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※同時刻――自宅へと戻った幸人は一人、霸屡より渡されたエクスポーションで傷の手当てもそこそこに、個室へと籠っていた。
悠莉は気を使ってか、ジュウベエと共に既に寝入っている。この短時間で色々と問題が重なり過ぎて、精神的に疲れているのもあるのだろう。
そして何より、今は下手な言葉等掛ける事より、幸人を一人にさせてやりたかったという事。
「亜美……」
椅子に腰掛けながら、幸人は呟く。守れなかった人の事を。
彼女の事に関しては幸人自身、未だに後悔の念に駆られていた。
それは何も今回の件だけではない。表と裏の垣根を越えてしまった、あの時からだ。
――それはほんの先々週の事。幸人はひょんな事から、亜美と二人で食事をする事となった。
これはあの助けて貰った、ほんの御礼の一環の――つもりだけだった筈だ。
つい先程、焦りながら悠莉に弁解した『これはあの時の御礼で、ちょっと食事をするだけで……』なんてのは、彼らしい只の苦しい言い訳に過ぎない。それ以前にとっくに二人で出掛けていた事になる。
勿論、勘の良い悠莉には(勿論ジュウベエにも)とっくに気付かれていたみたいだが。
悠莉はそんな幸人を敢えてはぐらかし、煽ってさえいた。
彼女としては二人が良い関係になるのは、別段悪い事ではないのだ。寧ろ自身が成長過程の間は、二人が恋人関係になるのも望ましい。それから勝負が始まると思ってさえいた。
幸人はあの時の事を今でも後悔していたのか。否、どちらかというと揺らいでいた。自分自身の気持ちにだ。
裏と表は決して交わる事は無い――交わってはいけない。
これは裏に棲まう者に課せられた、暗黙の了解とも云えた。
表としての顔が在りながらも、必要最低限の線引きが在り、それ以上踏み込まぬよう距離を置く。幸人は特に其処はしっかりとしていた――筈だった。
彼女の自宅まで亜美を送った時、表としてはそれで終わりだった筈だ。
『少し上がっていきませんか?』
なのに何故かその時は、彼女のその言葉に導かれるよう、着いて行ってしまった。
亜美の気持ちは充分に理解していた筈だ。なら部屋に上がった時点で――彼女の意図は、充分に推測出来た筈だ。
だが抗えなかった。抱いて欲しいと懇願する亜美を、突き放す事が出来なかった。いや正確には押し留めようと、必死で理性と闘っていたのだが。
亜美にも分かっていた。裏の顔を持つ幸人とは、決して本当の意味で結ばれる事は無い事に。
裏で殺人に手を染める者の罪。それは一生消える事は無い。
それでも好きになってしまった。人が人を好きになるのに、裏も表もあろうか。
例え理解し合える事は無くても――
『せめて“初めて”は、初めて好きになった人にあげたいものじゃないですか』
決して叶わぬのなら、せめてはこの人に捧げたい。
これが幸人の理性を、表と裏の垣根を越えさせてしまった。
どんなに人智を超えた力を持っていようとも、幸人も一人の人間である。
『亜美さん……』
幸人は亜美をゆっくりと押し留めると、決して依頼以外では外す事の無かった眼鏡を――外していた。
瞬間、瞳も髪も燃えるような銀色に変貌。
亜美は幸人のこの姿を知ってはいたが、その過程を見たのは当然初めてだ。
『亜美さん……これが私の――いや、これが俺の……“人在らざる者”、特異点とされた本当の姿』
戸惑っているようにも見える亜美へ、幸人は雫としての姿を自ら明かしていた。
亜美の本気の気持ちに応える為に、自分も本当の姿で応える必要があったのだ。
『この手は異能という超常現象を操る事を可能とし――』
翳した雫の掌が蒼白く輝く。
『そして狂座の名の下、数多の命をこの手で奪ってきた。これまでも……そしてこれからも』
棲んでいる世界が違う事を、包み隠さず雫は見せていた。
自分の全てを見せる事により、自分への想いを――自分自身の想いを断ち切る意味もあったのかもしれない。
『俺は常人とは根本的に違う……。俺では貴女を幸せには出来ない』
これで亜美が諦めてくれるのなら、それが一番彼女の為。自分の一番大切なものは、裏であってはならない。
幸人は正直思った。もし自分に裏という存在が無かったのなら、彼女と幸せな家庭を作る道も有ったかもしれない。否――きっとそうしていただろう。
彼女がそうであるように、幸人もまた亜美に惹かれていた事になる。だからこそ葛藤していた。
『……いいんです、それでも』
だが亜美は構わず、冷気を宿した雫の掌に自分の手を重ねる。
雫は思わず目を見開いた。この手は絶対零度まで下げる事が出来る、正に死神の手。それを亜美は躊躇無く――だ。
自身の力を垣間見せる為、掌の温度はマイナス二十度程度に留めたものだが、それでも触れただけで『針を刺すよう』な痛覚に加え、容易に凍傷を起こす。
雫は瞬間的に通常温度に戻したが、それでも触れた瞬間はかなりの痛覚が有った筈だ。
『私は幸せになりたいんじゃない。ただ……好きです幸人さん。貴方が何者でも』
だが亜美は離さなかった。そしてそれが幸人の最後の理性を崩させた。
気付けば幸人は自ら亜美を引き寄せ、唇を重ねる。
『――っ! んん……』
幸せには出来ない――が、愛しいと思った。彼女という存在を。
『亜美……』
そう呼ぶのにもう建前は無い。
まだ迷いはあった。だが幸人は初めて裏の自分が、表に認められた――と。そして何よりも魅力的と思える四股が、そのもの迷いを上回った。
『幸人さんっ――』
裏と表は交わり――そして二人は溺れていったーー。
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