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アドラル皇国
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#日常
寿命㌫(主) 🔮🖤ᩚ
2,231
「リ……リチャード……」
カルドは、白煙の向こうを呆然と見つめていた。
やがて、その顔が憤怒に歪む。
「お……のれええい!」
後方に控えさせていた馬へ駆け寄ると、鞍に飛び乗った。
このまま単身、敵陣へ突っ込むつもりだった。
その時――。
一騎の騎馬が、横合いから駆けてきた。
「親分、負けだ」
ククルースだった。
「ここは退却だ」
そう言ってから、カルドを見て首を傾げる。
「ん? 馬に乗ってる」
そして、にやりと笑った。
「さすが親分。準備がいいなあ」
「……」
カルドは何も答えなかった。
だが、その顔を見た瞬間。
熱に浮かされていた頭が、わずかに冷えた。
いつものククルースだった。
いつもの、くだらない軽口。
それがカルドを、戦場へ引き戻した。
「殿《しんがり》は、あっしが」
「……うむ」
カルドは手綱を握り直した。
「死ぬなよ」
「あたりめえです」
ククルースは笑った。
「あっしはまだ、親分からポーカーの勝ちを取り立てていやせんぜ」
カルドも、ほんのわずかに笑った。
「そうだな」
「じゃあ、後でな」
「へい」
カルドは馬首を返した。
その背中が、味方の軍勢の中へ遠ざかっていく。
ククルースはしばらく、それを見送っていた。
やがて――。
完全に姿が見えなくなると、ゆっくり馬の向きを変えた。
前方。
白煙の向こうから、モンゴリア騎兵が次々と姿を現している。
一騎。
十騎。
百騎。
その数は、見る間に増えていった。
ククルースは肩をすくめた。
「……生かして返しては、くれなさそうだな」
そして剣を抜いた。
数日後。
エスカリオ王宮。
王妃エレノアは、朝から王宮に漂うただならぬ気配を感じ取っていた。
廊下を走る侍従。
慌ただしく行き交う騎士。
そして、誰も自分と目を合わせようとしない。
「コピット」
「はっ」
「重臣を招集せよ。すぐにじゃ」
やがてエレノアは、ジョン王子を伴って会議の間へ向かった。
母の表情がいつもと違うことに、ジョンも気づいていた。
だが、何も聞かなかった。
ただ黙って、その隣を歩いた。
「ジョン」
エレノアが、不意に口を開いた。
「もしものことがあらば……」
そこで言葉が止まる。
何を言おうとしたのか。
エレノア自身にも分からなかった。
やがて二人が会議の間へ入ると、すでに重臣たちが集まっていた。
ほどなく、一人の使者が進み出る。
「申し上げます」
声が震えていた。
「未明、レグザ近郊において、わが軍はモンゴリア軍と交戦」
誰も声を発しない。
「激戦となりましたが……わが軍は敗北いたしました」
ざわめきが広がった。
使者は一度、息を呑んだ。
「ヘンリク卿、戦死」
そして――。
「リチャード王子も……戦死なされました」
エレノアの表情が止まった。
ジョンが息を呑む。
「王は、王はいかがされた」
「カルド王の行方は、現在も分かっておりません」
会議の間が一気に騒然となった。
「静まれい!」
王妃の背後に控えていたウイリアム・マーシャルの怒声が響き渡る。
ざわめきが消えた。
エレノアは、使者をまっすぐ見つめた。
「それで――」
わずかに声が掠れた。
「リチャードは、今いずこにおる」
使者が俯いた。
答えない。
「申せ!」
エレノアの一喝に、使者の肩が跳ねた。
「モンゴリアの将バイダルは……」
一瞬、ためらう。
「リチャード王子の首を掲げ、ウロアフ城へ入城いたしました」
沈黙。
誰一人、動かなかった。
エレノアもまた、何も言わない。
ただ、その両手だけが強く握り締められていた。
やがて――。
「……おのれ」
低い声が漏れた。
「おのれ……蛮族どもめ」
だが、次の瞬間。
エレノアは顔を上げた。
そこにいたのは、息子を失った母ではなかった。
エスカリオ王妃だった。
「よいか」
一同を見渡す。
「以後、ジョン王子を代理執政とする」
「全土に非常令を敷け。各地の諸侯には、王都の命なく兵を動かすことを禁ずる」
「コピット」
「はっ!」
「何より先にカルド王を探せ。生死を問わず、必ず見つけるのじゃ」
「はっ!」
「マーシャル」
「ここに」
「二万の騎士に動員令を発せよ。私の指示があるまで、そなたが預かれ」
「承知」
「ネルソン」
「はっ」
「海軍を出撃させよ。沿岸諸都市を監視せよ」
エレノアの目が鋭くなる。
「この混乱に乗じ、敵になびく者があれば――」
一拍。
「容赦はいらぬ」
誰も口を挟まなかった。
「分かったら、すぐにかかれ!」
「はっ!」
重臣たちが一斉に立ち上がる。
ジョンもまた、母を見つめていた。
エレノアは最後まで、涙を見せなかった。
そして――。
すべての命令を出し終えたあと。
一人、自室へ戻った。
扉を閉める。
侍女さえ入れなかった。
しばらく、何もせず立っていた。
やがて。
「……リチャード……」
その名を呼んだ瞬間。
膝から力が抜けた。
エレノアは寝台に縋りつくようにして顔を伏せた。
声が外へ漏れぬよう、口元を押さえる。
それでも嗚咽は止まらなかった。
王妃ではなく。
ただ一人の母として。
エレノアは、息子のために泣いた。
コメント
1件
「ククルース……!」って声が出ました。あの軽口で親分を生還させて、自分は残る。彼なりの覚悟がにじんでいて、胸が熱くなりました。そしてエレノア王妃。重臣の前で一滴も涙を見せず、国を支える指揮を執り続けた強さ。それでも一人きりになって「リチャード……」と崩れ落ちる姿に、母親としての痛みがひしひしと伝わってきて、こちらも涙が止まりませんでした。公と私、二つの顔を抱える人間の描写が本当に丁寧で、心を揺さぶられる回でした。