ナースステーションに居る看護師に泊まる旨を伝えると、簡易ベッドの位置と布団のある場所を教えてくれた。教えてくれた看護師と一緒に病室まで戻り、場所を確認する。運んで広げるのを手伝ってくれようとしたが、「自分で出来ますから」と断った。
寝床を用意し、唯の方を見ると、もうすでに穏やかな寝息が聞こえた。さっきまでは相当頑張って起きていたんだろう。時間も遅いし、寝ていて当然だ。
(俺も休むか)
そう思うも、最近は一緒のベッドで寝るのが普通になってきていたせいか、一人でベッドに入るのが少し寂しい。簡易ベッドなせいか、狭いし、硬いし。
仕事で泊まる時はもっと粗末な環境で寝たりもするっていうのに、唯が傍に居るってだけでつい我侭になってしまう。
でも『一緒に寝たい』なんて事が、記憶が無い上に、既に眠っている相手に言えるはずもなく。でも、それでも、唯に触れたい衝動だけは我慢出来ずに俺は、規則的な寝息をたてている唯の頬にそっとキスをした。
寝ている彼女にこんな事をするのはいつ以来だろうか?
薬で無理に寝かせ、墓場まで持ち帰る様な秘め事まで作った事もあったが、それももう随分前の話だ。
唇をそっと離し、唯の頬をぷにゅと押す。
「よりにもよって、健忘症とはなぁ…… ったく」
本人の起きている前では言えないが、どうしても愚痴がもれてしまう。
「他の全てを忘れいてもいいから、俺だけは覚えていて欲しかったのに…… 」
呟く言葉と一緒に、目頭がカァと熱くなり、気がついた時には涙が頬を伝い落ちた。
一つ、二つ…… 。
零れてはベットのシーツに小さなシミに作っていく。
「くそっ…… 」
手の甲で涙を拭い、俺も寝ようと簡易ベッドまで戻ろうとした時だ——
「寝られないの?」と、寝惚け顔の唯が俺の服の袖を引いた。
「…… ここ、空いてるよ?」
ベッドの隅にゆっくり寄り、スペースを作ると、唯がポンポンッとそのスペースを叩いてみせた。『空いている』とは言っても、シングルベッドに二人で寝ては狭い。絶対簡易ベッドの方が一人で眠る分広いだろう。
それになにより、絶対に唯は寝惚けてる!
自分で言っている言葉の意味なんて絶対に分かってない異性の布団になんて、入れるわけがなかった。今は『知らない男』をベッドに招き入れ様としているんだって事にも、きっと気が付いていない。
「駄目だよ、一緒には寝られない」
袖を掴む手をそっと離してそう言うと、唯が不思議そうな顔をする。
「何故?まだスーツだから?待ってるよ、脱いだら?」
的外れな言葉が返ってきた。
「ぬ…… 脱いだらって、お前なぁ、意味も分からずに言う言葉じゃないぞ?」
『妻』である唯と話しているような気持ちになり、言葉が崩れた。少し呆れながら、唯の頭を犬でも撫でる様に少し乱暴に撫でる。
「待ってるよ、待ってるの…… 日向さんをね…… 」
段々声が小さくなり、言葉が途切れた。
「…… 唯?」
顔を覗き込むと、また寝息をたてている。
「——寝たか」
少し残念な気もしたが、二人きりで話せた事に少し嬉しくなった。
「今回は、苗字はすぐ覚えたみたいだな」
そう呟き、スーツの上着を脱いでベッド横にある椅子に置く。ロッカーにはハンガーもあるんだろうが、唯の寝息を聞いていたせいか酷く眠くなってきたので面倒でそこに。ベルトも外し、ワイシャツ姿のまま寝ようとしたら、また唯が俺の服を掴んできた。
「…… 離してくれないと寝られないんだけど」
「違うでしょ?こっちでしょ?」
ぐいぐいとワイシャツを唯が引っ張る。
「寝てたよな?今さっきまで」
「知らない、寝てないよ?」
寝惚け声でそう訴えるが、さっきまで確実に意識は飛んでいた。
「寝てないもの…… 寝てないの」
酔っ払いみたいに繰り返し、唯の瞼がゆっくり落ちていく。
「…… わかったよ、今朝になって驚いても知らないからな?」
「平気だよ、怖くないもの。…… 寝れないの?こっちおいでよ」
今にも舌を咬みそうな、たどたどしい言葉遣いでそう言い、唯はまた俺のワイシャツを引っ張った。でも力が入ってない。今度こそ本当に寝るのかもな。
引かれるがまま、俺は病院の狭いベッドに一緒に入りると、抱き枕にしがみ付くように、唯が俺にしがみ付いてきた。流石にそれには焦り、腕を解いて彼女に背を向ける。すると、今度は俺の背中に唯は抱きついてきた。
(唯に、抱き癖何かあったか!?)
見た事の無い一面を見た事への驚きが隠せない。
「離れてくれないか?流石にちょっとこれは…… 」
休暇が取れず、夜の営みがご無沙汰なせいも相俟って変な気分になっては困ると思い、そう唯に声を掛けたが全然反応が無い。
どうやら、今度こそ本当に寝てしまったみたいだ。
「参ったなぁ…… 」
そうこぼしつつも、正直嬉しい。『俺だから』なのかはわからないが、それでも、記憶が無い今の状況であってもこうして抱きついてくれた。少なくとも俺に対しての警戒心は無く、嫌いではないのだろうと推測は出来る。
「また、好きになってもらえるだろうか?」
そっと呟き俺は、胸の方にまで手を回し抱きつく、唯の手に自分の手を重ねて眠る為に瞼を閉じた。
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