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第6話 ユーチューバーの光
昼すぎの里に、
急に軽い音が入ってきた。
車の音でもある。
けれど前に来た研究者の車とはちがう。
もっとせわしない。
山道の石へぶつかるたび、
いちいち騒ぐみたいな音だった。
おばあちゃんは畑で草を抜いていた手を止め、
顔を上げた。
ミュオも、桶の水で手をぬらしたまま、
道のほうを見る。
坂の下から、目立つ色の車が上がってくる。
横腹に大きく文字が貼られ、
窓の内側で誰かが手を振っていた。
止まる前から、
声が聞こえる。
「着いた着いた」
「ここ、ここだって」
「やば、ほんとに山ん中じゃん」
戸口の前で車が止まる。
勢いよく開いた扉から、
先に男が飛び出した。
髪の前だけを持ち上げて固め、
黄緑の大きなロゴが胸に入った上着。
足もとの運動靴だけが妙に新しい。
その後ろから、
肩までの髪を外にはねさせた女が端末を持って降りる。
耳に小さな機械。
指だけが忙しい。
男は小さな撮影機を自分へ向け、
もう笑っていた。
「はいどうもー、本日は話題の隕石スポットに来ております」
その声が里の空気へ広がる。
軽い。
明るい。
でも、あたたかくはない。
軽さが悪いわけじゃない。
子どもたちの笑いにも軽さはある。
おばあちゃんの朝の声にも、ほどよい軽さがある。
けれど今、男の声に乗っている軽さは、
どこにも根をおろしていなかった。
土へ触れていない軽さ。
ミュオの羽先が、ほんの少しだけ下がる。
男は撮影機をくるりと回し、
家と畑と山を映し、
最後にミュオを見つけた。
「あっ、いたいたいた」
その言い方が、
見つけた、より
撮れた、に近く聞こえた。
女が端末から顔を上げる。
「ほんとにいる」
おばあちゃんがゆっくり立ち上がる。
小柄な体。
茶色のもんぺ。
土のついた指先。
いつもの見た目のままなのに、
こういう時は妙に地面へ深く立って見える。
「何しに来たんだい」
男はへらりと笑う。
「ちょっと取材で」
「誰に頼まれたんだい」
「いや、みんな気になってるんで。今すごいんすよ、この話」
すごい。
その音は高く弾んで、
空へ飛ぶ。
けれど、どこにも残らない。
女が端末をなぞりながら言う。
「再生も伸びると思う」
そのひと言を、
おばあちゃんは聞き流さなかった。
目じりのしわが少しだけ深くなり、
笑いの形ではなくなる。
「伸びる」
「え」
「何がだい」
女は少し口ごもる。
男がすぐ横から入る。
「いや、話題がって意味で。みんな知りたいじゃないですか」
知りたい。
その言葉だけは本当かもしれないと、
ミュオは思った。
でも、
知りたいの先がちがう。
子どもたちの知りたいは、
畑の土を指でつまむみたいな知りたさだった。
このふたりの知りたいは、
箱へ入れて持って帰るための知りたさに近い。
男はもう門の中へ半歩入っていた。
里の何人かが道の向こうから様子を見ている。
あのそばかすの子どももいる。
面白そうな匂いを嗅ぎつけた顔だ。
男が撮影機をミュオへ向ける。
「ミュオくん、でいいんだっけ」
名前を呼ばれ、
ミュオは顔を上げる。
でも、その音は胸に落ちなかった。
呼んだのに、
届いてこない。
男は続ける。
「ちょっと一言もらっていい? あと、あれ、詩。やってほしいんだけど」
やってほしい。
そのひと言で、
胸の中の何かがすっと引いた。
詩は、
やるものだっただろうか。
畑へ置くもの。
手の温度が土へ残るみたいに、
ことばを残すもの。
それを、
男は手品の名まえみたいに言った。
おばあちゃんが男の前へ立つ。
「いきなり来て、いきなりそれかい」
「すみません、でも今が一番いい時間なんで。光も」
男は空を見上げる。
太陽の角度を見ている。
畑の色を見ている。
でも、その見方は、
育ち具合を見る目とは別のものだ。
女が言う。
「短いのでいいです。こっち向いてもらって」
こっち。
ミュオはその言葉に動かなかった。
こっちとは、
撮影機の丸い目のことだった。
あの丸い目は、
研究者の丸いレンズに少し似ている。
でも、もっと速い。
映したそばからどこかへ流してしまう速さがある。
男は笑顔のまま、少し声を張る。
「だいじょうぶ、怖くないから」
ミュオの羽先が下がる。
怖いかどうかではない。
違う、と言いたい。
でも、違うの中身がまだ多すぎて、
うまくひとつのことばへならない。
おばあちゃんが言う。
「怖くなくても、いやなもんはあるよ」
男の笑いが、一瞬だけ止まる。
女が周囲を見て、
小さく息をつく。
「まず話をしたほうがいいかも」
その言い方は、
男よりは少し遅い。
でも、遅いだけで、
土へ届くほど深くはない。
里の子どもが、
