テラーノベル
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鼻を突く消毒液の匂いと、精密機器が発する低い駆動音。
ここはナンバーズの地下最深部にある特別尋問室だ。
俺は、マジックミラー越しに「それ」を眺めていた。
部屋の中央、拘束椅子に縛り付けられたシオリは、俯いたまま微動だにしない。
つい数時間前まで、一方的に俺を支配し、そのプライドも精神も徹底的に苦しめ抜いた怪物とは思えないほど、今の彼女は華奢で、どこか儚げにさえ見えた。
だが、俺の体はまだ、あの時の熱を忘れていない。
三錠の薬がもたらした、全身の細胞が沸騰し、作り替えられるようなあの地獄の苦痛。
左腕に残る異形の感覚が、俺が「人間」の境界線を踏み越えたことを思い出させる。
「おい、No.1早く検査室へ戻るんだ! 三錠の服用による身体変異の数値がまだ不安定なんだ。このままでは戦闘中の詳細なデータが消えてしまう! 貴重なサンプルの状態を確認するのが先決だ、その女にかまっている暇など……」
背後で、俺を「最高級の実験体」としか思っていない研究者たちが、ヒステリックに声を荒らげる。
こいつらにとって、俺の命よりもデータの方が価値があるらしい。
「黙れ。……殺すぞ」
俺は振り返らず、ただ低く、ドスの利いた声を投げた。
空気が凍り付く。今の俺には、こいつら低俗な人間を言葉だけで圧殺できるほどの「力」が宿っている。
「こいつには聞きたいことが山ほどあるんだ。……すぐに終わらせる。あんたたちの欲しいデータとやらが取りたいなら、そこで黙って待ってろ」
研究者たちが息を呑み、言葉を飲み込む気配がした。
俺は震える手でマイクのスイッチを入れ、冷たいガラスの向こうへ声を送った。
「……おい。いい加減、寝たふりはやめたらどうだ。シオリ」
スピーカーを通した俺の声が、尋問室の冷たい空気を震わせる。
俯いていたシオリが、ゆっくりと顔を上げた。
「……うふふ。バレてたのね」
「……聞きたいことがある。まずは、なぜ君のような部外者が『ナンバーズ』について知っているかだ」
ナンバーズ。それは一般に存在すら知られていない。
国家が戦争のために極秘裏に進めてきた『改造人間プロジェクト』だ。国の重鎮たちはこの実験を成功させるために、常に優秀な人材を欲している。
俺がここを知っているのは重鎮たちとのパイプがあるからだ。
そして俺は、自分の意志でここへ来た。
だが、シオリは俺のその「選択」すらも泥で塗り潰すように笑った。
「ふふ、アレン様。あなた、本当に何も知らないのね。ここはね、選ばれた優秀な人間が来る場所なんかじゃないわ。……どこにも居場所がなくて、消えても誰も心配してくれない、生きる価値のない人間が、組織の兵器として生まれ変わる場所なのよ」
シオリは不自由な姿勢のまま、首を傾けて俺を射抜く。
「重鎮たちがあなたを受け入れたのは、あなたの覚悟に感銘を受けたからじゃないわ。どうしようもない人間ではなく優秀なアレン様が自ら実験体になりに来たからよ。」
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シオリの瞳が、悦びに歪む。
「『優秀な人間が、わざわざ自分から兵器になりたいと申し出てきた』。……そんなの、彼らからすれば『最高に使い勝手のいい、自ら飛び込んできた最高級の肉塊』でしかないわ。」
「な、なんだと……」
マイクを握る指先が、目に見えて震える。
俺ですら知らなかったナンバーズの「本音」を、なぜ目の前の女が知っている。
「俺も知らない情報を、なぜ君が知っているんだ! 答えろ、シオリ!」
俺の怒鳴り声がスピーカーを割らんばかりに響く。
だが、シオリは動じない。
むしろ、自分の失敗を悔やむように、寂しげに瞳を伏せた。
「……ええ。私と同じ覚醒者。予知?の能力を持っている人から聞いたのよ」
「予知……?」
「ナンバーズのことも、覚醒者のことも……うふふ、アレン様の能力のことだって、本当はその人が教えてくれようとしていたのに。私がちゃんと聞いていなかったせいね。……そのせいで、アレン様を私のものにできなかった……」
「……次の質問だ。答えろ、シオリ。覚醒者とは一体何なんだ!?」
シオリは腕を後ろに縛られた不自由な姿勢のまま、くすくすと狂ったように笑い始めた。その笑い声が一段落すると、彼女は憑き物が落ちたような無機質な声で語りだす。
「……あの人が言うにはね、この先、私たち人間に『恐ろしいこと』が起こるそうよ。……それを防ぐために、神様が人間の脳や体の120%……本来なら封印されているはずの潜在能力を引き出した。それが『覚醒』」
神様、だと……?
あまりに荒唐無稽な言葉に息を呑む俺をよそに、シオリは淡々と続ける。
「ただ、誰もがその負荷に耐えられるわけじゃない。……選ばれし者だけがその過酷な進化に適応した。それが、私たち『覚醒者』なのよ」
「それであんなデタラメな能力を使うのか……!」
思わずマイクを握りしめ、叫んでいた。
シオリの精神支配。そしてレイの、あの「影」を操る得体の知れない力。どれもが人間の枠を超えすぎている。
だが、シオリは冷たく、残酷なほど美しい微笑みを浮かべて首を振った。
「勘違いしないで、アレン様。……覚醒しただけの『有象無象』に、私のような力は使えないわ。選ばれた覚醒者の中でも、さらに極限まで適応した『本物』だけが、固有の異能を手にできるのよ」
シオリの言葉が、俺の常識を粉々に砕いていく。
シオリ、レイが見せたあの理不尽な力は、覚醒者の中でもさらに選ばれた「異常者」だけの特権だというのか。
「……じゃあ、その『覚醒者』とやらは、この国に何人いるんだ!?」
俺の問いに、シオリは縛られたまま少しだけ首を傾け、考えるように目を細めた。
「……そうね。私のように『固有の力』を持つ本物が何人いるかは分からないけれど……。ただ身体能力が引き上がっただけの『普通の覚醒者』なら、100人くらいはいるんじゃないかしら? ……あくまで私の予想だけどね」
「な……っ、100人だと……?」
絶句する俺の耳に、スピーカー越しにシオリの愉悦に満ちた笑い声が届く。
俺は震える手でマイクのスイッチを切り、逃げるように尋問室を後にした。 冷たい廊下の空気さえ、今は、これから来る嵐の前触れのように感じられてならなかった。
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