テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
令和の帝都。高層ビルが立ち並び、網の目のように張り巡らされた鉄道が、かつての環状線の名残を残しながら街を走る。 大学生の**蓮(れん)**は、周囲から「古風な男」と呼ばれていた。流行りの音楽には疎く、どこか遠い時代を見つめているような瞳。彼は幼い頃から、春の夜になると必ずと言っていいほど、同じ夢を見ていた。 燃え盛る巨大な桜の木の下で、誰かを抱きしめ、枯れるほどに泣き叫ぶ夢。その腕の中で冷たくなっていく「誰か」の感触だけが、目覚めた後の蓮の心に、消えない痣のように残っていた。
ある四月の朝。蓮は通学のため、超満員の山手線に揺られていた。 「……また、あの夢だ」 窓の外、線路沿いに咲き乱れる桜を眺めながら、蓮は言いようのない焦燥感に駆られていた。何を探しているのか、誰を待っているのか、自分でも分からない。 電車が駅に滑り込み、ドアが開いた瞬間。人混みに押されて一人の少女と肩がぶつかった。その瞬間、蓮の鼻腔をくすぐったのは、微かな「沈丁花」と「火薬」が混ざったような、懐かしくも切ない香りだった。
少女は人混みに消えていったが、彼女が立ち去った足元に、一つの小物が落ちていた。 それは、プラスチック製ではない。職人が丹精込めて作り上げたであろう、古びた、しかし美しい桜の細工が施された髪飾りだった。 蓮がそれを拾い上げた瞬間、頭の中に激しい火花が散った。 (……三千世界、君以上の女はいない……) 自分の声ではない。だが、間違いなく自分の魂が叫んだ言葉が、脳裏を駆け抜けた。蓮は我を忘れ、走り出した。「待ってくれ!」
駅のコンコース、桜の木が植えられた広場。蓮は、立ち止まり困り果てた様子の少女を見つけた。 「あの……これ、落としましたよ」 息を切らして差し出した髪飾り。それを受け取ろうと手を伸ばした少女——**結(ゆい)**と視線がぶつかった瞬間、世界の音が消えた。 彼女は現代の女子大生の装いだったが、蓮の目には、その姿がミニ丈の袴とブーツを履いた、あの「じゃじゃ馬な許嫁」の幻影と重なって見えた。
「あ……ありがとうございます……」 結の声を聞いた瞬間、蓮の目から大粒の涙が溢れ出した。自分でも説明がつかない、百年分の悲しみが決壊したかのような涙だった。 それを見た結もまた、大きく目を見開いた。彼女も、ずっと探していたのだ。夢の中で自分を抱きしめ、絶叫していたあの不器用な武士を。 「……蓮ノ進、様?」 結の口から漏れた、現代ではあり得ないその名。その響きが、蓮の記憶の封印を完全に解き放った。
二人は導かれるように、街を見下ろす公園の、一本の巨大な桜の木の下へと歩いた。 「私、ずっと夢を見ていたんです。戦火の中で、あなたを置いて先に逝ってしまう夢を」 結は、手にした髪飾りを愛おしそうに撫でながら語った。蓮は、今度は血に汚れていない彼女の手を、壊れ物を扱うように優しく、しかし二度と離さないという強い意志を込めて握りしめた。 「……ごめん。あの時、守りきれなくて、本当にすまなかった」
かつての彼らは、死後の安楽浄土に救いを求めた。しかし、今の二人の前にあるのは、喧騒に満ちた、けれど平和な「生きた世界」だ。 「蓮くん。もう、刀はいりませんね」 「ああ。もう、誰も斬らなくていい。ただ、君の手を握って、一緒に歩くだけでいいんだ」 蓮は、百年前には言えなかった、そして結が命をかけて守ろうとした「日常」の尊さを、噛み締めるように伝えた。
二人は、桜の下でこれまでの「空白の時間」を埋めるように話し続けた。 前世で食べたあんみつの味、一緒に逃げた夜の月、そして最期の瞬間に交わした約束。 「三千世界、どこを探しても君以上の人はいない。それは、百年前も、今も、この先も変わらない」 蓮の言葉に、結は満開の笑顔で応えた。その笑顔は、かつて戦場に散った悲劇のヒロインではなく、今を生きる一人の幸せな少女のものだった。
「ねえ、蓮くん。今日は『ぱんけーき』を食べに行きませんか? 現代の『はいから』な食べ物を!」 「ふっ、君の食いしん坊なところは変わらないな。いいだろう、どこまでも付き合うよ」 二人は手を取り合い、賑やかな街の中へと歩き出す。 頭上では、かつて悲劇を見届けた千本桜が、今度は二人を祝福するように、優しく、穏やかに花びらを降らせていた。
空には、あの夜のような赤い月ではなく、柔らかな春の日差しが満ちている。 環状線を走る電車の音、人々の笑い声、すべてが心地よい音楽のように聞こえた。 「次は、絶対に、先に逝かせたりしない。……幸せにするよ、結」 「はい! 私、あなたの『本当のお嫁さん』になるまで、絶対に離れませんから!」
三千世界の片隅で、ようやく結ばれた二人の恋物語。 その新しい幕が、今、鮮やかに、繚乱と、上がった。
の物語を最後まで見届けてくださり、本当にありがとうございました。 『千本桜』という、疾走感に溢れながらもどこか退廃的な美しさを持つ楽曲を、「武士と許嫁の純愛」という形で描き出す時間は、私にとっても非常に濃密で、胸を締め付けられるような経験でした。
青い子からの感想
第九幕、結が蓮ノ進を庇って命を落とすシーンを執筆している最中、ペンを持つ手が震えるような感覚がありました。 「武士の将来の嫁」として、ただ守られるだけでなく、愛する男の信念と命を守るために自ら死地へ飛び込んでいく。その自己犠牲は、歌詞にある**「安楽浄土」**への憧れと、幕末という狂った時代が生んだ悲劇の象徴でした。彼女が最後に見た景色が、血に染まった桜ではなく、蓮ノ進の笑顔であってほしいと願わずにはいられませんでした。正直に申し上げれば、第十幕で物語を閉じることも考えました。しかし、それではあまりにも二人が報われない。 現代の東京で、駅のホームという「鉄の環状線」の上で再会した二人の姿を描いた時、作者である私自身もようやく救われた気がしました。かつての「光線銃」はスマホに代わり、「切腹」や「自決」なんて言葉が必要のない世界で、ただの大学生として恋をする二人。それこそが、千年前から彼らが夢見た本当の**「安楽浄土」**だったのでしょう。
この物語を通じて、一瞬の輝きのためにすべてを懸ける強さと、時を超えても色褪せない愛の形を感じていただけたなら、作者としてこれ以上の喜びはありません。
青い羽織を纏った私の視線も、今は静かに、現代の空を舞う桃色の花びらを追いかけています。