いつのまにか門のそばまで寄っていた。
そばかすの子が小声で言う。
「動画だ」
となりの子が言う。
「見たことある。変なもの食べたりするやつ」
男はその声を聞いて、すぐ振り向く。
「そうそう、知ってる? ありがとね」
その切り返しの速さに、
子どもたちは少し笑った。
でも、
ミュオはその速さにひっかかった。
ことばが軽すぎると、
相手へ止まらない。
相手の胸へ届く前に、
もう次のことばが来る。
男は門の横で、
わざとらしく山を見上げた。
「いやあ、でもマジで空気うまいなあ」
「こういうとこ来ると癒やされるよね」
女が端末を見ながら答える。
「はいはい、今その角度いい」
癒やされる。
その言葉も、
畑の土へ落ちる前に跳ねた。
おばあちゃんは何も言わず、
井戸のそばへ行って桶を持つ。
水を汲む。
いつもの動きだ。
そのいつもが、
今はひどく強く見えた。
男が撮影機をミュオへ向けたまま、
少し声を落とす。
「ね、ちょっとだけでいいんだよ。空変わるんでしょ」
空変わる。
その言い方に、
ミュオは胸の奥が冷えるのを感じた。
空が変わったことはある。
星が増えたこともある。
太陽が緑に輝いたこともある。
でも、
その変化だけを取り出されると、
そこに残っていたおばあちゃんの声や、
子どもの肩の重さや、
畑の匂いまで剥がれていく気がした。
男は笑顔のまま、
でも少しだけ焦りをにじませて言う。
「一発でいいから」
一発。
また、ちがう名まえだ。
詩でもない。
ことばでもない。
まるで、何かを当てる遊びみたいだった。
ミュオは、
畑のほうを見た。
風が通っている。
葉がゆれる。
朝にまいた水が、まだ土の奥に残っている。
あそこなら、
まだ少しは息ができる。
ミュオはゆっくり畑へ下りた。
男と女もついてくる。
子どもたちも、さらに後ろからぞろぞろ来る。
おばあちゃんだけが少し離れて歩く。
近すぎず、
遠すぎず。
その距離だけで、
ミュオは少しだけ助かった。
畑の端で止まる。
土へ触れる。
ひやりとする。
でも、その下にはちゃんと、
おばあちゃんの手の温度がある。
昨日までに残った子どもたちの熱も、
うっすらある。
男が言う。
「そこ、いいね。背景もいい」
「はい、ミュオくん、こっち見て」
こっち見て。
また、胸が引く。
でも今度は、
完全には閉じなかった。
土へ触れているからだ。
見せるためのことばは、
胸の上をすべっていく。
でも、土へ触れた指先からは、
まだ少しだけ、沈むものが戻ってくる。
ミュオは目を閉じた。
五。
七。
五。
数のかたちを呼ぶ。
男が小声で言う。
「来るかな」
女が言う。
「撮ってる」
その声が、
また膜になる。
けれど、
土の奥から、
もっと遅いものが上がってくる。
朝の水。
昨日の甘さ。
おばあちゃんの待つ声。
ミュオは、
試すように言った。
「みせるため
ことば ならべても
かるいまま」
男が「あ」と声を出す。
女の指が端末の上で止まる。
言ってから、
ミュオは空を見た。
何も起きない。
太陽はそのまま。
雲もそのまま。
星が出る時間でもない。
男が小さく眉を寄せる。
「今の、詩?」
その問いに、
ミュオはすぐ答えなかった。
詩だった。
でも、男の求めたものではない。
空を変えるためでも、
見せるためでもなく、
いま胸にあった違和感を、
土の上へ置いただけの句だった。
そのとき、
おばあちゃんが小さく言う。
「見な」
男と女が畑へ目を落とす。
葉だった。
畝の端に出たばかりの小さな芽。
昨日まで土に近かったその葉先が、
ほんの少しだけ持ち上がっている。
大げさな変化ではない。
伸びたとも言いきれないほどの差だ。
でも、
畑を毎日見ている目には分かる。
葉の向きが変わっていた。
土のきわにいた芽が、
わずかに光のほうを向いている。
おばあちゃんがしゃがみこむ。
「こっちだけだねえ」
男も女も、
ようやく撮影機や端末を一度下ろして、
畝へ顔を近づけた。
男の髪の固めた先が、
風に少し揺れる。
女の外にはねた髪も、
畑の湿りを受けて静かになる。
その顔つきは、
さっきまでより少しだけましだった。
数字の前に、
目の前の小ささへ驚いている顔。
男が言う。
「空じゃない」
女が言う。
「地面だけ」
ミュオはそのことばを聞いて、
胸の中で小さくうなずいた。
そうだった。
見せるためのことばでは、
世界は大きくは動かない。
空は変わらない。
でも、
土だけは聞いていた。
土は、
表面の軽さの下にあるものを、
少しだけ拾ってくれる。
男がすぐに撮影機を畑へ向ける。
「やば、すご、今の撮れた?」
「もう一回いける?」
その声を聞いた瞬間、
葉のまわりの空気がまた固くなる。
ミュオの羽先も下がる。
女が端末を見ながら言う。
「今の、タイトルに使えるかも」
