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その場の空気が少しだけ静かになる。
仁さんは、少しの間視線を泳がせたあと、そっぽを向いて笑った。
「はっ、なにそれ…変な夢でも見たんじゃない?」
「…そ、そう……ですよね?俺の勘違いですよね?」
仁さんは俺の目を見なかった。
けれど、グラスの中の氷をコロンっと鳴らして
「たり前、だって楓くんだよ?」
と鼻で笑うように言った。
そこにいるのはやっぱりいつもの仁さんで
「え、その言い方はなんか含んでません?」
と俺は軽く突っ込む。
「楓くんはそういうの気にしなくていいの」
「そう言われると余計気になるんですけど!」
俺が拗ねたように言うと、仁さんはようやく笑った。
その後、2時間ほど談笑してからバーの前で将暉さんたちとお別れした。
「また飲も」
「じゃあまたね~」
という将暉さんと瑞希くんの声が背後から響く。
「お一」
「はい!」
と仁さんと二人で手を振った。
「じゃ、俺達も帰りましょうか」
「ん。てか今日はあんま酔ってないね」
「なんか仁さんと言い合ってたら酔いも覚めたみたいで。ははっ、今日は肩借りずに済みそうです」
「そりゃ何よりで」
二人、肩を並べて夜道を歩いていく。
静寂の中で、足音だけが響く。
星明かりが照らす道を黙って歩いていると
ふと、仁さんが独り言のように呟いた。
「楓くんはさ」
「はい…?」
俺は少し首を傾げて聞き返す。
仁さんは前を向いたまま続けた。
「俺のことどう思ってる?」
その質問に、俺は少し驚いて立ち止まった。
「え?仁さんのことどう思ってるか……ですか?」
「そう」
俺は少し考えてから口を開いた。
「あの……変な意味じゃないですよ?」
「ただ…友人として、店の常連客としても凄く大事な人、です」
仁さんはふっと息を吐き出したように笑うと
そのまま黙ってまた歩き出した。
「えっ…仁さん…?」
「楓くんさ」
「はい?」
「……」
仁さんは立ち止まり俺に振り返ると
しばらくの沈黙の後
「…いや、なんでもない」
と呟いた。
そして再び歩き出す。
「えっ…ちょ、仁さん?」
俺は慌てて追いかける。
その背中はどこかげで、まるで何かを諦めたかのようにも見えた。
考えすぎかな。
◆◇◆◇
それからしばらく経ったある日
「な、なにこれ……?!」
俺は、自分の店に出勤するなり、目を疑う光景を目の当たりにした。
シャッターに赤いスプレーで書いたと思われる落書きがされていたのだ。
「……バカ…って、さ、さっさと辞めろ…って、なんだよこれ…」
ここは法治国家、証拠社会といっても過言ではない日本だ。
俺は念の為、証拠として落書きされたシャッターをスマホのカメラに収めた。
そしてすぐ店で使っている掃除用具の中からモップとバケツを取り出し丁寧に拭き取るとすぐに消えた。
(でも、こんなことをするなんて……一体誰が…)
まさかまたリプロダクションスレイヴ・岩渕の仕業なのか?と疑ったが
まだ釈放はされていないはず。
俺は動揺を隠せなかったが
とりあえず店を開けるために準備に取り掛かった。
◆◇◆◇
閉店後の店内で、ふと一人になった瞬間
今日一日の出来事が頭の中をよぎる。
(あの落書きは何だったんだろう……)
思い出して、背筋に冷たいものが走るような気がした。
でも今はそんなこと考えても仕方ない。
明日もまた頑張らなきゃな…
そう思い直し、俺は店を閉めようと外に出ると
薄暗がりの街灯の下にひとりの人物が立っていることに気がついた。
それは、黒いコートを身に纏った人だった。
そいつの手には赤いスプレーが握られていて
男か女かは分からないが
俺は驚いて立ち止まる。
するとそいつは俺に気づいたのか、スピードで走って逃げ出した。
俺は咄嗟に追いかけた。
だが距離が開きすぎていて追いつけそうになかった。
諦めて立ち止まり振り返ると、そいつはすでに角を曲がって見えなくなっていた。
◆◇◆◇
次の日───
俺はこのことを健司に相談することにした。
長年のマブダチだし、口を開きやすい。
普通にビデオ繋げてゲームでもしないかと誘って、ビデオ通話を繋げると
「あのさ、健司、ちょっと相談あるんだけど」
「相談?珍しいじゃん。なんだよ?」
早速その件について話した。
「は?んだそれ最低だな」
健司の驚きが画面越しにも伝わってきた。
「そうなんだよ……今度はシャッターに落書き!しかも昨日閉店準備してるときに犯人らしき人見かけてさ」
「マジかよ、犯人の顔は見たのか?」
健司は眉をひそめて俺の話に耳を傾けている。
「いや、見てないよ。フード被ってて男か女かもわかんなかったし…でも多分あの速さは一般的に考えれば男かも……?」
「それってやっぱり岩渕とかいう奴の仕業なのか?」
俺は首を横に振る。
「いや、それはどうだろ。今は岩渕と、岩渕と一緒に逮捕された組員たちも刑を執行中で刑務所の中だと思うし、可能性は低いはず」
「…てことは別に犯人がいるってことか」
健司は真剣な表情で考え込んだ。
「そうなるよね」
「んー、あんま考えてもどうしようもないんじゃねぇか?楓は被害届とか出したのか?」
「あ、そういえばまだだった。いや、でも最近忙しくて行ってる暇ないし、俺がとっ捕まえてやろうかなって!」
俺の言葉を聞いて健司は顔をしかめた。
「バカ、そんな危ないことすんなって!」
「いやでもさ、捕まえて問い詰めたら犯行動機も分かるかもしれないし……」
「まぁまた進捗状況教えるよ。これ以上悪化するようだったら被害届出すのも視野に入れとく」
そうして通話を切った。
◆◇◆◇
その晩───…
仕事中、ふと気になって店の防犯カメラを確認してみると
落書きされていた時間帯
ちょうどシャッターの前にあの黒コートの人物が映っていた。
やはり男だった。
顔は分からなかったが身長は俺と同じぐらいだ。
そして手には例の赤いスプレー。
(やっぱりこいつが犯人なのか……っ!)
