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#和風ファンタジー
るるくらげ
第2章 第2話
「羈絆繋縛」
目を開けた瞬間、最初に入ってきたのは光だった。
強すぎる朝の光じゃない。白くて、澄んでいて、どこか冷たい光。
部屋の空気そのものが、ひとつの「制度」みたいに整っている。
天井は高い。壁は白い。床は古い木で、磨かれてはいるが年月の傷が残っている。
窓は大きい。窓枠の金具まで丁寧に手入れされ、外から入る風の音すら無駄がない。
——ここ、どこだ。
喉が渇いている。
身体が熱い。熱いのに寒い。
目の奥が痛く、耳の奥が鈍く鳴っている。
汗をかいているのに、布団の中だけが妙に乾いている。
身体を起こそうとして、息が詰まった。
胸の奥、心臓のあたりに「引っかかる」感覚がある。
釘でも刺さったような、糸でも巻きついたような。
痛いわけではない。けれど、そこに“何かがある”のが分かる。
手のひらを見た。指が震えている。
爪の間に、うっすら乾いた血が残っていた。
どこで付いたのか。何を握ったのか。思い出そうとすると、脳が拒絶する。
——甲板。
夜の海の匂い。冷たい風。闇。
喉に走った熱。指の間からこぼれた血。
笑っていた人間が、次の瞬間には息をしなくなる現実。
そして、最後の言葉。
『……すまないが、君は……誰……なんだ?』
その一言が、頭の中で反響し続ける。
何度も、何度も、反芻されて、肉をえぐる。
尊敬していた。眩しかった。中心だった。
自分はその背中に、勝手に意味を見て、勝手に救われていた。
なのに、彼は自分を知らない。覚えていない。
それが、死より先に来る。
胸がむかつく。喉が焼ける。
怒りがある。もちろんある。
銀髪の少年への怒り。闇から現れた不気味な少年への怒り。
でも、それ以上に——自分への怒りが、息をしづらくする。
(……あいつが死んだの、)
ほんの少しだけ。
(……嬉しいと思った)
その事実が、自分を殺したくなるほど汚い。
手で顔を覆う。爪が額に食い込む。
泣きたいのか、吐きたいのか、分からない。
そのとき、部屋の隅に“違和感”が目に入った。
荷物がある。
自分が東から持ってきた、粗末な鞄。
中身まで整然と並べ直されている。
布の折り目が整えられ、剣帯は巻き直され、少し擦れた布まで丁寧に畳まれている。
——誰がやった。
枕元の小さな机に、水が置かれていた。
透明なガラス瓶。蓋付き。
その横に、パンが二つ。丸くて、表面に焼き印が押されている。
誓印パン。
ふと、その焼き印を見た瞬間に、嫌なほど理解した。
これは、旅の宿じゃない。
これは、兵舎だ。校舎の寮だ。
——ゾラン王国。
言葉にしなくても、空気の匂いがそれを肯定する。
この国は“戦い”が生活に溶け込んでいる。
整っているのに、どこか危険が常駐している。
まるで刃物が常に磨かれているみたいな国だ、と聞いたことがある。
水を飲もうとして、手が止まる。
窓の外から、声が聞こえた。
遠いのに、鮮明だ。
歓声。罵声。掛け声。鉄がぶつかる音。
足が地面を蹴る音。魔術が弾ける音。
試験だ。
大勢が、模擬戦闘をしている。
なぜか分かる。理由は説明できないのに、確信だけがある。
(……なんで、おれがここにいる)
あの夜、自分は気絶したはずだ。
あの夜、船の甲板で、血まみれになって、倒れた。
そこから先の記憶はない。
窓に近づく。
重たいカーテンを引くと、光が一気に部屋へ流れ込んだ。
窓の外は、目を疑うほどの人の波だった。
広い訓練場。白い石で縁取られた四角いグラウンド。
そこに、今年の志願兵がぎっしりいる。
数百、いや数千は超えている。
同じ色の制服、あるいは自前の戦闘服。剣、槍、弓、魔導具。
それぞれが、自分の“生き方”を背負って立っているような顔をしている。
上級生らしき者が、怒鳴る。
「次! 二人組! 入れ!!」
「倒されても立て! 死ぬ気でやれ!」
「その程度で誓刃を名乗る気か!」
誓刃。
この国の戦士。
“誓い”を刃にする者たち。
それを目の前にして、自分は妙に現実感を失った。
(……おれは、何なんだろう)
いま自分は、志願兵ですらない。
試験すら受けていない。
なのに、誓刃校の寮の部屋にいる。
水とパンを与えられている。
荷物まで整理されている。
そして、胸の奥には、説明のつかない“糸”が刺さっている。
水を飲む。喉がようやく動く。
誓印パンをひと口齧ると、香ばしい甘さが口に広がった。
身体が少しだけ落ち着く。
でも、落ち着くほどに思い出してしまう。
——あいつは、俺のことを覚えていなかった。
拳が勝手に震える。
窓枠を掴んだ指が白くなる。
怒りが湧く。憎しみが湧く。
銀髪の少年の顔が浮かぶ。
冷たい目。眉のない顔。
静かな声。
「……邪魔だ」
邪魔?
