組長の則永が帰った後、一樹が楓に聞いた。
「大丈夫か? 初めてだったから緊張しただろう?」
「ちょっとだけ……。でも想像とは違って紳士的な方だったのでびっくりしました」
「うん、うちの組長は人間的にもかなり尊敬出来る人だよ。あの組長の下だから気持ちよく働けるし、俺達はあの人に守ってもらっているんだ」
その言葉から、一樹が組長の事を心から尊敬しているのがわかる。
そこで楓は気になっていた事を聞いてみた。
「一樹のお母様は、カエデの木が好きだったの?」
「ああ。うちのおふくろはカエデや紅葉の木が大好きでね……あの人はいつも背筋を伸ばして凛とした強い女だったよ」
「へぇ……そうなんだ……」
「俺が中学の時に、おやじは銃で撃たれて死んだんだ。若くして未亡人になったおふくろは、おやじがいなくなった後も変わらずに凛としたまま女手一つで俺を育ててくれた。もちろん組長には色々と援助してもらったけどな。ただそんなおふくろも病魔には勝てず、60の時に癌で亡くなったんだ」
「癌で? まだお若かったのに……」
「若過ぎたよな。おふくろは俺にいつもこう言ってた。俺の名前は一樹だろう? だから『一樹、お前は一本の樹なんだよ。だからしっかりと大地に根を張り強い大木になりなさい。そして大きな樹木に成長したら、お前の枝に彩りを添えてくれるカエデのような女性を娶りなさい』ってさ」
「『カエデ』のような?」
「うん。おふくろのカエデに対するイメージは、厳しい冬を前に最後の力を振り絞って鮮やかに色づく……多分そんなイメージじゃないかな? つまり健気でたくましい女性と一緒になりなさいと俺に言いたかったんじゃないかな?」
「健気でたくましい……」
「だから楓と初めて会った時、俺はすぐにピンときた」
「初めて会った時に?」
楓は驚いていた。
まさかあの時一樹がそんな風に思っていたとは夢にも思わなかったからだ。
そこで楓はもう一つ一質問をした。
「お母様がカエデの木を好きなのには何か理由があるの?」
「ああ。おやじとおふくろが初めて会ったのがカエデの木の下だったらしい。ちょうど秋が深まる紅葉の美しい季節だったそうだ」
その時楓の脳裏には、一組の男女が赤く染まったカエデの下で見つめ合っているシーンが思い浮かんだ。
一樹の両親の顔など知らないのに、なぜかその光景がすぐに思い浮かぶ。そして胸が熱くなる。
「ご両親が出逢った楓の木はどにあるんだろう?」
「多分、本家の日本庭園にあるカエデの木だと思う」
「だったら私も見たいわ。一樹のご両親が出逢ったカエデの木を……」
「治ったら連れて行ってやるよ。どうせ本家に挨拶に行かなきゃだしな」
「ありがとう。楽しみにしてる」
楓は一樹の母親が好きだったというカエデの木を見に行く日が楽しみになる。
その時、突然一樹が入院着から片方の腕を引き抜く。
露わになった一樹の身体には、鮮やかな紫色の藤の花と真っ赤なカエデの刺青が刻まれていた。
カエデの刺青を見た楓は驚いた様子で言った。
「カ…エデ?」
「そうだよ。藤は藤堂組の藤、そしてこの赤く染まったカエデは君だ。なぁ楓、俺達は出逢うべくして出逢う運命だったんだよ」
「運命? 私達が?」
「そう。もしかしたら俺達が出逢うのは生まれた時から既に決まっていたのかもしれないな」
そう言った後、一樹は楓を優しく抱き締めた。
抱き締められた際、楓の唇は一樹の肌に刻まれたカエデに当たる。
(私達は出逢うべくして出逢う運命だった?)