タイトル。
使える。
そのふたつのことばが、
さっき畑の中でやっと上がったぬくもりを、
また冷やした。
おばあちゃんが立ち上がる。
「もう終わりだよ」
男が振り向く。
「いや、今のもう一回だけ」
「もう聞いてない」
「でも、これ大事な」
「そっちにはね」
おばあちゃんの声は大きくない。
でも、畑の真ん中ではっきり届いた。
女が口を結ぶ。
男は少し苛立った顔になりかけ、
けれど子どもたちの視線に気づいて、
また笑顔へ戻した。
その戻し方を見て、
ミュオは胸の中がさらに冷えた。
笑顔まで、
使っている。
そばかすの子が、
ぽつりと言う。
「なんか、さっきのほうがよかった」
男が「え」と振り向く。
子どもは畑の芽を見ている。
「今の、空変わんなかったけど、こっちが先だった」
こっち。
その指は小さな芽を指していた。
女がその子を見た。
少しだけ驚いた顔をする。
子どもは続ける。
「見せるのじゃなくて、畑に言ったんじゃないの」
ミュオは、そのことばに目を上げた。
子どもはもう前みたいに跳ねていない。
少し考えて、
ちゃんと土を見て言っていた。
その小さな変化が、
ミュオにはうれしかった。
男は笑ってごまかすみたいに言う。
「いやあ、深いこと言うねえ」
でも、その言い方もまた、
すぐ軽くなってしまう。
おばあちゃんが門のほうを向く。
「帰りな」
風が吹く。
畑の葉が返る。
さっき持ち上がった芽だけが、
ほかより少し前を向いている。
男と女はすぐには動かなかった。
けれど、もうこの畑に自分たちのことばが届かないことを、
どこかで感じたらしかった。
女が先に頭を下げる。
「失礼しました」
その声は、さっきより少し静かだった。
男も撮影機を下ろし、
苦笑いみたいな顔で会釈する。
「また来ても」
「来なくていいよ」
おばあちゃんは即座に言った。
子どもたちが少し笑う。
男はその笑いに助けられたような、
困ったような顔で車へ戻っていった。
車の音が坂を下って消えるまで、
ミュオは畑の端から動かなかった。
風が戻る。
山の音も戻る。
軽すぎたことばだけが、
まだ空の上をふらふらしている気がした。
おばあちゃんが畝へしゃがみ、
葉先をのぞきこむ。
「ちゃんと聞いたねえ」
ミュオも近づく。
灰色の羽毛へ、午後のやわらかい光。
首もとの紫は、
少しだけ色を戻していた。
「そら
きかなかった」
おばあちゃんはうなずく。
「今日は畑のほうが近かったんだろうね」
ミュオは土へ触れる。
たしかに近い。
空は遠いままだった。
撮影機の目と、
軽い声と、
使われるためのことばが、
上へ行く道をふさいでいた。
でも、
土はまだ下にあった。
誰かの手で耕され、
水をもらい、
待たれてきた土。
そこへ落としたことばだけは、
ちゃんと沈んだ。
ミュオは小さく言う。
「みせることば
とぶだけ」
おばあちゃんが笑う。
「土へ降りてこないかい」
「うん」
「じゃあ、畑はえらいねえ」
ミュオも羽先を小さく揺らした。
畑はえらい。
その言い方が、
おかしくて、
やさしかった。
夕方、
縁側で採れた野菜を切る。
切り口から出る水。
包丁の音。
台所へ流れる匂い。
ミュオは昼のことを思い返していた。
あの男の笑顔。
女の端末。
軽いことば。
こっち見て、やって、使える、もう一回。
どれも、
見せるためには便利なのだろう。
でも、
それだけでは世界は動かない。
少なくとも、
ミュオのことばは動かなかった。
おばあちゃんが、切った葉を皿へのせながら言う。
「つらかったかい」
ミュオは少し考えてから答えた。
「へんな ひかり」
「ひかり」
「みてるのに
みてない」
おばあちゃんの手が止まる。
それから、
ゆっくりとうなずく。
「そういう光もあるねえ」
夕方の光が、
縁側の板を茶色に染める。
その上へ、切った野菜の緑がのる。
見てるのに、見てない。
そのことばは、
ミュオの胸へ落ちたあと、
しばらく静かに残った。
夜になっても、
空の星は増えなかった。
でも、畑へ出ると、
昼に向きを変えた芽が、
そのままの角度で立っていた。
わずかな変化。
小さすぎて、
知らない人なら見落とす。
けれど、
見せるためじゃないものは、
たいていそういう大きさで残るのかもしれないと、
ミュオは思った。
畑の前で、
小さく息を吐く。
そして、
今度は誰にも向けずに言う。
「かるいこえ
そらは とおくて
つちは きく」
空は変わらない。
でも土の匂いだけが、
少し深くなった気がした。
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ruruha
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