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ティアたちのいるこの部屋は、大急ぎでこしらえた賓客部屋のため、家具の配置が少しおかしい。
本来、空間を広く見せるために入口付近には家具を置くべきではないのに、扉を開ければ、まず最初に長椅子がででんと視界に入る。
露店のように広げられたアジェーリアの小物類を見て、部屋に飛び込んで来たグレンシスはひっそりと眉をひそめた。
これでもまだマシにしたのに。
ティアは小言も言われてもいないのに、心の中で反論する。
けれど、グレンシスがそこに意識を向けたのは一瞬で、すぐにアジェーリアの元に近づき、膝を付いた。
「夜分遅くに、ご無礼をお許しください」
「そちが無礼を働くということは、事態は相当逼迫しているということじゃろ?前置きは良い。早く言え」
鏡台に腰掛けたまま、アジェーリアはぞんざいに言った。
けれどグレンシスはすぐに口を開かない。はつまり、とても口にしたくないことなのだろう。
アジェーリアと、グレンシスの間に位置する場所で立っているティアは、それくらいは雰囲気でわかる。
事細かに推測することまではできないけれど、グレンシスは、昼間と同じ深紅のマントを身につけてはいるけれど、中の服装は遠征服ではない。略式の甲冑姿。
大きな手は手袋に包まれているけれど、普段のものではない。分厚い革でできたそれは、本気で剣を握るときのもの。
「申し訳ございません。ここを警護する兵の中に、反逆者に内通する者がおりました」
不治の病を宣告するかのようなグレンシスの口調に、アジェーリアは肩をすくめるだけだった。
「まったく困った者たちじゃの」
17歳という少女にしては、やけに大人びた口調だった。
まるで、わんぱくな子供に手を焼く母のような、それでいて、手のかかる生徒を窘める教師のような声音。
それを耳にしてティアは、アジェーリアにとって、身の危険を冒そうとする者だって愛すべきものの一つだということを知る。
反逆者の名を問いただすことも、名も知らぬ者に対して怒りすら向けないのが、何よりの証拠だ。
「で、わらわはどうすれば良いのじゃ?」
小首を傾げて、アジェーリアは、グレンシスに続きを促した。
「早馬の知らせで、反逆者たちは小規模な軍勢となり、ここに向かっております。このままだと、この城塞で暴動が起きます。ですので即、ここを離れていただきます」
かなり端折った説明に、アジェーリアはしっかりと頷いた。全てを理解し、納得しているようだ。
一方ティアは、急に変わった状況に、思考が追い付いていかないが、グレンシスはわかりやすく説明する気はないようで、補足を始めてしまった。
「少し離れてはおりますが、ハンネ卿の屋敷がございます。そこに移ります。国境までは離れてしまいますが、それでも定刻には間に合わせます」
「ハンネ卿……ああ、何度か手合わせした、あの者か。……懐かしい。良い太刀筋をしておったわ」
王女としても、淑女としても、どうかと思われる発言であった。
けれど、グレンシスには、そこには触れず、アジェーリアを真摯に見つめたあと、深く深く頭を下げる。
「全ては、私の失態です。……どうかお許しください」
いつもはよく通る太い芯のあるグレンシスの声は、今は震え掠れている。
その抑えきれない怒りは、内通者に対して向けているのか、反逆者に対してのものなのか。
それとも、こういった事態を予測できなかった自分自身に向けてのものなのか──その、全部なのか。
「良い。面をあげよ」
アジェーリアからそう言われても、グレンシスは顔を上げようとはしなかった。
そんなグレンシスを見てアジェーリアは微かに笑うと手を伸ばし、グレンシスの肩に手を軽く揉んだ。
「実は、わらわはハンネ卿と最後に、手合わせしたかったのじゃ。なかなかの粋な計らいじゃ。グレンシス、感謝するぞ」
「恐れながら……ハンネ卿は、ご高齢であります故、それだけは……その……どうかご勘弁を……」
歯切れの悪いグレンシスの説得にアジェーリアは声を上げて笑った。全ての状況を笑い飛ばすかのように、豪快に。
それを見て、グレンシスの表情もほんの少しだけ和らぐが、一部始終をずっと側で見ていたティアは、きゅっと唇を強く噛む。
寸分も入る隙間のない二人だけの絆を見せつけられて、嫉妬を覚えたわけじゃない。
最悪の事態に備えていたことをやろうと、心に決めたからだ。それは、ティアしかできないこと。
覚悟を決めたティアがどう実行しようか考え始めた瞬間、グレンシスは立ち上がった。
「馬車の用意は整っております。すぐにでも……と、言いたいところですが、身なりをある程度整えてから、お越しください。あとは……その、そのままで」
「わかった。急ぎ準備をしよう」
チラリと長椅子に目を移したグレンシスに対して、ティアはつい肩をすくませてしまう。
「……それと、ティア」
部屋を散らかしたことにグレンシスから小言が飛んでくるかと思い、ティアは身構えた。
お説教だけならまだいいが、いや、まさか、邪魔になるから、ここに捨て置かれる……とか?
思わず後ずさりするティアを引き留めるかのように、グレンシスは手を伸ばす。
「こんなことになって、すまない」
「……へ?」
頬を撫でられ、夢かと思うほど優しい言葉がかけられた。革独特の香りが鼻をつく。
間抜け面をするティアを、グレンシスはそのまま自分の胸に引き寄せ、抱え込む。
「怖いと思うが………安心しろ。必ず、守る」
この度が始まってからずっと、徹底的に無視されていたのに。
今日に限ってグレンシスが、自分にそんな言葉を向けることにティアはひどく驚いた。
驚き過ぎて、ティアは何も言えなかった。
いつもの癖で、瞬きを3回する。そうしているうちに、グレンシスはすぐに腕を解き、部屋を後にした。