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アドラル皇国
18
1,373
#日常
寿命㌫(主) 🔮🖤ᩚ
2,231
モンゴリア軍の散開した騎兵たちの間から、白い煙が立ち上り始めた。
一つ。
二つ。
三つ。
騎兵たちは、煙を噴き出す何かを次々とリチャードの重装騎兵へ投げ込んでいく。
地面に落ちたそれは、激しく白煙を吐き出した。
たちまち、リチャードの軍が白い煙に呑み込まれる。
「なんだ、これは!」
「前が見えない!」
馬が嘶く。
騎兵たちは手綱を引き、互いにぶつかり合った。
数歩先さえ見えない。
敵も。
味方も。
本陣も。
すべてが白い闇の向こうへ消えていく。
ほんのわずかな時間で、リチャードの重装騎兵は戦場の中央に孤立した。
「前進!」
それを見たカルドが叫んだ。
「リチャードと我らの間に、敵を入れさせるな!」
絶叫にも似た命令だった。
だが――。
その願いを嘲笑うかのように、モンゴリア軍の両翼が動いた。
左右から騎兵の大群が押し寄せ、カルドとリチャードの間へ雪崩れ込む。
「くそっ……!」
カルドは歯を食いしばった。
「ククルースに伝令!」
振り返りざまに叫ぶ。
「正面の軍を援護せよ! 急げ!」
その頃。
白煙の中は、すでに戦場ではなかった。
「目が……目がぁ!」
「ごほっ! ごほっ!」
兵士たちは目を押さえ、激しく咳き込んでいる。
涙が止まらない。
喉が焼ける。
馬さえも鼻を鳴らし、狂ったように首を振っていた。
誇るべき重装甲も。
鍛え抜かれた馬術も。
見えなければ、何の役にも立たない。
白い煙は、リチャードの重装騎兵から、
戦う力そのものを奪っていった。
白煙の中へ、空から大量の矢が降り注いだ。
どこから飛んでくるのか分からない。
敵の姿も見えない。
ただ、白く染まった空の向こうから、次々と矢だけが飛んでくる。
それは、まさに恐怖だった。
「ぐあっ!」
「矢だ! 盾を上げろ!」
悲鳴が上がる。
一人。
また一人。
仲間たちが倒れていく。
その中で、リチャードは必死に馬を操りながら考えていた。
(前か)
(後ろか)
(どちらへ行けば、この包囲を抜けられる)
その時だった。
後方の白煙の向こう。
敵騎兵の姿が、わずかに薄くなった。
退路が開いた。
そう見えた。
「……ちっ」
リチャードは舌打ちした。
「退却すら、罠か」
頭の中で素早く戦場を組み立てる。
(今、後ろへ雪崩れ込めば――)
自軍が本陣へ殺到する。
カルドの軍と衝突する。
隊列は崩れる。
そこへモンゴリア騎兵が襲いかかれば――。
(本陣の壊乱は決定的だ)
リチャードは前を見た。
白煙の向こう。
何が待っているのかは分からない。
それでも。
「……前へ行くしかないか」
小さく呟く。
そして剣を握り直した。
「全軍!」
リチャードは声を張り上げた。
「前進する!」
逃げるためではない。
父の軍を巻き込まぬために。
リチャードは、自ら最も危険な道を選んだ。
リチャードの号令に、残った重装騎兵が動き始めた。
白煙を突き破るように、前へ。
前へ。
だが、進むほど矢は激しくなった。
「殿下!」
声がした。
振り返る。
煙の向こうから、一騎の騎兵が現れた。
「ロビン!」
肩から血を流している。
それでも、まだ馬には乗れる。
リチャードは一瞬だけ周囲を見回した。
後方。
わずかに開いた退路。
罠だ。
分かっている。
だが――。
一騎ならば。
「ロビン」
「はい!」
「父上のところへ戻れ」
ロビンが目を見開いた。
「何を――」
「行け」
「しかし!」
「昔、父から聞いたことがある」
「父は戦場から王冠を抱えて脱出し」
「見事復讐を果たした」
「生きろ。そして、俺の仇を討ってくれ」
「これは命令だ!」
リチャードは怒鳴った。
その声に、ロビンの身体が止まる。
「父上に伝えてくれ」
リチャードは少し考えた。
何を言えばいい。
謝るべきか。
別れを告げるべきか。
だが、そんな言葉は出てこなかった。
「……俺は、大丈夫だと」
「殿下……」
「早く行け!」
リチャードは馬首を返した。
もうロビンを見なかった。
前方。
白煙の向こうから、無数の騎馬の影が浮かび上がってくる。
逃げ道など、どこにもない。
リチャードは剣を握り直した。
「さあ」
口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
「来い」
その背後で、ロビンの馬が走り出した。
一度だけ振り返る。
白い煙の中。
リチャードの姿は、もう見えなくなっていた。
白き煙の檻。
その後方に開いた、わずかな脱出路。
そこへ、包囲を逃れようとした騎兵たちが殺到した。
「退け!」
「道を開けろ!」
血まみれの騎兵が、次々と後方へ駆け込んでくる。
それを見た農民兵、鉱夫兵たちの間に、恐怖が走った。
「負けた……」
「騎士様たちが逃げてくるぞ!」
一人が逃げた。
二人が続いた。
やがて、それは奔流となった。
「待て!」
「持ち場を離れるな!」
将校たちの怒声も、もう届かない。
武器を捨て、盾を放り出し、兵士たちは我先にと後方へ逃げ始めた。
ククルースは何度も重装騎兵の救出を試みた。
だが、そのたびにモンゴリア騎兵が側面から襲いかかり、進路を塞いだ。
「もう一度だ!」
「殿下を救い出せ!」
それでも届かない。
白煙の向こうで何が起きているのかさえ、分からなかった。
カルドもまた、崩れかけた戦線を必死に支えていた。
「踏みとどまれ!」
「ここを抜かせるな!」
その時。
一騎の伝令が駆け込んできた。
「陛下!」
馬から転げ落ちるように降りる。
「ヘンリク卿――戦死!」
カルドの顔が歪んだ。
だが、悲しんでいる暇などなかった。
「予備隊を前へ!」
叫ぶ。
「ここを持ちこたえろ!」
やがて――。
風が吹いた。
戦場を覆っていた白煙が、ゆっくりと流れ始める。
少しずつ。
少しずつ。
白い幕の向こうから、モンゴリア軍の姿が浮かび上がった。
カルドは目を凝らした。
先頭に、一騎の騎兵がいる。
その手には、長い槍。
槍の穂先に――。
何かが掲げられていた。
金色の髪。
血に染まった顔。
カルドは、動かなかった。
声も出なかった。
ただ、その一点だけを見つめていた。
リチャードだった。
息子の首が、
モンゴリア兵の槍の先に掲げられていた。
コメント
1件
第18話、読み終わりました……。 リチャード、最後までかっこよかったです。自分が囮になってロビンを逃がすところ、胸が締め付けられました。「大丈夫だと」って伝言、泣けます。 白煙の戦術、重装騎兵が完全に無力化されていく描写が本当に生々しくて、戦場の恐怖が伝わってきました。槍の先に掲げられたリチャードの首……カルドの心情を思うと、言葉が出ません。 重い展開だけど、だからこそ引き込まれます。次話も楽しみにしてます。