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発情期も無事に終わり、年も明けた。
今日は、久しぶりに仁さんたちと会う日だ。
新年の挨拶もまだだったしということで、いつもの四人で近場の居酒屋で軽く飲む予定を立てた。
集合は七時、店はここから徒歩10分ほどで着く居酒屋・さつき。
久々に外に出る。
空気は、冬らしく澄んでいてどこかしゃんと背筋が伸びる。
吐く息は白く、街灯の光を柔らかく反射していた。
コートの襟を立てて歩きながら、俺はふと、通りの向こうを見た。
そのとき
歩道をゆっくりと進む、見慣れた後ろ姿が目に入った。
落ち着いた色のコートに、夜の闇に映える紫の髪。
手をポケットに入れて歩く、その肩幅
遠目でも、すぐに仁さんだとわかった。
気づいた瞬間には、もう身体が前へ動いていた。
足がぱたぱたと地面を叩く音が
自分でもやけに大きく響く気がして、ちょっと恥ずかしい。
でもそれ以上に、声をかけずにはいられなかった。
数日ぶりのその背中が、思った以上に懐かしかったから。
「仁さーん!」
寒い空気に、自分の声がちょっと大きく響いた気がして、我ながら照れくさい。
でも、それよりも、姿を見つけた嬉しさの方が勝っていた。
5日ぶり、だっけ。
仁さんが振り返って、目が合う。
一瞬、驚いた顔したけど
すぐに、いつもの優しい目になって、口元が緩んだ。
(……ああ、やっぱ好きだな、この人)
なんかそれだけで、全身があったかくなる気がした。
駆け寄った足が止まらなくて、そのまま並んで歩きだす。
隣を歩いている、たったそれだけなのに、すっごく落ち着く。
仁さんが横目で少しだけこっち見て、小さく笑った。
「元気そうだな」
低くてやわらかい、なんてことない言葉。
ほんの数文字だけなのに胸が、ふわっとなる。
仁さんの隣を歩くこの感覚、ずっと求めていたものだ。
ヒート中は、この人と距離を取らなければならなかった。
その分、今のこの瞬間の温かさが一層身に染みる。
「…はい、今はすっごく体が軽いです」
なんか変な返事になった気がして、ちょっとだけ笑ってごまかした。
本当に体は軽いし、心も晴れやかだ。
こんなにも、この人の隣を歩くことが心地よかったなんて。
仁さんもくすって笑って「そっか」って言ってくれる。
その優しい声が、やたら嬉しかった。
並んで歩くうちに、何度か肩が触れそうになって
そのたびに意識して、少し距離をとってしまう自分がいた。
別に、嫌とかじゃない。
むしろ、触れてたいくらい。
だけど、こうやって会うのなんだか久しぶりで。
新年明けて会うのも、今日が初めてで。
変なこと思われたらやだな、とか
俺だけ浮かれてたらやだな、とか。
そんなくだらない思考がぐるぐるしてるうちに結局無言になってしまった。
沈黙は気まずいものではなかった。
ただ、二人で冬の夜道を歩く、静かで穏やかな時
間。
街の喧騒が遠くに聞こえ、吐く息が白い。
ときどき、仁さんのコートの裾が俺の足に触れる。
その度に、心臓が小さく跳ねる。
それだけで十分だった。
隣にいるだけで、こんなにも心が満たされるなんて。
やがて、賑やかな明かりが見えてきた。
提灯が連なり、入口からは温かそうな光が漏れている。
「着いたな」
仁さんの声で、思わず立ち止まる。
居酒屋「さつき」の暖簾が風に揺れていた。
中から聞こえる談笑の声と、香ばしい匂い。
扉を開けると、一気に喧騒と熱気が押し寄せてきた。
「いらっしゃいませー!」
威勢のいい声に迎えられ、店内へ足を踏み入れる。
少し肌寒い外から入ったからか、店内の温かさがことさら心地よく感じられた。
奥のテーブル席に、見慣れた二つの顔が見えた。
「あ、将暉さん、瑞希くんも!」
俺が声を上げると、二人がこちらを振り返る。
「おっ、来た。こっちこっち~」
将暉さんがにこやかに手を挙げている。
俺たちは自然とそちらへ向かい、空いている席に腰を下ろした。
温かいおしぼりで手を拭くと冷え切った指先がじんわりと温まっていく。
仁さんが目の前に座り、仁さんの隣に将暉さん
