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放課後間際。生徒たちの荷物の音や、椅子を引く音だけが教室に響く。そのなかで、日下部はひとり、窓側に背を向けたまま教科書をしまっていた。
──数人の男子が、近づいていた。
「おまえさ……遥と仲いいフリして、実は見世物にしてんじゃね?」
「ずっと見てたんだろ? “あれ”とか、“それ”とか」
にやにやと笑う声。
誰かが日下部の制服の背を、ぐっと掴んだ。
「てかさ、おまえの“ターン”ってまだじゃね? ずっと見てるだけだったじゃん」
「見せてよ。どんな顔すんのか」
反応する間もなく、背中を押された。
教室の真ん中、教卓と黒板のあいだへ。
あのとき──遥が何度も立たされた、あの場所に。
日下部は睨むように振り向いた。
けれど、その目に宿った怒りを、誰も恐れはしなかった。
「“俺が代わる”って、そういうことじゃね?」
「ほら、制服脱がす? 下、どうなってんのか見てみようぜ」
誰かが手を伸ばした。
ワイシャツの裾を引っ張り、背中を撫でるようにめくる。
「こいつ、割と筋肉あるじゃん。ウケる、意識高い系?」
「え、まじ、じゃあ“受け”じゃないの? 上? 下?」
笑い声が重なっていく。
目の前の机に押しつけられるようにして、肘がぶつかる音が響く。
──そのとき。
教室の端。
遥は、静かに立ち尽くしていた。
何も言わない。
けれど、見ていた。
目を逸らせなかった。
(……俺のせいだ)
そう思った。
何もしていないのに。
声をかけていないのに。
ただ、そこにいるだけなのに。
(俺が、あいつを……巻き込んだ)
「“おまえの”せいじゃないよ?」
──声がした気がした。
頭の奥のほうから。
蓮司の、あの、軽い、透き通った声。
「でも、“おまえがいたから”で、充分理由になるでしょ?」
その瞬間──遥の視界がにじんだ。
(違う。俺は……ちが……)
でも、違わない。
だって、自分がいなければ。
誰も、こんなふうにはならなかった。
そのとき。
日下部と、遥の目が合った。
ほんの一瞬。
押しつけられていた体勢のまま、日下部が振り返った。
遥は、思わず後ずさった。
日下部の目には──怒りでも、助けを求める光でもなかった。
ただ、「見られてしまった」という痛みが、あった。
(また、俺は──)
──そのときだった。
「やめとけって、そろそろ先生来んだろ」
飄々とした声。
蓮司が、教室の後ろから現れた。
まるで無関心な顔。
それでいて、すべての流れを見ていた目。
「ま、いい絵は撮れたし……次はどんな“構図”がいいと思う?」
笑いながら言ったその言葉に、誰かがまた笑った。
笑いが、連鎖する。
教室が、また“娯楽”に戻っていく。
けれど──遥と日下部のあいだに残ったものは、
ただ一つ。
「沈黙」だった。
何も言えなかった。
日下部も、遥も。
互いが、互いの“せい”だと、思っていた。
──それが、蓮司の置いた、次の罠だった。