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アドラル皇国
18
1,373
#日常
寿命㌫(主) 🔮🖤ᩚ
2,231
橋の方角から轟音が響いた。
大地が、かすかに震える。
「な、なんだ!?」
エレンは弾かれたように立ち上がると、そのままレイナの天幕へ駆け込んだ。
「陛下、大変です!」
だが――。
天幕の中にいたレイナは、驚いていなかった。
一人の男が、その前に片膝をついている。
レイナがモンゴリア軍の動きを探らせるため、密かに放っていた斥候だった。
「橋に敵軍が!」
エレンが息を切らしながら叫ぶ。
「敵軍が橋を渡ってきています!」
「うろたえるでない」
レイナは静かに言った。
「敵ならば、目の前におる」
「……え?」
エレンが目を瞬かせる。
斥候は一度だけ彼女に視線を向けると、そのまま報告を続けた。
「橋の向こうにいる敵軍は、バトウ率いる本隊」
「兵力、およそ二万」
レイナは黙って聞いている。
「そして――」
男は一拍置いた。
「現在、我が陣の正面で渡河を開始している軍勢は、一万」
エレンの表情が変わった。
「指揮しているのは」
斥候は言った。
「敵軍師――スブタイです」
レイナの目が細くなる。
「……そうか」
その口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
「ようやく姿を見せおったな」
レイナは立ち上がった。
「行くぞ、エレン」
「はっ!」
二人は天幕を飛び出した。
河岸へ到着した時には、すでに敵の姿が見えていた。
河の中に、幾本もの杭が打ち込まれている。
その上へ板を渡し、縄で縛りつける。
モンゴリア軍の工兵たちが、驚くほどの速さで簡易な橋を組み上げていた。
その後方では、騎兵たちが次々と河へ入っている。
すでに対岸へ渡った兵もいる。
まだ河の中にいる兵もいる。
渡河の真っ最中だった。
エレンは息を呑んだ。
「本当に……来てる」
一万。
その軍勢が、今まさに河を越えようとしている。
そして。
その中央。
馬上に、一人の老人の姿があった。
派手な甲冑ではない。
大将らしい飾りもない。
だが、レイナには分かった。
「あれか」
幾つもの国を滅ぼし。
数え切れぬほどの軍を罠にはめ。
このエウロピアを恐怖に陥れた男。
スブタイ。
レイナは、ゆっくりと弓兵の列の前へ進み出た。
そして河の中にいる敵軍を見下ろした。
「捉えたぞ」
小さく呟く。
「悪魔の軍師よ」
右手を上げた。
背後で、何百という弓が一斉に引き絞られる。
弦の軋む音が、河岸を埋めた。
スブタイの軍は、まだ河の中にいる。
逃げ場はない。
レイナの腕が振り下ろされた
「射て!」
次の瞬間。
空が、黒く染まった。
渡河地点は浅瀬だった。
さらに、途中まで組み上げられた簡易橋を足掛かりにして、
モンゴリア軍の軽装歩兵が次々と河を越えてくる。
「上げるな!」
「河岸で止めろ!」
怒号が飛び交った。
矢を潜り抜けて岸へ辿り着いた兵と、迎え撃つレイナ軍の兵がぶつかる。
たちまち、河べりで激しい白兵戦が始まった。
剣。
槍。
盾。
水飛沫と血が入り混じる。
「行くぞ、ジャンヌ!」
「はい!」
エレンも剣を抜き、その戦いの中へ飛び込んでいった。
ジャンヌも後を追う。
「押し返せ!」
エレンの剣が、岸へ這い上がろうとした敵兵を斬り倒した。
その時だった。
「伝令!」
一騎の兵が、レイナのもとへ駆け込んでくる。
「これより二キロ下流にて、敵軍の渡河を確認!」
レイナが視線だけを向けた。
「数は」
「およそ二、三千!」
周囲の将たちがざわめく。
レイナは河の向こうに広がる森へ目を向けた。
(……なるほど)
(森に陣を構えたのは、こういうことか)
木々に遮られ、敵軍の全容が見えない。
どこに。
どれほどの兵が。
いつから潜んでいるのか。
こちらには分からない。
(敵の総数が分からぬ)
(こちらが捕捉できていない兵がどれほどおるのか)
その時。
「報告!」
今度は別の騎兵が、ほとんど馬を滑らせるようにして駆け込んできた。
「南東より敵軍!」
「ものすごい勢いで、こちらへ接近しております!」
「なにっ!?」
副官たちが一斉に声を上げた。
「南東だと!?」
「敵は橋の向こうではないのか!」
レイナは振り返った。
先ほどまで天幕で報告していた斥候が、そこにいる。
「どういうことじゃ」
男の顔にも、初めて動揺が浮かんでいた。
「お、おそらく……」
「三日前、ウシの街周辺で確認された部隊と思われます」
「陽動のために動いていた軍勢です」
副官が声を荒らげた。
「三日前だぞ!」
「ここまで来られるはずがない!」
斥候も唇を噛んだ。
「……あり得ませぬ」
だが。
レイナだけは表情を変えなかった。
視線は、なおも河の中にいる一人の男へ向けられている。
馬上の老人。
スブタイと思しき男。
敵は正面にいる。
下流にもいる。
南東からも来る。
そして橋の向こうには、バトウの二万。
四方から届く報告。
だが、そのどれが本命なのか。
レイナには、まだ見えない。
「……さて」
小さく呟いた。
「どうするかの」
コメント
1件
うわ、第23話、めっちゃ熱かったですね…! 渡河の最中に一斉射撃を仕掛けるレイナの采配、痺れました。「空が、黒く染まった」の一文で一気に情景が浮かんできました。スブタイがようやく姿を現したと思ったら、下流や南東からも別働隊が迫ってくる情報戦の畳み掛け。敵の総数が見えないまま「どうするかの」と呟くラスト、続きが気になって仕方ないです!