麗子が外に出てドアがパタンと閉まると、壮馬が話し始めた。
「どうぞ。素敵なアレンジを作ってもらったお礼にコーヒーでも飲んで行って下さい」
「あ、ありがとうございます」
花純はペコリとお辞儀をすると、コーヒーを一口いただく。
(ただの配達の人間にコーヒーを出すなんて、この会社は一体どうなってるの?)
花純は心の中でそう呟く。
とにかく、この落ち着かない状況からは一刻も早く逃げ出したかったので、
早くコーヒーを飲んでしまおうとまだ熱いコーヒーを必死に飲む。
そんな花純を可笑しそうに眺めながら壮馬が言った。
「代金はすぐに振り込んでおくよ。で、名刺は出来た?」
花純は一瞬ポカンという表情をしていたが、その意味が分かるとそして慌ててポケットから名刺入れを取り出す。
そして一枚壮馬に壮馬渡した。
「ありがとう。で、藤野さん、ちょっと一つ相談なんだけれど」
「……?」
「実は今度空中庭園の植栽を全て取り換える事になってね…」
「えっ?」
花純は驚いていた。
あの庭園はまだ出来て間もないはずなのに、目の前の男はその植栽を全て取り換えると言っているのだ。
驚かないはずがない。
「で、君の力を借りたいと思ってね」
「…………」
「びっくりさせちゃったね。でも君は植物のプロだろう? そしてあの庭園の欠点を指摘してくれた。だから君ならこのプロジ
ェクトに適任だと思ってね…」
花純はまだ驚いていて上手く言葉が出てこない。
しかし何か言わなくちゃと慌てて口を開いた。
「私はプロじゃありません。前職ではまだ修行中の身でしたから」
「そうだったね。確か、一生懸命修行をしていたのに突然花屋に飛ばされたんだよな? だから修行も無駄に終わった…」
「なんでそれを?」
花純はムッとして言った。
「ハハッ、まあ同じビルにいると色々と耳に入って来るんだよ」
その時花純は、壮馬の情報網の凄さに驚いていた。
しかしあれほど大きな会社の副社長をしているのだ。
だから壮馬はこのビル内で起きている事は全て把握しているのだろう…そう思った。
しかしなぜ壮馬が自分にこんな話を持ち掛けてくるのかが理解出来ない。
花純が黙っていると、壮馬が再び言った。
「で、君の会社って副業OKなんだってね」
「そうですが…それが何か?」
「うん。空中庭園の改良プロジェクトチームに是非君に入ってもらえないかと思ってね。もちろんフローリストの終業後でOK
だ。毎週金・土の週二日。時間は五時半から七時半までの二時間。期間は三ヶ月。その間君にも会議に参加してもらって新しい
庭園造りのアドバイスをしてもらえないだろうか?」
花純はびっくりしていた。
まさか出向先で庭園デザインの仕事に携わるチャンスが来るとは思ってもいなかったからだ。
そこで更に壮馬が言った。
「時給は一万円。二時間だから一日二万円。で、週二回で四万。一ヶ月だとざっと十六万前後になるかな? 悪くない話だろ
う?」
それを聞いて更に花純は驚いた。
(庭園デザインの仕事をまだ三年しかやっていない私に時給一万円? この人頭がおかしいのかしら?)
花純は黙ったままこう考える。
(こんなうまい話がある訳ないわ。もしかしたら新手の詐欺なのでは?)
警戒心の強い花純はまずこう考える。
しかし相手は誰もが知っている大手不動産会社の副社長だ。
そんな地位のある人間が詐欺まがいの事をするとも思えない。
(16万……)
その時ふと花純の脳裏に故郷にいる母と祖母の顔が浮かんだ。
花純は長野県の片田舎で育った。
花純がまだ小さい頃父が病で他界し、母は幼い花純を連れて祖母がいる実家へ帰った。
祖父は既に他界していたので、そこからは親子三代女性三人での生活が始まる。
そして花純は都内の国立大学に合格したのを機に、一人東京へ出て来た。
大学時代も祖母や母に負担をかけたくなくて、ずっとバイト三昧の日々だった。
そして就職してからは毎月仕送りもしている。
母は元々身体が弱く、定期的に病院へ通わなくてはならないのでパート勤務が限界だった。
そんな母を心配し、祖母は70を過ぎてもまだ清掃の仕事をしている。
それ以外に、祖母は少しでも家計の足しになるようにと祖父が残してくれた広大な土地で野菜も作っていた。
家で食べきれない分は、道の駅へ卸したり花純のアパートへも送ってくれた。
祖母が作る野菜は、どれもみずみずしくて美味しかった。
祖母は野菜以外にも沢山の花やハーブを育てていた。
彩り豊かな季節の花は道の駅で販売させてもらい、
ハーブ類は近隣のフレンチやイタリアンのレストランへ卸している。
どちらもなかなか評判が良いようだ。
一方花純の母も植物が好きで、特にバラが好きだった。
家の庭にはちょっとしたイングリッシュガーデンを作っている。
バラの季節になると道行く人が足を止めるほど、そのバラ園は見事なものだった。
そんな祖母や母の元で育った花純が植物好きになるのは当たり前の事だった。
二人は花純の意志を尊重し、無理して東京の大学へ行かせてくれた。
決して裕福な家庭ではなかったが、花純は二人にとても感謝をしていた。
だから今提示された臨時収入があれば、花純は二人に送りたいと思った。
そこで花純は壮馬に聞いた。
「私なんかに時給一万円も払って大丈夫ですか? ご期待に沿えないかもしれませんよ?」
「大丈夫だ、問題ない。それに君はきっとやり遂げるだろう」
壮馬があまりにも自信あり気に言うので、
普段は心の奥底に眠っている花純の負けず嫌いの精神が、急にムクムクと湧き上がってきた。
そして花純は咄嗟にこう言っていた。
「わかりました。お引き受けいたします」
「そう言ってくれると思ったよ。じゃあとりあえず来週の金曜日からスタートにしよう。来週の金曜日、仕事が終わったら直接
この部屋へ来るように」
「分かりました」
そこで壮馬は微笑むと右手を差し出した。
どうやら花純と握手をしたいらしい。
花純がその手を取ると、壮馬は力強くギュッと花純の手を握った。
そのあたたかくて大きな手のひらに、なぜか花純はホッとするような安心感を覚えていた。
そしてこの瞬間花純の庭園改良プロジェクトへの参加が決まった。
コメント
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庭園プロジェクトへ花純ちゃん破格の条件でスカウト‼️ 植物🪴にしか興味のない花純ちゃんと壮馬さんの今後はいかに? 心配なのは女豹麗子…
壮馬さん、なんと 破格の条件で 花純ちゃんを庭園プロジェクトのメンバーとしてスカウト❗️ 庭園プロジェクトも勿論ですが🌳、二人の関係が今後どうなっていくのか....⁉️ いろいろと楽しみになってきましたね🎶
花純ンの力量を試すのに花束をアレンジさせた?でも結果的に花純ンは経験を積んで副収入を仕送りできて壮馬さんはリーズナブルにセミプロのデザインを頼めてお互いがwin-winだよね😊🎶