ふざけるな。
こっちは——
——殺されたんだ。
いや、殺されたのは、彼だ。
でも自分も、何かを殺された。
名もないまま、ただの影でいるはずだった人生が、あの夜に変形した。
(ぶっ殺してやる)
そう思うのに、次の瞬間、身体が冷える。
(殺したら……)
胸の奥の糸が、ぴん、と張る気配がする。
恐怖が背骨を走る。
(どうなる……??)
呪い。
あの不気味な少年が言っていた。
「繋いであげよう」と。
自分はそれを理解していない。
でも、本能が知っている。
あいつが死ねば、自分も死ぬ。
だから、殺せない。
だから、逃げたい。
だから、距離を取りたい。
なのに怒りが抑えられない。
呪いがそれをさらに煽る。
逃げるほど、縛りが強くなる錯覚がある。
(……ふざけんなよ!)
声にならない。
拳を握る。爪が掌に食い込む。
ふいに、部屋の扉が叩かれた。
コン、コン、コン。
規則正しい音。
礼儀のあるノック。
でも、答える前に鍵が回った。
静かに、扉が開く。
入ってきたのは、空気を変える人間だった。
香りが先に来る。薬草と紙と、冷たい金属の匂い。
足音が軽い。なのに存在感が重い。
青みがかった黒い髪。丁寧に結ばれたポニーテール。
薄い青の瞳。笑っているのに、どこか底が見えない。
年齢は若い。二十代後半くらいに見える。
服装は研究者らしく整っているが、戦士の国の人間らしい芯もある。
その人は部屋をひと目見回し、窓の外の喧騒に一瞬だけ視線をやってから、こちらを見る。
「おっ。起きてたね」
声が柔らかい。
いかにも“安心していい声”だ。
それが逆に怖い。
この国の優しさは、油断した瞬間に刃になる。
「まだ寝てていいんだよ。きみにとって散々だっただろうからね」
そう言って、当たり前みたいに部屋へ入ってくる。
距離が近い。
でも押しつけがましくはない。
“慣れてる”感じがする。こういう目覚めに。
「……誰ですか」
掠れた声で言うと、その人は少し笑った。
「率直に言おうか。きみが——」
一瞬、こちらの顔を観察する。
右目の傷や、赤い布や、表情の崩れ方まで、全部見られている気がした。
「きみがアクラくんだね?」
——名前。
この国の人間が、当たり前に自分の名前を知っている。
胸の奥がひやりとする。
誰が伝えた。
どうして知っている。
どこまで知られている。
「此方(こなた)はセラフィナ。魔界についての研究をしてるのさ」
彼女は椅子を引かず、立ったまま、窓の外の訓練場を指先で軽く示した。
「外は今年の志願兵たち。誓刃の試験だよ。なかには君と同じ船に乗ってきた仲間もいるだろうね……きみは本来、そこにいる側じゃない」
一拍置いて、目が細くなる。
「でも、いまは事情が違う」
セラフィナは言い切った。
曖昧にしない。誤魔化さない。
優しい声で、冷たい断定をする。
「率直に言おう。きみはあの夜、呪いにかかったんだ。それも、かなり複雑なね」
呪い。
その言葉だけで、胸の糸が熱を持つ気がした。
「……おれは、どうなったんですか」
セラフィナは少しだけ首を傾げる。
怖がらせないように、でも嘘はつかない顔。
「繋がってる。もう一人と」
——銀髪。
喉が鳴る。
怒りがぶり返す。
「……あいつと?」
「そう。きみが見た通りの相手だよ。銀髪で、無表情で、……静かな子」
言い方が妙に柔らかい。
敵への言い方じゃない。
「その呪いはね、“幽灯の双呪”——二者の生命を結びつける呪いだ」
セラフィナは指を一本立てた。
「まず結論。片方が死ぬと、もう片方も死ぬ」
心臓が冷たく沈む。
やっぱりだ。
本能が正しかった。
「幽灯の双呪はね、“関係を固定する”呪いだ。命だけじゃなく、逃げ道をね」
セラフィナは胸のあたりに指を置く。
「いま、きみの胸が変な感じしない? 引っかかるとか、張るとか、冷たいとか」
黙るしかない。
当たっている。
「それが“縁”の感覚だよ。深い怪我を負えば、相手も倒れる。失神したり、意識が飛んだりすることもある。きみたちが同時に昏睡したのも、その副作用だ」
セラフィナは淡々と言う。
副作用。
まるで薬の説明だ。
「そして、最悪なのは——」
彼女は少しだけ声を落とす。
「この呪いは、外から見れば“人質運用”ができる。片方を押さえれば、もう片方も従うしかなくなる。つまり、兵器にもなる」
兵器。
その単語で、背筋がぞわりとする。
「……ふ、ふざけないでください!」
「ふざけてないよ。現実の話だ」
セラフィナは否定しない。
怒りを受け止めるでも、慰めるでもない。
ただ、現実として置く。
「きみは今、誓刃校の寮にいる。荷物がある。食事がある。水がある。……守られてる」
守られてる。
その言葉に、妙な吐き気がした。
(守られてる? 誰に? 何のために?)
