いつもより空が高く感じた。
少し強めの風が吹き、これから雨でも降るんじゃないかというぐらい鈍色になった空には、分厚い雲がもくもくと流れてきている。俺は、授業をさぼり立ち入り禁止の屋上にいた。フェンスをつかみ、グランドで体育の授業に励む生徒を見てミニチュアを見ているみたいだと感想を抱く。何をそんなに一生懸命になれるのか、あいつらは未来を見据えて未来のために今を浪費しているのか、考えだしたら止まらなかった。でも所詮は他人事と、眺めるのをやめフェンスに背を預けた。
そういえば、空澄の暗殺の依頼書には理由が何も書かれていなかった気がする。依頼人の名前も、理由も何もなくただこいつを殺してくれと匿名で。匿名の依頼はほとんど請け負っておらず、今回の場合は特殊だが、一応は依頼人の顔が見える形にはしている。変に気取った名前の依頼人がいるが大体は偽名で、そういう依頼人の情報をつかみしっかりと依頼を達成したことを報告するのは全部先生の仕事だった。少ない情報から先生は依頼人の顔を割り当てる。エスパーとかハッカーとか言い方はよくわからないが、俺の知らないことまで知っている。先生を出し抜くことも、敵に回すこともやめた方がいいと俺は依頼をしてくる奴に思っている。先生のすごさは、頭一個分以上抜けているから。
だが、本当に今回は異例で、隣で依頼内容を確認していたはずの先生は何も言わなかった。もしかすると、空澄が俺の同級生だからという理由で何も言わなかったのかもしれない。真相は闇の中であるが、先生が何も言わない以上、先生は俺の依頼を横取りすることもないだろう。だが、依頼を達成しなければ暗殺者として名に傷がつく。
自分の腕に泥を塗るか、空澄を殺すか。その二択なのだ。
(あいつ、恨まれるようなことでもしたのか?)
空澄は嘘をつけるような人間には思えない。ここ数週間顔を合わせて、一方的な会話をしてきてそれは紛れもない事実だ。もし、本当に気づいていたとして嘘をついているのなら、相当空澄はやり手ということになる。だが、調べたところ、空澄家の御曹司は、子供は彼しかいないらしく、空澄が家を継がなければ財閥は爛れてしまうだろう。だから、ある程度は頭がいいはずなのだが……
(この間の漢字テスト、俺より低かったよな?)
空澄を観察するに、空澄は勉強ができないタイプだった。俺より悪い……わけではないが、理数以外が全滅だった。とびぬけて数学が出来たが、まぐれかと思うほどに毎度一〇〇点を取っている。その他は一桁だというのに。
まあ、頭の良しあしに関わらず、何故空澄が狙われているかという問題に戻る。あいつが仮に頭がよかったとして、それを利用し悪事を働いたのであれば、恨みを買うだろう。だが、絶対にあいつはそんなタイプでないし、そんなことをするような奴じゃないと思う。
(何で、俺は空澄の肩を持っているんだ?)
まるで擁護するように、俺は空澄のいいところや狙われる理由がないという。ターゲットと狙撃手であるのに、何故こんなことになっているのか。殺すべき相手の肩を持っているのか、自分でも理解に苦しんだ。だが、この数週間空澄といて悪い気はしなかったし、しつこいほど俺にからんでくるあいつがかわいくも思った。なつっこいところは愛嬌があると。その笑顔に絆されていたのかもしれない。
「…………」
だからよりいっそ、迷いが生まれた。
誰かが空澄を殺せと言ってる。俺はその依頼を受けた身だ。その依頼人の声を聴き受け入れた身である。だから、今更破棄ということはできない。信用にかかわるから。
だが、俺はこの数週間殺せるほどに隙があった空澄に一度も銃口を向けることが出来なかった。それどころか、細い首に手を掛けることすら。
(駄目だとわかっている、だが、これ以上引き延ばせばきっと……)
いつでも殺せるから、今じゃなくていい。そういってずるずるやってきたつけが回ってきた。ここまでくると、きっと俺は殺せない。肩を入れてしまっている、感情移入をしてしまっている。きっと戻ることのできないところまで、あいつが俺の中に入ってきている。
こんなはずじゃなかったと、俺とあいつは住む世界が違うのに、俺はあいつの眩しさに充てられている。何も知らないまま、俺に光を当て続けている。眩しい、鬱陶しい、煩わしいのに。
(俺はあいつの友達になりたいのかもしれない)
一度も欲しいと思わなかったのに、離れていくぐらいなら、友達にでもなれたらと思ってしまっている。でも、なれるわけないし、そんな願いを持つだけ無駄だとわかっている。俺はため息をついてもう一度空を見上げる。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、さすがに戻った方がいいかと、扉の方を見れば、見慣れた背丈の格好の奴がいた。
「……は、何で?」
「あずみん、サボりはだめだぞ。後、屋上は立ち入り禁止って聞いた」
そう言って俺を連れ戻しに来たと、手を差し出したのは、俺の中をかき乱して出ていかない、空澄だった。
「空澄……何でここに?」
突然現れたターゲットに俺は思わず身構えてしまう。カシャンと後ろでなるフェンス。つい癖で、後ろも出口も塞がれたと、どうにか逃げる道を探してしまう。そんな自分が今は嫌だった。
