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「おやまあ、徳子《なりこ》様も、なかなか手厳しいですなぁ。これでは、守近が、あちらこちらへ出入りするのも、頷ける」
一瞬にして、場の空気が凍りついた。
よりにもよって、徳子の事を軽々しくも。そして、守近の事まで、余計な事を。
皆の射るような視線などお構い無しで、斉時《なりとき》は、酒の力も加わり、一人喋り続ける。
「まあ、そうゆう訳で、こうして、土産も用意して伺ったのです」
自身の前に盛り付けられている、乾き物を、誇らしげに指し示す斉時に、沙奈《さな》が声を挙げた。
「違いますっ!出入りの商人のおじちゃん達が、お方様に精を付けて欲しいと、差し入れてくれたものですよ!沙奈が、預かろうとした所、斉時様が取り上げて、ご自分の手柄にしたのですっ!」
まぁ!と、女房達が呆れ声を漏らしたとたん、それではと、次々に 斉時から、膳を取り上げ、徳子の元に差し出した。
「え?沙奈よ、そりゃあ、ちょっと話が違うんじゃないか?というより、ああ、せめて、その干し雉肉は!酒のつまみに、置いといてくれ!」
斉時の叫びなど、誰も聞く耳を持たず。女房達は、守近と徳子を囲み、ワイワイと品定めをし始める。
「ほお、なかなかの良品ですね。徳子姫」
「守近様、本当にもったいない話ですわ」
「お方様!椿餅《つばいもち》ですよっ!」
「ふふふ、沙奈や、欲しいのね?構わないわよ。お食べなさい」
「あーこらこら!ダメよ!沙奈、これは、お方様のお体の為なんだから」
「あー!そうでした。お方様のやや様の為でしたぁ!」
はははと、愉しげな笑い声が響く。
気に入らないのは、斉時で、妙に座った目付きで一言。
「お前さん達、物忌《ものいみ》中じゃないのかい?何が、そんなに愉しいんだ?」
「あら、その物忌の屋敷へ、方違《かたちが》えに来られる公達がおられるようで。なんと、おかしな話でしょう。ふふふ」
なぜか徳子が、凍りついた目を向ける。
女房達の笑顔は、一瞬にして消え去り、さっと、守近へ視線を移した。
自分たちでは、納めきれないと言うことらしいが、守近は、いきなりの徳子の変貌に、面食らっており、女房達の訴えなど、目に入っていなかった。
「な、徳子姫、あ、あ、そうだ、あの阿呆具合が、やや様にうつるといけませぬ!守近が、退治いたしましょうぞ」
しどろもどろになりながら、守近は立ち上げると、斉時の腕を取る。
「お、おい、守近!」
「続きは、私の房《へや》で。それなら、構わんだろう」
言って、酔いのまわった斉時を引っ張りだした。
なにやら、斉時の抗い声が流れているが「物忌」は、消え去ったようだ。
「少しお灸を据えすぎたかしら?」
徳子が、笑っている。
「さて、私《わたくし》一人では、食べきれないわ。皆で、食しなさいな」
わあっと、女房達の歓声が挙がった。
その頃、酔いのまわった斉時《なりとき》に、守近は、これでもかと食ってかかっていた。
「そう怒るな、守近よ」
脇息《きょうそく》を抱えるようにして、もたれ掛かっている斉時は、まだ、酒が欲しいと、ごちている。
「全く、人の屋敷を何だと思っている!」
「まあまあ、守近、そう、カリカリすんな。その理由も、分かってんだから」
斉時は、ニヤケ顔を崩さない。
何を企んでいるのか、さっきから、酒のせいとは思えない、奥歯に物が挟まったような、どこか引っかかるような物言いをしてくれていた。
「……で?守近」
「なんだ?」
「だから、お前さんが苛立っている理由。あの姫だよ。どうなってんの?」
「は?」
「は?って、お前さんねぇ」
斉時の言うには、かの少将としたことが、さる姫に、歌を送っても返歌をもらえないでいる。九度送れど梨の礫《つぶて》。そこまで、少将を無下にするとは、と、皆、興味津々らしい。
「……それは、初耳だな。その惨敗ぶりに興味があるのか、相手の姫君に興味があるのか。私としては、そちらが知りたいよ」
この手の噂は、ままあることだが、内容は湾曲しつつも、守近にもそれなり覚えがあった。しかし、今回に限っては、まるきり身に覚えのない話だった。
「うん、権中納言、藤原時忠《ふじわらのときただ》が娘《ひめ》、確か、鴇《とき》殿。おん歳十六歳」
「……中納言……時忠……。あー!あの、色ボケ?!」
「おっ!守近!白状するかっ!」
「おいおい、違うよ、斉時。時忠殿だよ!」
「時忠……?あー!あの色魔!」
屋敷の内は、当然のことながら、外に至っても、手当たり次第、女《おなご》に手を出している。しかし、中納言という身分でありながら、屋敷に、側室として、誰一人上げない。なんとも無作法な男……。その男に、姫がいたとは。
「そうだ!あの男、北の方と、うまくいってないようで、屋敷にほとんど帰っていないらしい。お陰で、北の方は、床《とこ》に臥せっておられるとか、嫉妬から鬼にとりつかれてしまったとか、噂に事欠かないんだ」
「そんな厄介な所と、私がかい?」
「おお、それも、そうだ。お前さんらしくない」
仮にも竹馬の友を名乗りあう仲、斉時は、守近の好みを良く理解していた。見た目もだが、後腐れのない、大人の付き合いができる女《にょにん》が、守近の好みなのだ。ひとえに、徳子《なりこ》あっての事なのだが、それならば、どうして、と問うのは、野暮な話なのだった。