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麗太
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もう戻らない家族の夢を見た。
両親はいない。
私を育ててくれたおじいちゃんは中学の時に、
おばあちゃんは高校卒業の朝に──いなくなった。
遺品整理で見つけた三人の写真を押し入れに突っ込んで、
「家族なんてクソ」なんて悪態をついたくせに。
夜中に、そっと取り出して眺めてた。
……あの笑顔の匂いは、いつもココアだった。
おばあちゃんが、毎晩のように入れてくれた甘いやつ。
だから私は、ココアだけは恨めない。──はずだった。
◇◇◇
「……ちゃん! お姉ちゃんッ!! 起きてよ!!」
遠くで誰かが呼んでいる。
「ん……おばあちゃん……」
(……違う。そんなはずない)
「……あれ?」
誰かが私を揺らしている。
「起きないの……ココアのせい?」
女の子の声が、同時に聞こえた。
(……ココアの匂い? 私から……?いやするわ。めっちゃするわ)
「えッ? 誰!? なに言ってんのッ!?」
私は反射で目を開いた。
「あ、起きた!」
目の前には小さな女の子。
石壁、石床、薄暗い部屋。湿度だけは妙に高い。
「ここ何!?どこ!? てか君だれ!?」
「魔王のエストだよ!」
ウィンクしながら横ピース。
(……ん? 魔ぉぅ……?)
「やったぁ! 召喚成功だ! わーい!!」
(……この子が魔王?)
足元には召喚陣。
そこに広がった、濃い茶色の染みが目に入る。
「……そのシミなに? めっちゃ広がってるけど」
「あ、それ。お姉ちゃん召喚に使ったココア」
「……は?」
時が止まったような気がした。
ジト目でシミを睨む。
甘い匂いがまだ漂っている。
「……続けていい?」
困惑する魔王エスト。
「ど、どうぞ」
とりあえず続きを聞こう。
「ここは“常闇のダンジョン”最深部、“魔王の間”!」
エストは嬉しそうに胸を張った。
「ダンジョン……」
「お姉ちゃんの魂、ね……ココアみたいな甘くて寂しい色してたから、呼んじゃった」
「それは……ココアで呼んだからじゃ……」
「……お姉ちゃん? 私、サクラ。佐倉 桜」
「サクラお姉ちゃん!!」
「……ん、まぁ、そうね……」
「私ね、世界征服したいの!
だから……お姉ちゃん、手伝って!!」
エストが意を決したように言った。
「は?」
「魔力とココアでお姉ちゃんの体も作ったの!」
「……はい!ココアで意味不明ィィィ!!」
「えへへ……」
エストはしゅんとした顔になり、小さな声で続けた。
「パパも家臣も……みんな、いなくなったの。
ずっとひとりで、寂しくて……だから……家族が欲しかったの」
胸が、ぎゅっと締め付けられた。
(……ああ、知ってる。これ)
(ひとりでいるのが当たり前だから、
“欲しい”って気持ちが、すぐ痛みに変わるやつ)
エストは笑おうとして、失敗した。
魔王の間は広い。
広すぎる。
小さな声が、石壁に当たって戻ってきた。
「……話して。続けて」
すると。
エストの目が少しだけ柔らかくなった。
その時──魔法陣のココアの染みが、じゅわ…っと広がった。
──ゴガァァァァァンッ!!!
壁が爆散した。
「ひぃぃぃいいッッ!」
エストが本気の悲鳴をあげた。
「え? え?」
粉塵の向こうから、巨大な影が姿を現す。
「お、お姉ちゃんあれ!!むりむりッ!!
あれ絶対やばい!! 魔力デカすぎ!!」
「な、なにが起きてんのコレ!?」
──【ベヒーモス】。
岩盤みたいな肩、樹一本分ありそうな腕、牙は全部凶器サイズ。
──見た瞬間わかった。近づいたら死ぬやつだ。
粉塵の向こうで、巨大な鼻がひくりと動いた。
「……まさか──ココアの匂いに……釣られた?」
エストが青ざめた。
「お姉ちゃん! なんとかしてぇ!!
