少女を連れて
森の道を歩き始めてから
しばらくは
ただ、音のない時間が続いていた。
足音だけが
湿った土を踏む。
少女――イチは
ルシアンの手に導かれながら、
少し遅れて
ゆっくりと歩を進めている。
目線はずっと
地面に落ちているままだった。
―――
やがて、
茂みの向こうで気配が揺れた。
ルシアンは立ち止まる。
それと同時に、
一本の木陰から静かに人影が現れた。
「……ルシアン」
長い前髪を掻き上げ、
落ち着いた声音で男は言う。
エリアス・オースティン。
森林の隙間に立っているだけで
空気が冷えるような
静かな佇まい。
彼は帝国兵に気取られぬよう
森の周囲を警戒していた。
「遅かったな。
……何かあったのか?」
そう言いかけて、エリアスは目を見開いた。
ルシアンの隣に小柄な少女がいた。
着ている服は泥にまみれ、
肌の色は悪い。
浮かぶ感情はどこにもない。
ただ、
朽ちた葉のように
無抵抗で立っていた。
「……誰だ、その子は」
問いは自然だったが、
答えは返ってこない。
イチはエリアスを見ることもなく
ただ背中を丸め
小さく立っている。
ルシアンは短く息を吸い、
「……行くぞ」
とだけ言うと、
歩き出した。
エリアスは
ほんの一瞬
何かを聞きたげに口を開き――
そのまま閉じた。
少女の後ろ姿が
あまりに静かで、
そして脆く、
触れれば崩れそうだったから。
問いかけるべき言葉が
見つからなかった。
エリアスは
ルシアンの後ろにつき、
ゆっくりと歩き出す。
沈黙の列。
少女は
一歩遅れながら
ついていく。
返事も
表情も
何もない。
その歩みに
ただひたすら
空虚さが纏わりつく。
―――
森を抜けるころ、
エリアスは
横目でルシアンを見る。
「……エリオットは?」
短い問いかけ。
ルシアンは
前を向いたまま静かに首を横に振った。
エリアスは
目を伏せた。
その仕草に驚きも動揺もない。
ただ、
胸の奥に
確かに
痛みが沈んだ。
「……そうか」
それ以上言葉は続かなかった。
イチは二人のやりとりにも反応せず
ただ歩き続ける。
やがて
ルシアンの屋敷――
ヴァルドレイダド邸
が見えてきた。
三人は
静かに門をくぐる。
その道のりは
長く、
重く、
どこにも
救いの色を帯びていなかった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!