瓶のサイダー。特別感あるなって」
深「あーなるほどね。確かに。海まできたし!」
岩「……うん」
ふっかと飲むサイダーは、俺にとって特別なんだ。って、言えなかった。
◇
緑の葉が乾いて、アンニュイな色に染められていく。俺は窓から見える、黄色い帽子を被ったひよこのような子供達がてとてとと帰宅していくのを眺めた。進学というのは、もう、めちゃくちゃだるい。ふっかも先輩たちも、こんなことしてたのかってちょっとだけ尊敬する。歳を重ねるごとに勉強はよくわかんなくなっていくし、それに比例するように同級生のこともわからなくなっていく。俺だけが取り残されたような。俺だけが、間違っているような。正しさという規律で形を揃えられる学校なんて場所にいたら、余計そんな気がしてならない。
俺が三年になったおかげで、ふっかは俺の傍からいなくなった。もう半年くらい経つけれど。もちろん、連絡先は知ってるし、実家の住所だって知り尽くしてる。だから会おうと思えば、会えないことはない。でも、それでも。授業が終われば俺の靴箱でふっかが待ってて、一緒にゲーセン行ったり、マック行ったりして適当にだべったり、どっちかの家行って「わかんねーな」って課題やったり。そういうのが、ぜんぶなくなってしまった。その喪失感はあまりにもでかくて、正直に言えば寂しかった。
帰りのホームルームが終わって階段を降りていく。あー、もうふっかはいないんだ。なんて思いながらぼんやりと廊下を歩いていると後ろから「おい、岩本」と乱暴な声がした。これは無視したほうがいいのか、なんて思いながら半ば投げやりな気持ちで振り向くとそこにはあまり知らない、というか顔を見たことある……気がする程度の男が三人いた。制服を着崩してて、なんとなくチャラい。……俺が言えたことじゃないけど。
岩「なに」
「お前さ、ゲイだってホント?」
岩「……は?」
は? なんで? 口には出さなかったものの表情からそんな思考を感じ取ったのか男たちは「おいまじかよ」「やべぇホンモノ初めて見たわ」と汚い笑い声を晒していた。思わず握りこぶしを固めるものの「もう殴んな」というふっかの優しい声がして俺は自分の心を落ち着かせるようにゆっくりと息を吐き出した。過去にふっかに付きまとっては迷惑行為を繰り返していた女を殴ったことがあった。そのときは停学になって、親からは怒られて、同級生からは怖がられた。ふっかは、毎日プリントを届けに家までやってきてくれていたから、不幸せではなかったけど。
「でさ、お前ってどっちなの?女側?」
「この見た目で女やってたらキモすぎんだけど」
あー、……ムカつく。隠してたのに。俺って誰かに抱かれたいって。それ以前に普通にハグしたりキスしたり、そういう普通のことだってしたいって思ってるのに。ただ、ただ、
「……性別が違うだけじゃん」
ボソリとこぼれた本心は、最悪なことに男たちの耳まで届いてしまったようで、さらに汚い顔を歪めて猿のように喜んでいた。俺はもう諦めることにして後ろを向き、家に帰ろうとしたその時だった。
「あのー、ゲイさーん! ふっか先輩とぉ、できてるんすかー!!」
ぷちん、って。
◇
深『おーい、おまえまじかよ』
通話越しの愛しい人の声が、叱られまくって傷んだ心に染みる。あのあと気がついたら手が血だらけで俺は馬乗りになっていて、相手は鼻血を出して口の端が切れてて、頬に字ができていた。誰だったかは覚えてないけど先生に止められて、それでも殴るのをやめられなくて、女の悲鳴が廊下に木霊して。絵に描いたようなカオスだった。熱の出たときに見る情報量の多い夢みたいな。
深『……もー、今回はどうしたんだよ』
岩「べつに。ムカついたから殴りたくなっただけ」
深『うーん。その”ムカついた”理由を聞いてるんだけどなぁ〜』
色々学校の歩幅と一緒に進められてきた進学の準備は全部白紙になった。よりによってどうしてこんな時期にまたやらかすんだ、と担任は溜め息をついていた。仕方ないじゃん。とは言わなかったけど。その代わりに何も言わないでやった。喋ったら墓穴掘るかもだし、ちょっとした反抗のつもりだった。
ふっかは怒らなかった。変に同情もしないし、慰めもしない。ただ、「もー」と仕方ないなとでも言うように俺を許して受け入れる。変な人だ。一体俺のなんなんだ。そんな疑問を押し込むように俺はペットボトルのサイダーを飲み干した。「あ」と声が漏れる。そんな俺に『ん?』と言うふっか。
岩「また海行こうよ」
そう言うとふっかは、ふはっと笑って『いいよ』と言ってくれた。
こんな約束は、どうせ流れる雲のように徐々に忘れられていくんだ。
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