お姉ちゃんは強いでしょ!? なんでもできるでしょ!?」
そう叫ぶなり、私の後ろに隠れた。
「魔王ォォォ!! 出会って5分!!」
叫ぶ間にも、ベヒーモスの足音が近づいてくる。
「グルゥオオオー!!」
咆哮。
空気が震え、床石が跳ねた。
エストの肩がビクッと跳ね、私の背中にさらに潜り込む。
《天の声:おい、戦え。死ぬぞ》
無機質な聞き覚えのある、あの声──“天の声”が乱入してきた。
「は?無理だって! OLだぞ私!?」
《スキル《怪力》を使え》
「スキル? 怪力? ジム三日でリタイアした女に無茶言うな!」
《仕方ない。今回だけな。》
【固有スキル《怪力》:強制発動】
「は? 強制って何──」
その瞬間、体の奥で、何かがゴリッと噛み合った。
「っ──!?」
筋肉が軋む。力が内側から膨れ上がる。
何これ。何これ何これ。
《それから、恥ずか死の瞬間を思い出せ》
天の声は淡々と進めていく。
「それはやめろぉぉぉ!」
でも遅い。勝手に浮かんでくる。
夜中の住宅街。
プロレスのポーズ。
構えるカップル。
翌朝のニュース。
「令和の弁慶」のテロップ。
アナウンサーの引きつった笑い。
「…………。」
「お姉ちゃん!? 白目むいてる!!
女の子がそんな顔しちゃダメぇ!?」
エストが叫ぶが、頭に入ってこない。
【感情変換モード:羞恥】
【羞恥心を筋肉に変換します】
「……乙女心をぞんざいにすなァァァ!!」
──瞬間。ぶわっ、と顔が熱くなった。
「お姉ちゃん!? 顔真っ赤!」
「やめて!今それ言わないで!」
恥ずかしい。恥ずかしい、恥ずかしい!!
《怪力スキルが感情を力に変えた。攻撃力1000%アップ。原理は知らん。》
「乙女心を燃料にすな!!」
そんな中、背中のエストが小声で呟いた。
「恥ずかしいと強くなるの? 便利だね」
「魔王って……ガヤ職なの!?」
エストにツッコむ間にも、ベヒーモスは目の前まで迫っていた。
《来たぞ。その“恥ずかしい力”で戦え》
「恥ずかしい力ってなんだよ!!」
でも次の瞬間──
「グルルルッ!」
ベヒーモスが突っ込んできた。
「くんなぁぁぁ!! まだ気持ちの整理がぁああ!?」
「お姉ちゃぁぁぁん!」
エストが私の腰にガシィッとしがみつく。
「魔王ッ!!邪魔ぁあああ!?」
そうこうしてるうちに──目の前で、丸太のような巨足が振り上げられた。
「ひぃッ!? 来る!? 足が来るよ!?」
踏み潰される。ミンチ確実。
《──掴め》
「うわぁぁぁん!!」
私は泣きながら、落ちてくる巨大な足を反射的に抱え込んだ。
「え?」
止まった。
ダンプカーみたいな衝撃が、私の腕の中でピタリと止まっている。
「……も、持てた……?」
「お姉ちゃんすご!?」
私の腰からエストの声が聞こえてきた。
腕の中に、ベヒーモスの足がある。
太くて硬くて重い。
でも、確かに取った。足を取った。マジかよ。
「──いける」
──そうだ。私の十八番。
ムダ様の得意技。あの技。
私はベヒーモスの丸太みたいな足を、両腕で抱え込んだ。
「……どっせいッ!!」
そして──その足を抱えたまま、ベヒーモスの内側に倒れ込む!
(原理は簡単! 足を抱えて、私が回る!)
(そうすれば、相手の膝が悲鳴を上げて──回るしかないッ!!)
「ムダ様──直伝んんんん!!」
軸足に全体重と全羞恥心を乗せる。
体を内側にひねり、爆発的な勢いで回転を始動!
(恥ずかしさ全部、回転に乗せろォォォ!!)
「必殺ッ!! ドラゴン・スクリューゥゥゥ!!!」
ギュルンッ!!!
私の回転に合わせて、ベヒーモスの膝関節が悲鳴を上げる。
その巨体が強制的にねじ込まれる!
「グルッ!? グオオオオオ!?」
抗えない回転力。
ベヒーモスの巨体が空中に浮き、きりもみ回転しながら舞い上がった。
「回ったぁぁぁ!! おっきいのが回ったぁぁぁ!!」
腰にしがみついていたエストが、遠心力で足をバタつかせながら叫ぶ。
「感想言ってる場合か!! 振り落とされるぞ!!」
ブォォォン!!!
