「律がどうして俺に走ったか、その様子やったら一生理解できないと思うから、教えておくわ。彼女が心の隙を作って俺との関係に走ったのは、光貴さんが律のことをきちんと愛して大事にしなかったから。それが一番の理由」
「そんな…僕は律を大事に思っていました――」
「光貴さんが律のことを一度も名前で呼んでいるところを、俺は聞いたことがないけど」旦那の言葉を遮ってやった。「俺と初めて会った時から、ずっと」
旦那は律のこと、ちょっと、とか、なあ、とか、そんな風に呼んでいた。
「愛しているのひとことも聞いたことがないって律が言ってたけど、それについてはどう?」
「……確かにそういうことはできませんでした。ただ、僕なりに律をちゃんと大事にしていました」
「じゃあ聞くけど、彼女が一番苦しんでいる時どこにいた?」
「それは…」
旦那は最初から戦意喪失しているのか全然攻撃的ではない。どちらかといえば俺の方が攻撃的や。立ち位置おかしいな。俺の方が浮気された旦那みたいに思えてくる。
「チャンスはいっぱいあったはずや。ライブ終わり間際、詩音の死産を最終的に聞くまでに、律の様子がおかしいって気が付かなかった? 俺、彼女の傍にいたから知ってるけれど、律が電話してる時、声が震えてた。必死に隠そうとしていたけどできてなかった。その時、律の様子がおかしいって気が付いてやれよ」
遂に旦那は押し黙った。出来なかったことを今更責め立てても可哀想だとは思うけど。
「自分の夢が一番大事だったら、何を犠牲にしてもいいのか?」
「違いますっ!」
「不本意ながら俺が傍にいる形になってしまったけれど、律がずっと求めていたのは、俺じゃなくて光貴さんや。それに気づいて欲しかった」
旦那は唇を噛み締め、なにかを堪えるように震えていた。
言いたいことはいっぱいあるだろうし、俺みたいな間男にこんな風に言われて悔しいだろう。でも彼は黙っていた。
「新藤さんの言う通り…僕では律を幸せにできないと気が付きました」
彼の目から涙が溢れた。間男の前で泣いて滑稽だとかそんな風には思えなかった。律を思う純粋で綺麗な涙だと思った。
「僕はして欲しいことを言われないと、気が付けない性質なんです。律が好きって、ただそれだけで…。大事にしたいのに上手くできなくて…。それに僕はずっと白斗コンプレックスでした。律の心を掴んだままの白斗が羨ましかった。才能があって、女性の扱いも慣れていて、RBは売れているし、音楽で成功しているし、律は白斗が大好きで…。今でも嫉妬しています。律が僕じゃなくて白斗(あなた)を選んだことを」
俺が羨ましかった?
どの辺が?
旦那が思う何倍も、俺の方が旦那への憧れを持っているのに。
「律は僕が幸せにしたかった。一生かけて愛そうと誓ったのに、ダメでした。最後の最後まで…十六年も前から好きだった彼女を大事にできずに、自分勝手なことをしてしまいました」
旦那の涙は懺悔。
律を想って流す純粋な涙。こんな状況で曲を書こうとしている俺とは違う。だから綺麗なのだ。
「新藤さん」
旦那が顔を上げ、しっかりと俺を見据えた。「律を幸せにして下さい。よろしくお願いします」
旦那は俺に近寄って頭を下げ、白い封筒を渡してきた。少し皺ができてなにかのシミみたいなものがいっぱい付いた封筒だ。旦那が律に当てた手紙かな。
「僕、これから警察へ行きます」