「先生に連れ戻して来いって言われて、俺様手ぇ、挙げたから」
「そういうのは先生の仕事じゃないのか」
うーん、いろいろあるんじゃないか? と何もわかっていないような顔で、口ぶりで言う空澄。俺はもうこの学校の先生という先生から見放されてしまっている。だからきっと、面倒ごとを同じ年の奴に押し付けようとしているのだ。2者面談というのも面倒くさいが、生徒に向き合わない先生もどうかと思う。
空澄は、俺に手を出したまま首を傾げた。
「ここ、立ち入り禁止なのに何で来た」
「だから、あずみんを連れ戻しに来た。一緒に授業受けよう」
と、太陽のような笑顔で言う空澄に俺は思わず目をそらしてしまった。
友達になりたいと思った手前、やはりあの笑顔を前にすると自分とは違う気がして、あいつの笑顔に、視界に入るのはまた違う気がした。きれいなあいつの目に、汚い俺を映して欲しくなかった。
俺はそう頑に顔をさらしていると、空澄が勢いよく俺の手をつかんだ。俺は、その手を振り払おうとしたが、必死に俺を見つめる空澄に押され振り払う気も失せてしまった。
「やっと大人しくなった」
「俺は動物かよ……」
「うーん、でもそんな感じがする。目が、何か獲物を狙う獣みたいな?」
と、空澄は悪意が感じられない言葉を発する。だが、俺にとってそれは言ってほしくない言葉だった。結局空澄も俺のことをそう思っているんじゃないかって、少し期待した自分が馬鹿だと思ってしまう。
俺は、空澄の手を払った。弱く払ったはずだが、パシンッと乾いた音が鳴り、俺はしまったと空澄の方を見る。空澄は、へへ……と自分が悪かったとでもいうように頬をかいていた。これじゃ、いけない。
何とか謝ろうとしたが、言葉がつっかえて出てこなかった。そもそも、なんて言葉をかけていいか、言葉が見つからなかったといったほうが正しいかもしれない。
言いたいことや伝えたいことはあっても、言葉にするのが苦手だった。
俺は何も言えず俯くしかなかった。こっちに非があるのは誰がどう見てもわかる事で、嫌われてしまったのではないかと思ってしまった。その嫌われてしまったのではないかと不安になると同時に、嫌われたのであれば、あの迷いは吹っ切れるのではないかとも思ってしまう。そう、恐る恐る顔を上げれば、彼は変わらずの笑顔で俺を見ていた。
「俺様、気に障るようなこと言っちゃったか」
悪くないのに、そんなことを聞いてくる空澄に良心が痛んだ。そんなつもりはなかったと撤回できれば一番良かっただろうに。
そうして、俺達の間に沈黙が流れる。
空が鳴りだし、このまま雨が降り出すだろと、そう思った時、空澄の方から口を開いた。
「俺様、知ってるぞ」
と、空澄は先ほどの笑顔ではなく真剣な表情で俺を見てきた。すべてお見通しでもいうように、嘘の通じない顔に、俺は思わず後ずさりする。カシャンと再びなるフェンス。逃げ場などどこにもないのに。
空澄の真剣な顔に驚きつつも、何を知っているのかと俺は訪ねた。
「何を知ってるんだよ」
「あずみんが、俺様の命を狙ってるってこと」
「……」
「暗殺者だってこと」
「……」
「昨日、俺様をつけていたこと」
そう空澄は淡々と言った。いつから気付いていたのだろうか、ばれないようにと尾行したはずなのに、人一倍殺意を隠すのは上手なはずなのに、どうして。
まだまだ自分が未熟だと実感しながらも、それをカミングアウトしていったい何が目的なのだと、俺は空澄を見る。
(警察に突き出されば、終わりか……)
俺が捕まるならまだしも、先生が捕まるのだけは耐えられない。あの家を失うのは嫌だった。だから、家宅捜査だけは絶対に避けなければと思い、空澄を見る。あいつはどう出るのか、俺には予想がつかなかった。
「それを、それをお前は俺に言ってどうする気だ。今は2人きり、今もお前を殺そうと狙っているかもしれない相手に、わざわざ一人できて。推理ショーでもしたかったのか」
そう俺が言えば、空澄は首を傾げた。
全く警戒心のない空澄に呆れてしまう。そこまで気づいているのに、詰めが甘いのか、俺を試しているのか、どっちにしろバレてしまったらもうやるしかないと思った。
生憎武器は何もないが、屋上から突き落とすぐらいはできると思った。自殺に見せること、それか取っ組み合いになって落としてしまったとか……どれにしろ、すぐに犯人だと見つかってしまうだろう。いい策はない。
そんな風に構えていれば、空澄は違うとでもいうように首を横に振った。
「あずみんは、俺様を殺さないだろ?」
「は?」
「だから、俺様を殺さないって言ってる。絶対に殺さない」
「そんなの、どうして――」
俺の迷いに付け込んだか、それともまぐれか、命乞いか。何かは全く分からないが、得体の知れなさに、俺は手が震える。
(違う、この手の震えは……)
恐怖や焦りと他に、高ぶりも感じていた。
そんな俺を見て、空澄はこう言い放ち、もう一度手を差し出した。
「鈴ケ嶺梓弓、俺様と友達になってくれ」
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