テラーノベル
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ざわつきながらも、教室には妙な静けさがあった。それは“音がない”という意味じゃない。
むしろ、音のある静寂。
──誰もが“起こること”を予感して、それを待っている沈黙だった。
遥は黒板の方を向いたまま、
何も考えないようにして、ただ空を見ていた。
それは、考えると“思ってしまう”から。
思うと、“感じてしまう”から。
日下部は、後ろの席に座っていた。
あいかわらず不器用で、
あいかわらず、不自然に優しい。
それが──今は、遥にとっていちばん苦しいものだった。
そのときだった。
「ねえ、さ。さっきの話、ホントだったの?」
誰かが、遥の机の近くに来て、そう言った。
女子だった。名前も、顔も、もう思い出せない。
「日下部と……そういう関係なんだ? あんたから“誘ってる”ってこと?」
何かが、喉の奥でひりついた。
でも、遥は何も言わない。
言えば、もっとひどいことになるって、知っていた。
「さっきさ、蓮司くん言ってたよ。“止めたけど、遥が聞かなかった”って」
「巻き込むほうが悪いんじゃないの?」
誰かが笑った。
何人いるのかもわからない。
けれど、その空気は──すでに“それ”だった。
──もう、始まっている。
「じゃあ、証明してよ。あんたが“誘ってない”って」
「ほら、触ってみなよ。あいつに」
日下部が、ふと立ち上がろうとした。
けれど──数人の男子が、その肩を押さえた。
「……おまえもさ、加害者なのか被害者なのか、はっきりしてくれよ」
「遥が巻き込んでるって言われてんだよ?」
「だったら、証明して。……嫌いなら、突き飛ばせばいいじゃん」
遥の身体が、硬直した。
“あれ”と同じだった。
昔、家で──兄たちに言われた言葉と、同じ響き。
「嫌いなら拒めるよね?」
「同情でくっついてるとか、気持ち悪いんだけど」
日下部は押さえられたまま、遥を見た。
遥もまた、顔をあげた。
何も言えなかった。
目だけが、深く沈んだ水のように濁っていた。
そのとき、誰かが──遥の腕を掴んだ。
「じゃあ、やってよ。いつもみたいに“すがる”んでしょ?」
「日下部くんの腕、掴んで泣いてよ。“助けて”ってやつ、見たいんだよね」
「昨日も言ってたじゃん。“メスいぬ”って。じゃあ、今日も吠えてみなよ」
笑いが、あちこちで起こった。
男子も、女子も。
そして、教師の姿は、どこにもなかった。
「ね、こっちの手も開いてるよ。掴ませてあげる」
「さあ──“巻き込まれてあげなよ”、日下部くんも」
日下部の目が、かすかに揺れた。
遥の方を見ていた。
ただ、それだけ。
けれど──遥はその“視線”すら、
自分への罰のように感じていた。
「ごめん……」
ようやく、唇が動いたときには、
もう、誰かの手がシャツの裾にかかっていた。
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