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私達二人が雇用関係を結んだ時、カーネは『無断で外出はしない』と書かれた魔法契約書にサインをした。なので今回の行動は見事に契約違反に当たる。そのせいで深い眠りについたカーネを受け止め、すぐに横抱きにしてシェアハウスの方へ引き返す。経過の全てを把握していたので違反行為への不満など微塵も無い。足取りは軽く、鼻歌混じりに進んで行く。
玄関扉がひとりでに開くと、その先ではロロとララがにこりと笑いながら座っていた。側近であるテオとリュカもすぐ後ろで控えており、私が室内に入ったと同時に軽く頭を下げる。新聞を利用した情報操作を終えて二人は次の指示を待っているみたいだ。
「“私”の後継者の準備はもう全て終わったのか?」
「はい、問題無く。ただ急な交代であったので、もしまた何か有りましたら改めてお伺いする事にはなるかと」
「まぁその点は仕方がないな。セレネ公爵家程の規模の名家を背負う事になったんだ、常に対応すべき案件が山積みで、既にもう悲鳴をあげている頃だろうから出来る限り優遇してやってくれ」
「「かしこまりました」」とテオ、リュカの二人が頭を下げる。
「新聞に行方不明者の件の続報を載せるのも、抜かりなくな」
「「お任せ下さい」」と再び二人の声が綺麗に重なる。今一度頭を下げ、テオとリュカは早速シェアハウスを後にした。
「……ロロとララは、本当にこれで良いのか?」
このまま予定通りに事が運べばロロとララが将来手にするはずだったものが全て無となる。カーネが眠る今のうちであれば、まだ軌道修正が可能だろう。二人が望むのなら、カーネの選択を覆す事にはなるが……再考する余地はある。子の望みを優先してやりたいくらいの気持ちは、私にだってまだ残っているから。
『もちろんダヨ、トト様。ボクは別二、貴族の階級だ地位だに興味は無いかラネー』
『アタシもヨ。公爵令嬢としての面倒な生活よりモ、カカ様とトト様が日々ベッタリ幸せそうにしているお家に生まれる方ガ、ずっと幸せそうだもノ』
『『——ネ!』』とロロとララがお互いに顔を見合わせて、話を締めるみたいにそう言った。気遣って嘘を言っている様には見えないから、きっと本心なのだろう。
「そっか。……ありがとう、二人共」
キラキラとした大きな瞳で、『朗報、待ってルネ』と言ったロロに、『プレッシャーを与えちゃダメじゃないノ』とララが小声で釘を刺す。何百年経っても仲が良く、二人のやり取りは本当に癒される。この子達がこうやって側に居てくれていなければ、私はとっくにもっと壊れていただろう。
「はははっ。……まぁ、何とかするさ」と返し、玄関に二人を残したまま、私は眠るカーネを三階の寝室に運んで行った。
二人で休んでも充分過ぎる程のサイズを誇るベッドにカーネを寝かせる。眠りやすい様にと、強烈な誘惑に何度も晒されながらも、魔法には頼らずに手ずからカーネを寝衣に着替えさせた。そして、出会った頃よりかは幾分健康そうになった彼女の小さな体にそっと布団を掛けてやった。
側に椅子を持って来てそれに腰掛ける。室内灯は消えていて寝室はほぼ真っ暗なままだ。カーテンの隙間から差し込む月明かりだけを頬に受けながら、契約違反のペナルティとして深い深い眠りについているカーネの手を取ると、私は口元を綻ばせて彼女の手の甲に口付けを落とした。
昨日の朝刊に『“セレネ公爵”が季節外れの討伐任務中に行方不明になった』と載せる様部下達に命じた。そうであると知れば、“メンシス・ラン・セレネ公爵”との関係を捨てきれないでいるカーネなら何かしらの行動を取るであろうとは思ってはいたが——
「まさか、内向的な貴女が“私”を、雪深い北部にまで探しに行こうとするだなんて……思いもしなかったよ」
熱っぽい瞳を喜びに細め、カーネの指に自分の指を絡めていく。細く、白い手に触れているだけで胸が高鳴り、心臓が煩い。
“初恋”に囚われて、現状を冷静に受け止められない彼女の様子を盗み見ているのは本当に楽しかった。“僕”に恋をしながら、“私”を忘れられずにいる姿は、全てを知る者から見ると『いっそ滑稽だ』と笑う者もいるかもしれない。だが“私”には、全てが全て、ただただ愛おしい姿にしか見えなかった。
「“私”も“僕”も、永遠に貴女から離れる事なんか、絶対に無理だな……」
ぽつりと呟いた言葉は誰に届くでもなく、月明かりだけの暗い部屋の中に溶けて消えていった。
朝になり、カーネが目を覚ました。時計はもう昼手前という所まで針が進んでいる。もっと長く眠るかと思っていたのだが、今のカーネの体は魔法抵抗力も上がっているから起きても不思議はないか。
しばらくは現状が把握出来なかったのか黙ったまま視線を彷徨わせ、“僕”が目に入った瞬間、顔を青くさせたカーネは慌てて上半身を起こした。だが、まだ契約違反の弊害が残っているのだろう。ぐらりと体が揺れ、倒れそうになった体を慌てた素振りで支える。するとカーネは、「あ、ありがとうございます。……すみません」と力なく言った。
