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怜と奏の演奏に、会場からは割れんばかりの拍手に包まれる。
奏は椅子から立ち上がり、怜と一緒に一礼すると、更に大きな拍手が二人に送られた。
司会者から創業パーティのお開きのアナウンスが告げられ、会場からは招待された人たちがロビーへと流れていく。
ピアノの譜面台に置いてあった楽譜をトートバッグにしまっていると、副社長の圭がこちらに向かって来た。
「音羽さん、本当に今日はありがとうございました。怜も楽しそうにサックス吹いてて、素晴らしい演奏でした」
圭は穏やかな笑みを見せて奏に挨拶する。輝きを纏ったような笑顔は、婚約者を公に披露したせいなのか、彼女には神々しく感じてしまう。
「挨拶が遅れてすみません。改めまして、ご婚約おめでとうございます。いつまでも仲良く、お幸せに」
「ありがとうございます。今後も真理子のためにも、より一層邁進していきます。では、失礼します」
奏は圭に深々と一礼した後、宴会場を後にした。
先ほど怜と演奏した時、涙が零れてしまったのを思い出し、奏はホテルを出る前にパウダールームへ向かう事にした。
人気の無い通路を通り、パウダールームへ通じる角を曲がろうとした時、男女の会話が低い音量で聞こえてくる。
(誰かいるのかな……)
曲がった瞬間に見えたのは、怜と圭の婚約者、園田真理子だ。
二人は奏に気付かず、ヒソヒソと話をしている。
見てはいけない物を見てしまったような気がした奏は、慌てて一歩下がり、身を隠した。
周囲には誰もいないせいなのか、あるいは声が響きやすい場所なのかはわからない。
だが、怜と真理子の声は、奏にもはっきりと聞き取れる。
二人に気付かれないように、奏はチラリと顔を出し、様子を探った。
『…………それでもやっぱり……私、怜の事が好き。あなたが私と圭さんのために演奏してくれた時……すごく……辛かった……』
怜は前髪を鬱陶しそうに掻き上げながら、真理子に言葉を突きつけた。
『君が俺に別れようと言った理由は、俺がハヤマを継がないからだろ? だから君は俺と別れて圭と恋人になった。俺は元々会社を継ぐ気なんて無かったし、君は俺といるより、圭と一緒にいた方が幸せになれる。君が望む社長夫人の座も、圭と一緒になる事で手に入れられる』
(ああ、やっぱりこの二人、元恋人同士だったか。しかも園田さんは、彼らの見た目の良さや家柄、ステータスに惚れたって人か。ギロッポン女子系……?)
盗み聞きするのは悪いと思いつつ、奏の足はフロアに張り付いたまま動かない。
と同時に、鼓動が慌ただしくバクバクと音を立てる、奏の心臓。
『でも……』
『俺は外回りに出て、お客さんと会話をしながら仕事をするのが好きだ。秘書を引き連れ、役員執務室に籠って仕事する柄ではない。それに、今更やっぱり俺の事が好き、と言われても困るし迷惑だ。俺たち、別れてから何年になるんだ? 君は今、圭の婚約者だぞ?』
『そ……それは……』
怜がハァっと大きくため息を吐いた後、前髪をクシャリと掴む。
『今、俺には気になる女性がいる。だからもう、いい加減俺に構うのはやめろ。早く戻らないと、圭に怪しまれるぞ?』
『気になる女性って…………もしかして……音——』
『……君には関係の無い事だ』
怜が言葉を吐き捨てた後、コツコツと足音が奏に迫ってくる。足音は、恐らく彼のものだろう。
(ヤバっ! 隠れなきゃ……!)
奏は周囲を見回すと、すぐ側に大きな観葉植物を見つけた。慌てながらもしゃがんで身を隠し、怜が立ち去るのを息を潜めながら待つ。
目の前を怜が通り過ぎていくと、啜り泣く声が聞こえてきた。
(何やってんだ、私……)
ウンザリしながら、奏はしょっぱい顔を浮かべ小さくため息を吐くと、園田真理子は駆け足でパウダールーム前を立ち去った。
(あんなに園田さんを思ってくれる圭さんがいるのに……何なの? サイアク……)
ハイヒール特有のカツカツ音が消えた後、奏は立ち上がりながら心の中で毒付き、ようやくパウダールームで化粧直しができたのだった。