楓もなぜかそんな気がしていた。
抱き合った二人の間には、とても優しい時間が流れていった。
その夜楓が簡易ベッドに横になろうとすると、一樹が手招きをして自分の隣に来るように言った。
「大丈夫? 私の振動で傷が痛むんじゃないの?」
「大丈夫。今日は楓と一緒に寝たいんだ」
「フフッ、一樹ったらなんか子供みたい」
「そういえば、いつの間にか名前で呼んでくれてるね」
一樹は嬉しそうだ。
「社長って呼ぶのもなんかよそよそしいかなって……」
「うん、いい判断だ」
その時二人の視線がぶつかる。
二人はしばらく見つめ合った後、互いに引き寄せられるように唇を重ねた。
それは二人が久しぶりに交わしたキスだった。
一樹の唇に触れた瞬間、楓は自分がずっと淋しかった事に気付いた。
一樹にこうして欲しくて、ずっと待っていた自分に気付いた。
キスを終えた一樹が唇を離すと、今度は楓が積極的に唇を重ねる。
すると一樹は一瞬驚いていたが、急に嬉しそうに頬を緩め楓のキスを受け入れる。
熱く長いキスがしばらく続いた後、一樹は残念そうに唇を離した。
「続きはマンションに帰るまでお預けだな」
「じゃあ一日も早く良くならないと」
「頑張るよ」
その時、楓はふと何かの視線を感じた。それは一樹が集中治療室にいた夜と同じ感覚だった。
楓が窓の外を見ると半月がぽっかり浮かんでいる。月はまるで二人を見守るように柔らかな光を放っていた。
(お月様……一樹を救ってくれてありがとうございます)
無意識に楓は心の中で礼を言う。そんな楓を見ながら一樹が聞いた。
「月は日ごとに欠けてるみたいだから、もうすぐ三日月かな?」
「うん……あと三日くらいしたら三日月かも」
「そうか。じゃあ三日月も楓と一緒に見られるな」
一樹の何気ない一言が嬉しかった。
『一緒に』という言葉は、今の楓にとっては『永遠』という意味に思えた。
あの頃の楓は、いつも辛い思いを抱えながら一人で三日月を眺めていた。
でもこれからは違う。
これからはどんな時も一樹が傍にいてくれる。二人で一緒に月を眺めるのだ。
そう考えただけで楓の胸は何かあたたかいもので満たされていくように感じた。
「ねぇ……」
「ん? なんだ?」
「私ね、小さい頃に三日月を見るといつも夜空に浮かぶ船に見えたの」
「確かに…船に見えなくもないな」
「うん。でね、淋しかったり悲しかったりすると、いつも三日月の船に乗ってどこか遠くへ行きたいって思ってたんだ」
「……そうか」
楓の話を聞き一樹は思わず切なくなる。
「うん。でね、あの船に乗ったらお父さんとお母さんに会えるかもって信じてたんだ」
「空の向こうに天国があるんだとしたら……確かに会えるかもしれないな」
「でしょう? だから大人になっても三日月を見る度にあの頃の辛い記憶をつい思い出してた。でもね、今は違うの」
「どう違うんだ?」
「うん。今は一樹が一緒にいてくれるから辛くないなーって」
そこで一樹の胸が更にギュッと疼く。
「楓……」
「なに?」
「もしこの先、お前があの船に乗って逃げ出したいって思う時があってもな」
「うん?」
「俺もお前と一緒に『月の船』に乗ってやるから安心しろ」
その思い遣り溢れる言葉を聞き、楓の瞳に涙が溢れてきた。
しかし泣いているのを見られたくなかった楓は、わざと一樹の喉元に顔を押し付けてこう言った。
「うん……ありがとう」
「俺は絶対に楓を一人にはしないから」
「うん…わかった……」
そこで一樹は一度深呼吸をしてから言った。
「楓、『心恋』って知ってるか? 『心』に『恋』と書いて『うらごい』って読むんだ」
「『うらごい』? 知らないわ」
「大和言葉では『顔』は『表』、『心』は『裏』を意味するんだ。つまり『心恋』っていうのは『心の中で恋しく想う』という意味なんだ」
「へぇ……なんか素敵ね……」
「俺は心の中でいつも楓を想っているから……今も…そしてこの先もずっと……」
「うん……ありがとう……」
楓は今まで感じたことがないほどの幸せに包まれていた。
あまりにも幸せ過ぎて、まるで夢の中にでもいるような気分だった。
それから二人はしばらくの間とりとめのない話をした後、半月に見守られながら深い眠りの中へ落ちて行った。
コメント
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病室のベットで一樹の亡くなった母親の思い出と楓と出会った時が重なるのは素敵な、ストーリーだと思います。 そしてさらに二人の絆が強くなったのは素晴らしいです!
心恋で、うらごい知らなかった。 一つ勉強になった🎵
いい💕すっごくいい💕良過ぎでハート連打です😘