ふらつく体をベッドのヘッドボードに預けさせ、背中には黒と白の猫型抱き枕を二つ重ねて詰め込む。動揺で揺れる瞳をこちらに向けるカーネに対し努めて笑顔を向けると、今どうしてカーネがベッドで休んでいる所なのかを説明する事にした。
「……昨日の夜遅くに、猫の鳴き声で目が覚めたんです。真冬ですからね。もし捨て猫だったのなら死んでしまうかもと心配になって窓から外を覗いてみたら、家の前に誰かが倒れていて。ベッドの方に目をやると貴女の姿が無かったので、『もしや』と思った僕は慌てて外へ行き、家の中に運び入れたんです。猫の方もその後探してみましたが、残念ながら発見は出来ませんでした」
出鱈目な話だったのだが、『猫の声』と聞いてカーネがはっとした顔をした。危険を察したララがきっと何かしてくれたのだろうと思ったに違いない。
「そ、そうだったんですか……」
青白い顔を俯かせ、カーネが口元を手で覆う。今の説明だけでは倒れていた理由まではわからず、まだ困惑したままなのだろう。
「……あんな時間に、一体何処へ行こうとしていたんですか?この辺りはタウンハウスが多いから他よりは治安が良い方ではありますが、それでも、深夜に女性が一人で外掛けても問題が無い程では無いのに」
そう言ってカーネの手を握る。咄嗟に振り払われる事なく済んでいる事に安堵しながら、私は言葉を続けた。
「僕には、話せそうには無いですか?」
そう訊くと、カーネが喉を詰まらせ、唇を引き結んだ。まさか言わないつもりなのだろうか。いくら状況を把握はしていても、改めて彼女の口から胸の内を話してはもらえないとなると、信用されていないみたいで正直悔しい。
黙ったまま言葉を待つ。するとカーネは、ゆっくり口を開いた。
「……ち、知人の名前が、新聞の記事に載っていた行方不明者一覧の中にあったんです」
彼女は『知人』と言ってはいるが、どう考えたって『婚約者』の事を指しているのは明白だ。そうであるのだろうと察しているに違いないと、きっとカーネも気が付いているだろう。
「北部にあるクランシェスの討伐の件ですね?」
「そうです」とカーネが頷く。
「捜索隊に加われないかと、思って。人探しなんか未経験ですが、現地に行けば何かしらお手伝いは出来るはずだと……」
魔力も神力も扱えるカーネなら確かに即戦力であろう。討伐も捜索も未経験なので前線には出せないだろうが、後方支援者としてはかなり優秀な腕前を発揮出来そうだ。——『行方不明者の捜索隊』なんてものが、本当に存在していればの話だが。
「それならどうして、そうとは言ってくれなかったんですか?北部のクランシェスは聖女の結界外なので悪天候の日も多いし、とても危険です。事前に相談してくれていれば、僕は喜んで同行したのに……」
「だ、だからです!私の個人的な事情で、ここでの生活があるシスさんを巻き込みたくはなくて」
(やっぱり、か……)
貴女は優し過ぎる。いっそ、どちらも手放したくないと欲張ってくれてもいいのに。そう思いながら少し大袈裟に溜め息をこぼすと、カーネは申し訳なさそうな表情になった。
「僕は、カーネを愛しているのに……何も告げずに出て行かれたら、どうなるかは考えなかったんですか?」
「——ッ」
肩を震わせ、カーネが俯く。
「すみません……自分の事で一杯一杯になっていて……そこまで気が回りませんでした」
「相当、気を病んでいたんですね。過度なストレス状態なのに深夜の冬空の下に出たから、体が悲鳴をあげて倒れたのかもしれません」
「あ、あり得ますね……」
やっと腑に落ちたみたいな顔をしてくれた。
ならばもうもう、それが『真実』って事で良いだろう。
納得している所悪いが、私は追い討ちをかける事にした。敢て神妙そうな顔をし、少し強めにカーネの手を握る。一度は口を開き、言葉を失い、また閉じる。どう切り出そうか、そう考えていそうな姿に見える様努めた。
「どうか、しましたか?」
痺れを切らしてカーネが問い掛けてくる。こちらの雰囲気に引っ張られたみたいに、その表情はひどく不安げだ。
「……その、行方不明の安否が、今朝の新聞に掲載されていたんです」
「——!そ、それで?皆さん無事なんですか⁈」と大声で訊く。
「…… 」
押し黙ると、「教えて下さい、シスさん!」と声を荒げ、カーネは私の腕に縋り付いてきた。
(……あぁ、このまま押し倒せたらいいのに)
そんな本心を“悲壮感漂う表情”という仮面で隠し、気遣う様にカーネを抱き寄せる。そして耳元に顔を近づけてゆっくりと言葉を並べた。
「……全員、遺体で発見されたそうです」
最悪とも言える悲報を聞き、カーネが力無く私の胸に全身を預けた。そんな彼女を強く抱きしめて、「カーネ……」と名前を呟く。腕の中で声を押し殺して泣き始めたカーネの体をしっかりと受け止め、私は安堵した。
(あぁ、今この表情を見られずに済んで良かった……)
小さな庭が見える横に長い窓にうっすらと映る自分の顔が、歓喜に満ちていて高揚も隠せていないからだ。
彼女は既にもう『今』を選んだ。この先に待っている『平凡な幸せ』の邪魔になるのなら“私”であろうが始末する。 カーネは絶対、誰にも渡さない。そう、たとえ彼女自身の心をずたずたに傷つけようとも。だって、そんなモノは『深い愛情』という劇薬をたっぷり塗りたくって癒してやればいいだけなのだから。