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「……ごめん」
遥がそう言ったとき、
それは、何に対しての謝罪だったのか──
遥自身にも、もうわからなかった。
ただ、「こうなること」を知っていて、
それでも日下部に、近づいてしまったこと。
その“結果”を、
今まさに──日下部が引き受けようとしていること。
シャツの裾にかけられた指は、
もう、押し込むように腰骨の上を這っていた。
けれど、遥は動かなかった。
抵抗すれば、日下部に──もっとひどいことが起こると、
どこかで知っていた。
「……なあ、マジで何がしたいの? こいつら、付き合ってんの?」
「えー、やばくない? しかもさ、どっちも被害者ヅラしてるのウケるよね」
「てか、日下部くん、ちょっとは反応しなよ。あんたのために脱いでくれてんでしょ、これ?」
「じゃなかったら、なんで助けないの? ……ほんとに“やらせてんじゃないの”、あいつに」
クラスのあちこちから、
「ただの言葉」が、“刃物”のように降ってくる。
遥の制服は、背中からずり下ろされていた。
肩の骨が浮いていた。
何もない──それが余計に、晒されている感じだった。
そのすぐ横。
日下部は、動けなかった。
押さえつけているのは、誰でもない。
──“空気”だった。
誰かがやったわけじゃない。
ただの「ノリ」で、ただの「確認」で、ただの「反応」で。
だからこそ、誰にも責任はない。
そして──だからこそ、誰も止めなかった。
「……ねえ、泣かないの?」
「昨日みたいに、鳴いてよ。ほら、“お願い”ってやつ」
耳の奥が、しゅうしゅうと鳴っていた。
遥の視界は、もう霞んでいた。
身体じゃない。
皮膚の、もっと奥。
骨の芯みたいな部分に、薄くひびが入っていく音だけが、
教室の喧騒と反響していた。
(──“こんなはずじゃなかった”)
たぶん、それは日下部の心のどこかに浮かんだ言葉。
でも、それと同時に──
(……知ってた、はずだった)
遥の心には、それしかなかった。
自分が近づけば、こうなる。
誰かに期待すれば、こうなる。
守りたいと思えば、それがいちばんの暴力になる。
(“俺は、加害者だ”)
だからこそ──何も言わなかった。
日下部の顔を見ないようにして、
ただ、首を垂れたまま、晒された背中を閉じなかった。
(全部、俺のせいでいい)
そのとき、
背後で“笑い声”が止んだ。
いや、正確には、止まったわけではない。
空気が、“何か”を察した。
教室の入り口。
蓮司がいた。
壁に背を預けて、アイスを食べながら。
視線は、遥でも、日下部でもなかった。
ただ、教室全体を眺めていた。
「……さあて、盛り上がってきたねえ」
口元に笑みは浮かんでいない。
けれど、声には“愉快さ”が滲んでいた。
「面白いなあ……これ、誰がやらせてんだろうね?」
誰も答えない。
蓮司は、廊下にアイスの棒を落として、
ゆっくりと教室に歩き出した。
「で、誰が責任とるの?」
誰も言わない。
蓮司は、遥の真横で立ち止まり、
その姿を見下ろすように目を細めた。
「……まさか、また泣いてないよね?」
それは、遥だけに向けられた言葉じゃなかった。
日下部にも、クラスにも、教室そのものに対する──
挑発だった。
「まあ、いいや。続き、やってよ。俺も、見てたいし」
「たださ、あとで“あいつ(=遥)がやらせた”ってことにしとくね」
「……公平でしょ?」
そう言って、蓮司は笑った。
静かに。残酷に。
何の感情も込めない、中空の声で。