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披露宴会場で食事を楽しんでいる時に、ふと耳に入ってきたピアノの旋律。
葉山 怜は食事の手を止め、しばらくの間そのメロディを耳で追いかけていた。
(この曲……T–SQUAREの『WHEN I THINK OF YOU』か……?)
T–SQUAREの曲の中でも、怜は、この曲が特に好きだ。
『WHEN I THINK OF YOU』は、三十年以上前に発売されたT–SQUAREのアルバム『NEW-S』に収録されている楽曲。
音楽配信サイトで偶然にもこの曲を知り、怜は迷わず一曲買いしてダウンロードした。
音楽ジャンルはフュージョンだが、原曲はピアノの伴奏とアルトサックスのメロディから始まり、後にドラム、シンセサイザー、エレキギター、エレキベースが加わっていく明るめのバラード調の曲。
サビの部分で同じようなフレーズが四回続く部分が、好きな人の事をずっと考え続けているみたいで、サックスの音色も切ない想いを纏わせているように感じるのだ。
高校時代、吹奏楽部に所属してサックスを吹いていたせいか、怜の耳はサックスがメインで演奏されている曲に反応してしまう。
T–SQUAREの曲は、高校時代にも定期演奏会などで何曲か演奏した事もある。
メジャーな楽曲といえば、F-1レース番組のテーマ曲『トゥルース』だろう。
まさか友人の結婚披露宴で、自分の特に好きな曲がピアノの演奏で聴けるなど、怜は思いもしなかった事だった。
(ピアノを弾いてる人、T–SQUAREの曲を知っているって事は……もしかしたら吹部だった人か?)
フュージョンというジャンルは、どちらかというと、マイナーな音楽ジャンルかもしれない。
吹部でT–SQUAREの曲を演奏し、初めてフュージョンというジャンルを知る人が多いと言われている。怜もその中の一人だ。
怜は興味本位で席から立ち上がり、ピアノを演奏している女性の元へ向かった。
演奏の邪魔にならないように、ピアノから少し離れた場所で、演奏している女性の顔を伺った時、怜は静かに瞠目した。
(この女性……どこかで見た事ある……よな……?)
女性が奏でるピアノの旋律に心地良さを感じながらも、怜は記憶の引き出しを片っ端から開いてみるが、すぐに思い出す事ができない。
だが、女性の意思の強そうな黒い瞳は、以前見た事があると、怜は確信していた。
不意に、彼女が鍵盤から顔を上げ、怜と目が合うと、彼は柄にも無く身体を小さく震わせてしまった。
(彼女とどこかで……会っているはずなんだよな……)
あの目に力が宿った瞳は、そうそう忘れるものではない。
思い出せない自分にもどかしさを感じながらも、怜は、彼女の紡ぎ出すピアノの音色をただ聴く事しかできず、立ち尽くしたままだ。
(しかし、綺麗な女性だな……)
髪を夜会巻きにし、綺麗な顔立ちの彼女は、何物も寄せ付けない冷たい雰囲気すら感じられる。
クールビューティという言葉があるが、彼女はまさにこの言葉にピタリと当てはまるような気がした。
そんな事を考えていると、いつしか彼の大好きな曲が終わり、司会者のアナウンスで怜はハッとした。
「それでは、これより新郎新婦はお召し替えのため、しばらくの間、中座させて頂きます。皆様、大きな拍手をお送り下さい」
ピアノを奏でる女性は、新郎新婦が中座する際にも、洋楽のバラードをサラリと弾きこなしている。
花婿と花嫁が退場していくのを見届けたのか、女性はピアノの椅子から立ち上がり、会場の外へ向かって行った。