その姿を見て俺の心臓は早鐘のように鼓動した。
これは明らかに俺への攻撃だ。
なんでこんなことするんだ…
◆◇◆◇
それから数日後の週末、夕方
さすがに落書きに耐えかねた俺は
証拠もあるということで警察に被害届を出しに行こうと道を歩いていた。
そんなとき、前方に例の黒コートの姿が見えた。
俺は心臓が跳ね上がるような緊張を覚えつつもその人影を追いかけた。
「おい!待て!」
叫び声を上げると黒コートの人物はピクリと反応し一目散に走り出した。
俺は必死に追いかける。何度か諦めそうになったが
店のシャッターに書かれたあの文字を思い出し、足を動かし続けた。
最近あまり運動していなかったせいか息が切れ、肺が痛む。
それでも、この犯人を捕まえるまでは、と自分を鼓舞した。
細い路地に入り込んだそいつは、さらにスピードを上げた。
しかし、そこは袋小路。
行き止まりにぶつかり、黒コートの人物は立ち止まった。
「はあ、はあ……っ、やっと捕まえたぞ!」
俺はぜえぜえと息を切らしながら、一気に距離を詰める。
黒コートの人物は観念したのか、抵抗する素振りを見せない。
俺は、6年の経験で培った柔道の技を繰り出すべく、そいつの背中に飛びついた。
あっという間に組み伏せ、得意の寝技から関節技を仕掛ける。
相手の腕が捻じ上げられ、苦しげな声が漏れる。
「ぐっ……!」
その声に、俺は奇妙な既視感を覚えた。
いやまさか、そんなはずは……
しかし、もう後には引けない。
俺は相手のフードに手をかけ、一気にそれを引き剥がした。
「っ、け、健司………?!」
そこに現れたのは、親友の健司の顔だった。
予想もしなかった展開に、俺は呆然と固まる。
健司は苦痛に顔を歪めながらも、俺を見上げていた。
その目には、後悔と
そして何かを訴えかけるような複雑な感情が入り混じっていた。
◆◇◆◇
数分後…
近くのカフェにて
「で?健司、どういうこと」
健司は健司は黙りこくったままだった。
俺の声は震えていた。
健司は深いため息のあと、口を開いた。
「あぁそうだよ、俺が、俺がしたんだよ」
親友からのまさかの告白に、混乱と裏切りの感情が入り混じる。
「なんでそんなこと……!あんな、相談だって聞いてくれたのに、あのときから騙してたってこと……っ?」
俺は怒りよりも驚きと困惑が勝っていた。
健司は苦しそうに言葉を紡いだ。
「…もっと前かもな」
「は?それってどういう……」
「もういいだろ、警察突き出すなら突き出せばいいんじゃねえの。じゃあな」
「あっ、ちょっ健司……!まだ話は終わってな…っ!」
健司はガタンと席を立ち、俺の言葉に耳も傾けずに去って行ってしまった。
追いかけようとしたが、足が動かない。
その日は一日中ずっとモヤモヤしていた。
「なんで、なんでだよ…健司……」
◆◇◆◇
次の日、10月13日───…
いつも通り店に出勤し、開店すると、珍しく仁さんが朝早くから店にやってきた。
「楓くん、おはよ」
「あれ、仁さん?こんなに朝早くに来るなんて、初めてですよね」
仁さんは少し疲れた様子で微笑むと
「ちょっと楓くんに渡したい物があってさ」
そう言って俺に何かを差し出してきた。
「えっ……これって…?」
それは遊園地のチケットだった。
「遊園地のチケット…?どうして俺に……?」
驚きと戸惑いが入り交じった声で尋ねると
「実はうちの会社の後輩に貰ったんだよ。行けなくなったからってさ。で、どうせ捨てるのももったいないと思って……楓くんとどうかなって」
仁さんの優しい声色に少し落ち着きを取り戻した。
「遊園地、ですか…」
予想外の誘いに少し戸惑う。
けれど断る理由はない。
むしろここ最近落ち込んでいたので、気分転換にぴったりだとも思った。
それに仁さんと遊園地というシチュエーションにも心が揺れる。
「…….いいですね。行きたいです」
小さく笑みを浮かべて答える。
「よかった。じゃあ今週の日曜日とかどう?」
仁さんも嬉しそうに笑顔を返す。
「大丈夫です!楽しみにしてますね」
こうして仁さんと遊園地に出かけることとなった。
健司のことも気になったが今はこの誘いに乗ることにした。