俺の隣に瑞希くん
いつもの四人が揃い、自然と笑みがこぼれる。
「2人のももう頼んどいたから早く乾杯しよ!」
瑞希くんの弾むような声が、個室に満ちる談笑の合間を縫って響いた。
その言葉は、まるで魔法の呪文のように
疲労と興奮が混じり合った全員の心を一瞬で捉え る。
将暉さんがすでに準備万端といった様子でジョッキを手に取ると、仁さんもそれに続き
俺も自然と冷えたグラスを掴んだ。
「よーし!じゃあ改めて、あけましておめでとー!」
将暉さんの威勢のいい掛け声が、まるで新年の祝砲のように高く掲げられたジョッキと共に放たれる。
その勢いに乗せられるように、俺たちも声を揃えた。
カチン、カチン、と軽快な音が小気味よく響き渡り、琥珀色の液体がそれぞれ喉元へと吸い込まれていく。
きめ細やかな泡がシュワッと弾け、冷たいビールが食道を滑り落ちていく感覚は一日の終わりの至福そのものだった。
体の奥底まで染み渡るその冷たさが、鉛のように重かった疲労感を洗い流し
じんわりと温かな活力が満ちてくるのを感じる。
乾杯の余韻に浸る間もなく
熱々の湯気を立てる羽根つき餃子、鮮やかな霜降りが目を引く馬刺し、食欲をそそる真っ赤なピリ辛キムチ
そしてとろとろに煮込まれた牛すじ煮込み
さらにシンと鼻を刺激するタコワサと、次々とテーブルを彩る料理が運ばれてきた。
どれもこれも、酒の肴にはこれ以上ない最高のラインナップだ。
香ばしい醤油の匂いや、ピリッとした香辛料の香りが、食欲を一層掻き立てる。
仁さんは嬉しそうに目を細めながら、肉汁溢れる餃子を口に運んでいる。
将暉さんも負けじと、タコワサの小鉢に箸を伸ばしながら満足げに頷く。
「ここのタコワサも、ちゃんとワサビが効いてていいわ……変に甘ったるくないのが良い」
俺も瑞希くんも、それぞれ好きな料理に手を伸ばし、和やかな時間が流れていく。
瑞希くんは早速、大好物の牛すじ煮込みを張り、とろけるような食感に小さく感嘆の声を漏らしている。
俺はキムチの辛さにビールを煽りながら、それぞれの料理の味を堪能した。
まだ誰も酔ってはいないものの
気の置けない仲間との時間に、自然と会話も弾んでいった。
仕事の愚痴や最近あった面白い出来事
来年の抱負などが入り混じり、笑い声が絶えない。
この何気ない時間が、何よりも心地よかった。
そんな中、ふと瑞希くんが箸を置いて、真っ直ぐに俺の目を見つめた。
「あっそういえば、あんたあの朔久っていう元カレ振ったんだっけ?」
瑞希くんの、いつものストレートすぎる質問に、俺は一瞬言葉に詰まった。
まさかこの場でその話題が出るとは思わず、持っていたビールジョッキを持つ手がピクリと震える。
場の明るい雰囲気が、一瞬だけ静寂に包まれたように感じられた。
「え、うん…あのときちゃんと断ったよ。朔久はやっぱ……最後まで優しくて、さらに申し訳なくなっちゃったんだよね」
俺は苦笑いを浮かべながら答えた。
朔久との別れは、決して険悪なものではなかった。
むしろ、最後の最後まで俺の気持ちを尊重し、俺を気遣ってくれる彼の優しさには感謝するばかりだった。
すると将暉さんが極めて穏やかな声で、少し楽しそうに言った。
「じゃ、次は最高の番見つけて、幸せになってるとこ見せてあげなきゃね。きっと色川も、心から祝ってくれるでしょ」
将暉さんの言葉に、俺は少し考える。
確かに、そうかもしれない。
彼の言う通り、次に俺が幸せな姿を見せることが、朔久への何よりの返礼になるのかもしれない。
でも、まだその「次」を想像することはできなかった。
「…そう、ですよね!」
俺は曖昧に返事をしながら、ジョッキに残ったビールを一気に飲み干した。
喉を潤す冷たい感覚が、今の俺の感情を紛らわせるように、熱くなった心を冷ましていくようだった。
ジョッキを机の上に置くと、俺は再び口を開いた。
「……俺、発情期が本当に最近辛くて。身体もしんどいし、気持ちもぐちゃぐちゃになるし、だから……早く番、見つけたいなって思うんです」
ふと口から漏れた言葉は、思いのほか具体的で、自分でも少し驚いた。