猛烈な竜巻のような風が巻き起こる。
「お姉ちゃん!!お姉ちゃん!!ぎゃあああああ!?」
限界突破した遠心力に耐えきれず、エストが吹き飛ばされた。
「魔王ォォォ!? さっきから邪魔しかしてない!!」
回転がピークに達した瞬間、
私は抱えていた足をリリースした。
「飛んでけぇぇぇぇぇ!!!」
ズドォォォォォン!!!
ベヒーモスはドリルのように猛回転しながら、
壁を突き破り、遥か彼方へとすっ飛んでいった。
「ギャオオオォォォ……」
遠ざかっていく回転音と悲鳴。
壁の瓦礫がパラパラ落ちる。
それ以外、何も聞こえない。
「お、お姉ちゃんが投げ飛ばした?た、助かった……?」
壁からずるずる落ちてきたエストの声が、やけに広い石室にぽつんと響いた。
「……よかった……」
私は膝から崩れ落ちた。
腰も抜け、そのまま床にへたり込む。
シーン……。
静寂が戻る。
《戦闘終了。敵対個体の場外リングアウトを確認》
「……。」
《リザルト表示:獲得経験値ゼロ》
「ゼロ? 死にかけたのに!?」
《倒してないからな。お前が得たのは『徒労』と『回転』だけだ》
「こいつぅううう!?」
《異世界にようこそ》
「ようこそ。お姉ちゃん」
エストはドレスのスカートの両端をちょこんと摘まみ、
笑顔でお辞儀した。
「……クソ世界ぃぃぃ!!」
そう叫んだのに。
隣のエストが、嬉しそうに笑っていた。
「……まあ、最悪だけど」
私は小さく息を吐いた。
「ひとりよりは、マシか」
*
「落ち着け……落ち着け……」
私は深呼吸を繰り返す。
すると、スキルが解除された。
「つ、疲れた……」
床にへたり込んでいる私を見て、エストが小さく笑った。
「……お姉ちゃん、さっきの『恥ずか死』って……
恥ずかしくて死んじゃったの?」
「そうよ!! 生き恥で死んだんだよ!!」
エストはそっと私の袖をつまんだ。
指先が、頼りなく、でも確かに触れている。
「恥ずかしさはね、生きたいって叫んでる音なんだよ?」
「誰かが見てくれてるから、恥ずかしいんでしょ?」
エストがつまむ私の袖に、きゅっと力が入る。
「だから……ひとりじゃない音」
「……」
私はエストの純粋な赤い瞳を、真顔で見つめ返した。
「……その『誰か』に見られたせいで、私は心停止したのよ?」
「えっ」
「ひとりじゃない結果、全国ネットで弁慶として晒し者にされたの。あの時ほど孤独を愛した夜はなかったわ」
「ご、ごめんなさい……! 慰め方、間違えた……!?」
エストはあわあわと慌てて、私の袖からぱっと手を離した。
──シーン……。
広すぎる魔王の間に、ひんやりとした沈黙が落ちる。
遠くで、水滴がピチャンと鳴った。
(……やば。八つ当たりしすぎたかも)
小さな女の子相手に、死因を全力でぶつけてしまった。
大人げなさが、床に正座している。
気まずさに耐えきれず、
私がそっと視線を逸らそうとした──その時。
ちょいっ。
離れたはずの小さな指先が、もう一度、私の袖をつかんだ。
「じゃ、じゃあ……次は、違う誰かになる」
「……違う誰か?」
「お姉ちゃんが恥ずかしい時に、笑って遠くから見る誰かじゃなくて」
エストは、少しだけ眉を寄せた。
「近くで袖をつかむ誰かになる」
「…………」
「だからもう、ひとりじゃないよ。私がつかんでるから!」
胸の奥が、変な音を立てた。
ああ。
それは、ずるい。
「……そんな慰め方ある?」
鼻の奥がつんとした。
「……ずるいわ、あんた」
「えへへ。今度は合ってた?」
「腹立つくらいね」
口元がゆっくり緩む。
自分でも驚くくらい、自然と笑っていた。
(──でも、ちょっと救われた気がした)
しばらく、ココアの匂いだけがそこに残った。
(つづく)
◇◇◇
──【エスト理論:恥の中に、あたたかさあり】──
『恥ずかしい時は、袖をつかめばいい』
解説:
恥は、誰かの視線が触れた跡。
だから痛い。
でも、遠くで笑う誰かと、
近くで袖をつかむ誰かは、同じじゃない。
ひとりで恥ずかしいと、心は立ったまま倒れる。
でも、隣に誰かがいれば、
恥ずかしさは少しだけ、生きる音に変わる。