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高校一年生・仮名:Nさん
“自分が嫌い”って言葉じゃ足りない気がします。
鏡を見るのも苦手で、誰かに褒められても信じられません。
“そんなことないよ”って言われると、
逆に否定されたみたいで苦しくなります。
どうして、こんなに自分を受け入れられないんでしょうか。
遥 「……“自分が嫌い”って、
すごく簡単に聞こえるけど、ほんとは重い言葉だよな。
オレも何度も思った。
でもあれって、自分を否定したいんじゃなくて、
“分かってほしい”って心が叫んでる時なんだと思う。
誰かに、“そんなふうに見ないで”って」
蓮司 「“嫌い”って言葉の奥には、
本当は“好きになりたかった”って気持ちが隠れてる。
自分を見捨てたくないから、
嫌うことで先に距離を取ってるだけ。
痛みを感じないように、先回りして自分を突き放すんだ」
日下部 「……Nさんは、きっと人の心に敏感なんだ。
だから、人の期待とか視線とか、全部拾ってしまう。
“自分”がその重さに押しつぶされて、
どれが本当の姿なのか、見えなくなってるんだと思う。
嫌っているのは“偽りの自分”で、
本当のNさんは、まだ奥にいる」
遥 「オレも、“こんな自分イヤだ”って思うたびに、
“でも誰かに見つけてほしい”って思ってた。
嫌うことは、消したいほど見てるってことだ。
ちゃんと、自分を見てる証拠なんだよ」
蓮司 「“自分を受け入れる”って、
好きになることじゃなくて、
“そう思ってる自分をそのまま置く”ことなんだ。
“嫌いだな”って思ってる時点で、もうちゃんと向き合ってる」
日下部 「……Nさんの中で、
“嫌い”って言葉を選べるだけの余力がある。
完全に壊れてたら、それすら出てこない。
だから、今の痛みは、まだ“生きよう”としてる証だよ」
🗝 三人からのことば
遥 「“自分が嫌い”って言葉は、
本当は“見つけてほしい”の裏返しだ」
蓮司 「嫌うことも、向き合ってる証拠。
それは、逃げてない心の形だ」
日下部 「“嫌い”の奥には、
まだあきらめていない“自分”が生きてる」