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第十六章 月へ還る闇
第七話 月蝕の子
ジントを包み込んでいた黒い渦は、なおも膨れ上がり続けていた。
周囲から集まる瘴気。
世界中から引き寄せられる闇。
行き場をなくした負の感情。
その全てを飲み込みながら、黒い渦はやがて巨大な球体となる。
まるで夜そのものを切り取ったような漆黒。
圧倒的な存在感。
そして、もうこれ以上ないほどに膨れ上がった闇の球体は、ゆっくりと空へ昇り始めた。
「…………!!」
4人が息を呑む。
黒い球体は長い尾を引きながら、まるで月へ吸い寄せられるように上昇していく。
風が唸る。
空気が震える。
白霧山全体が揺れているような錯覚さえ覚えた。
「ジント……!」
ダイチが叫ぶ。
返事はない。
黒い球体はさらに高く昇る。
「ジント!!」
叫ぶ。
声が枯れるほど。
「ジントォォ!!!」
月へ向かう巨大な闇。
その中にいるはずの大切な人。
「行くな!!」
悲鳴にも似た声だった。
「行くなっ!!ジントォォっ!!」
今にも飛び出しそうになるダイチを、三人が必死に押さえる。
「ダイチ!!」
「離せっ!!」
「危ない!!」
「ジントがっ!!」
青い瞳が涙で歪む。
「ジントがぁ……っ」
けれど、何もできない。
誰も近づけない。
4人はただ、唇を噛み締めながら見守ることしかできなかった。
光もない。
音もない。
真っ暗な世界。
恐怖もない。
痛みもない。
自分の身体の感覚さえ分からない。
ただ、受け入れる。
全てを。
それだけだった。
ふと、ジントは目を開いた。
そこには一人の少女が立っていた。
黒い髪。
黒い瞳。
どこか懐かしい面影。
「……ルナ」
優しく名前を呼ぶ。
少女は大きな黒い瞳を細めた。
嬉しそうに。
本当に嬉しそうに。
「……待ってたわ」
細く透き通るような声。
ジントも自然と嬉しくなる。
どちらからともなく手を伸ばす。
冷たい指先が触れた。
その手をそっと握る。
ルナが微笑む。
ジントも微笑む。
「行こう……」
ここがどこなのか。
これからどこへ行くのか。
そんなこと考える必要はなかった。
ただ、このまま二人で。
還ろう。
目を合わせる。
そして二人は歩き出した。
その時だった。
――……ト……
かすかな声。
ジントは足を止める。
――……ジ……ト……
誰かが呼んでいる。
遠くから。
必死に。
何度も。
――ジント……!
ーージント!!行くな!!
聞き覚えのある声だった。
胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
「……ダイチ」
思わず名前が零れる。
さらに声は大きくなる。
――ジント!!
――戻ってこい!!
今度は別の声。
真っ直ぐで力強い。
「……ハヤト」
金色の瞳が脳裏に浮かぶ。
そしてまた。
――約束しただろう。
――また帰ると。
静かで落ち着いた声。
けれど確かな強さを持つ声。
「……ジュウタロウ」
その声を聞いた瞬間。
胸の奥が熱くなる。
さらに。
――ジンちゃん!!
――まだフィルディア行ってへんやろ!!
――飯も食ってへんやん!!
聞き慣れた明るい声。
思わず笑いそうになる。
「……シュンタ」
一人。
また一人。
遠かった声が少しずつ近付いてくる。
まるで暗闇の向こうから手を伸ばしているように。
ルナが不思議そうに振り返った。
ジントは俯く。
肩が震える。
聞こえる。
みんなの声が。
呼んでいる。
待っている。
帰ってこいと。
生きろと。
その時。
4人の声が重なった。
――ジント!!
――帰ろう!!