セラフィナは、こちらの表情が歪むのを見て、ほんの少しだけ楽しそうに目を細めた。
いや、楽しそうじゃない。
“興味深い”と言いたげな顔。
「安心していい。少なくとも今は、きみを殺したい人間はいない。……むしろ逆だ」
「逆?」
「きみたちは貴重だ。双呪の成立例なんて、普通はそう簡単に手に入らない」
そこだ。
ここで、ようやく理解する。
この女は、優しい顔をしているけれど、
“救助者”じゃない。
“研究者”だ。
きみを助けたいからここにいるんじゃない。
きみを知りたいから、ここにいる。
「きみたちは、孤誓隊に推薦された」
その言葉が、いきなり現実を殴る。
孤誓隊。
親族のいない者だけが入れる、少数精鋭。
誓刃の中でも選ばれたやつら。
「……は?」
笑いそうになる。
いや、笑うしかない。
試験も受けてない。
志願すらしてない。
なのに、推薦? 勝手に?
セラフィナは肩をすくめた。
「会議は荒れたよ。猛反対もあった。だけど、此方ともうひとりの先生の推薦で決まった」
決まった。
まるで天気の話。
「きみが気絶している間にね」
胸の奥の糸が、ぎゅっと締まる。
逃げ道がない。
命も、人生も、勝手に結び直されている。
「……どうしてですか!」
言葉が震える。
セラフィナは少しだけ真面目な顔をした。
でも、その奥の冷たさは変わらない。
「理由は二つ」
指を二本立てる。
「ひとつ。きみたちは危険だ。呪いは放置できない。誓刃校の管理下に置く必要がある」
「もうひとつ」
彼女は少し笑った。
「興味がある。此方は、きみたちを研究したい」
それを、悪びれずに言う。
自分の欲望を隠さない。
だから逆に信じそうになるのが、最悪だ。
セラフィナは窓の外を見ながら続けた。
「孤誓隊に入れば、きみたちは戦う。戦えば、呪いは必ず露呈する。露呈すれば、利用される。利用されれば、壊れる。……だから、先に“理解”する必要がある」
「理解……」
「そう。呪いのルールを」
セラフィナは、こちらをまっすぐ見た。
「きみは今、相手を恨んでいるね」
心臓が跳ねる。
見抜かれている。
「殺したい。でも殺せない。近づきたくない。でも離れられない」
息を呑む。
言い当てられるほど、怒りが増す。
セラフィナは少しだけ、優しい声に戻した。
「その状態が、幽灯の双呪の一番“美味しい”ところなんだ」
——美味しい。
その言葉に、胃がひっくり返る。
「絶望は人を縛る。縛られた人間は、何にでもなる。戦士にも、実験体にも、兵器にもね」
彼女は、そこで初めて部屋の机の誓印パンを見た。
まるで、それも“材料”のひとつみたいに。
「きみはまだ分かっていないことが多い。相手も同じだ」
「……あいつも、ここにいるんですか?」
セラフィナは頷いた。
「別の部屋で目を覚ましてる。隔離は必要だ。きみたちは、まだ“安定”していない」
安定。
言い方が、完全に研究対象だ。
「いいかい」
セラフィナは最後に、はっきり言った。
「呪いを甘く見るな。きみの命は、もうきみだけのものじゃない」
その言葉が、喉の奥に突き刺さる。
——主役になりたい。
——主役になりたかった。
——あいつが死ねば、おれが……。
そんな汚い願いすら、いまは許されない。
命が共有されている。
憎い相手と。
セラフィナはドアの方へ視線をやった。
「さて。説明はまだ序章だよ。ここから先は……実際に“感じてもらう”のが早い」
その笑みが、綺麗すぎて怖い。
「立てる? アクラくん」
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