世界が揺れる。
ジントは大きく目を見開いた。
帰る。
そうだ。
帰りたい。
ダイチがいる。
ハヤトがいる。
ジュウタロウがいる。
シュンタがいる。
祖母がいる。
まだ見たい景色がある。
まだ行きたい場所がある。
まだ食べたいものがある。
まだ、笑いたい。
まだ、生きたい。
「……ごめん、ルナ」
声が震える。
「俺、一緒には、行けない……」
「…………」
けれどルナは悲しそうな顔をしなかった。
ただ優しく微笑む。
そして静かに頷いた。
「……わかってる」
その声はどこまでも優しかった。
最初から知っていたかのように。
ジントは唇を噛む。
胸が苦しい。
それでも目を逸らしたくなかった。
ルナを見つめる。
ずっと会いたかった
ずっと知りたかった
自分と同じ月蝕の子。
孤独な人生を歩き続けた少女。
「……ルナ」
名前を呼ぶ。
ルナが不思議そうに首を傾げた。
ジントは少しだけ笑う。
涙が滲む。
「……ありがとう」
その一言に。
たくさんの想いが込められていた。
会えたこと。
導いてくれたこと。
真実を残してくれたこと。
自分を救ってくれたこと。
そして、先に苦しみを背負ってくれたこと。
全部。
「ありがとう」
もう一度そう言った。
ルナはしばらくジントを見つめていた。
そして、ふわりと笑った。
月明かりのように優しい笑顔。
「……うん」
それだけだった。
けれど十分だった。
ルナは繋いでいた手を離す。
その瞬間だった。
「…………!」
ジントの身体から何かがすうっと抜けていく感覚。
思わずふらつく。
視界が揺れる。
ギュッと目を閉じた。
そして再び、そっと目を開く。
そこには。
こちらを振り返りながら微笑むルナ。
そして。
ルナと手を繋いでいるもう一人の自分。
黒髪。
黒い瞳。
月蝕の子として生きてきた、自分。
二人は静かに微笑み合う。
そして。
そのまま闇の奥へ歩いていった。
ゆっくりと、迷うことなく。
手を繋いだまま、寄り添うように。
ジントはその背中を見つめる。
やがて二人の姿は闇の中へ溶けるように消えていった。
静かな別れだった。
けれど不思議と悲しみだけではなかった。
ルナはもう一人じゃない。
そして自分も、もう一人じゃない。
だからジントは前を向く。
みんなの待つ場所へ。
生きるために。
重い瞼を上げる。
徐々に意識がはっきりする。
吹き荒れる風。
渦巻く瘴気。
身体を取り巻く膨大な闇。
そして、月へ引き寄せられていく感覚。
「……ちゃんと」
ジントは両手を伸ばした。
巨大な満月へ向かって。
「ちゃんと、還すから……!」
声が響く。
周囲を取り巻く闇が空へ昇る。
世界中から集まった瘴気。
彷徨い続けた魔物達。
悲しみも。
苦しみも。
憎しみも。
全部。
全部。
還るんだ。
「みんな……!!」
ルナの後ろ姿が浮かぶ。
闇へ還っていくもう一人の自分も。
その姿が巨大な黒い渦と重なった。
「みんな、還るんだ……っ!!」
黒い球体はゆっくりと上昇する。
白霧山の遥か上空へ。
満月へ。
巨大な闇が月へ触れる。
ゆっくりと。
少しずつ。
丸い月を下から覆っていく。
白い光が欠ける。
光を、闇が蝕む。
そして満月は、完全に黒い球体に覆い隠された。
明るかった夜空が、闇に包まれた。
「……月が」
ハヤトが呆然と呟く。
「喰われたみたいだ……」
誰も言葉を発せなかった。
ただ見上げる。
夜空を。
”月蝕”を。
世界が生まれて初めて見るかのように。
そしてしばらくして。
月は再び姿を現した。
柔らかな光を放ちながら。
まるで全てを受け入れるように。
包み込むように。
闇の球体をその身へ迎え入れていく。
黒は消える。
溶けるように。
還るように。
光に飲み込まれていく。
ゆっくりと、少しずつ。
そして4人が瞬きも忘れて見守る中、最後の闇が、月の光の中へ、ふっと消えた。
夜空には、何事もなかったかのように輝く満月だけが浮かんでいた。
静寂に包まれる。
風も止んでいた。
その時。
「ジント!!」
ダイチの声が響く。
全員が我に返った。
石碑の向こう。
そこに人影が倒れている。
4人は駆け出した。
必死に。
転びそうになりながら。
そして近付く。
だが月明かりに照らされたその姿を見て、全員が足を止めた。
違和感。
見慣れたはずの姿。
けれど違う。
「……ジント?」
ダイチが震える声で呟く。
そこに倒れていたのは、黒髪の幼馴染ではなかった。
4人が見たのは、月の光を受けて淡く輝く、金色の髪の美しい青年だった。
コメント
16件
ダイチが何度も「ジント!行くな!」と叫んでいてほかの3人も止めることしかできないシーンに胸が痛くなりました。闇が月の光を蝕むシーンがタイトルの月蝕の子と重なっているときずいた時には震えました…… 黒髪の幼馴染ではなく金色の髪の少年がいて気になる終わり方でした! 続きも楽しみで仕方がないです!

ラストのシーンを、思わず固唾を飲んで拝読いたしました。月蝕の子の役割と、戻ってきてくれてよかったという気持ちが相反して在るのが、闇も光も、どちらも大切な要素である主題に合っていて、心がじんわりとしています。エピローグもあると聞きましたので、大変、楽しみにしております!
泣ける…感動しました😭