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「なんですって!」
勝代の眉は、たちまちを吊り上る。
「ああ、さすがは芸者上がり、うちにも一人いるが、勇ましいことで」
逆上した勝代を更に煽るかのように、金原は、ふんと鼻で笑う。
「なっ!なにをっ!し、失礼じゃないの!そもそも、生地に難癖つけるなんて、ああ!そうだわ!あなた、値切るつもりね!」
勝代も、負けていなかった。
珠子から聞いていた櫻子の様子が、想像以上であった事も、勝代の怒りを倍増させた。
「旦那様……」
櫻子は顔を引きつらせ、金原を伺う。意味なく、喧嘩を吹っかけているように思えたからだ。しかも、店舗という公の場で。
が、心配するなとばかりに、繋がれている手は、ギュと握られた。
「あのなぁ、値切るもなにも、人絹《レーヨン》になど、誰が金を払う。この店では、正絹生地を扱ってないようだな」
金原は、嫌みったらしく、店の調度品をじろじろと眺めた。
「人絹!」
勝代が、叫ぶ。
「ああ、絹織物扱っているのに、人工か、天然か、区別がつかんのかね?まあ、欧州の大戦で、人絹糸が手に入り難くはなっているから、考えようによっては、人工織物も、高価ではあるか」
金原は、屁理屈のような嫌みを言って、店の者へ珠子の仕立てを優先するように告げた。
「子爵様との縁組の方が大事だろう?うちは、ただの集まり。別に参加しなくて良いものだからなぁ。ドレスは、他の店でも作れる」
その一言に、勝代以上に、店の者達が沸いた。
「失礼ですが、当店が、そんな俗な品を置いていると?」
「当店では、正絹しか扱っておりません」
店員達が、金原に、言いがかりは辞めろと睨みつけてくる。
勝代も、してやったりと、笑み、その後ろでは、珠子が櫻子を冷ややかに眺めていた。
櫻子は、つい金原の手を握り返した。だが、その手は、じっとり汗ばんでいる。涼しい顔で、あれこれ言っている金原だが、実は、場の分の悪さに負けているのではなかろうか。
とにかく、勝とうとしている金原に、ここは、勝ち負けではなく、丸く収めるべきだと、櫻子は言いたかった。しかし、この雰囲気で、櫻子が口を開くとこじれるのは目に見えている。
握った手を、更にギュッと握り、金原の気持ちを押さえようと試みる。その櫻子の思いが、どこまで金原へ通じるのだろう。それでも、櫻子は、願うように金原の手を握りしめた。
そこへ、カランカランと、ドアベルの音がした。
「まいどありー、荷物をお持ちしましたよー」
どこか、おかしな日本語が、ドアベルの音と共に流れてくる。
何故かハリソンが、現れた。
「あれこれあって、やっと、横浜の港にレーヨンが、届きましてねー。輸入品の方が、発色もいいと、こちらで、お取引始めたのよ」
虎ちゃーん!と、ハリソンの叫びに、へぇーい!と、虎の声がして、大きな包みが運びこまれて来た。
「いやー、虎ちゃんがいて、たすかったねー」
はいはい、そこへ置いて。と、荷物を抱える虎へ、ハリソンは、指図した。
「おまえ、勝手に虎を使うなっ!そもそも、荷物を運んで来たなら、それなり人がいるだろう!」
「あー、キヨシー!わたしね、本来は、御存じのように、絵画を売ってるね。だから、人、雇えなかったのよー。絵画だけじゃ、儲けにならないから、レーヨン売ることにしたのよ」
また、こいつは、と、金原は、片言とも言いきれない、おかしな日本語で答えるハリソンへ、じっとりとした視線を送った。
もちろん、店側は、慌てふためいている。人絹などと、言い切った所へ、ハリソンが、その人絹を運んで来たのだから。
そして、もう一組……。
「成田屋さん!どうゆうことです!」
勝代も怒り千万だった。
「人絹だなんて、そんな安っぽい物を持って、子爵様の所へなんて嫁げないわっ!!珠子!帰りますよ!」
荒々しく、ドアを開け、勝代と珠子は、店を出て行った。その後を、店の者が追っている。
当然の如く、去り際には、金原と櫻子を、これでもかと睨み付けた。珠子は、何が起こったのか分からず、おろおろしながら、とにかく、母を追っていたが、こちらも、櫻子へきつい視線を浴びせる事は忘れていなかった。
「ハリソン様!」
店の者が、悲痛な声をあげている。
「あ、商品のお代はね、現金払いでお願いよ」
ハリソンは、軽々しく応じたが、はたと、何か考え込む。そして。
「いや、しかしですね。ここ、ご主人さんが、夜逃げしてしまって、困ってるのよ。そいで、おいらの所へ、客引きに来たついでに、正絹ということにして、レーヨン売りたい。輸入してくれと、店をなんとか続けたいと泣きついて来たのさ。虎ちゃんよー」
独り言のような事を、何故か荷物運びをしている虎へ語りかける。
「わっ、なんか、ひどい話のような、そうでないような。ハリソンさん、しっかり話してくださいよー!俺っち、よくわかんなくなったっすー!」
「なったっすー!ですかい?」
わははは、と、ハリソンと虎は大笑いしている。
金原は、浮かれているハリソンへ、
「くだらん、芝居をうつな!何を企んでいるんだっ!」
怒鳴りつけるが、ハリソンは、鼻歌混じりで、残りの荷物を虎に運び込ませていた。
「あ、あの……」
店の番頭格だろう男が、恐る恐る、金原のご機嫌を伺ってきた。
「……ドレスの仕立は無し。というよりも、これは、ハリソンが、仕組んだことだろう。違うか?ハリソン!」
「ははは、何を根拠に。私は、キヨシ、君の女神《ミューズ》にもドレスが必要だろうと思った。それに、キヨシの妻として、顔見せも必要だと思ったから、ここを紹介した。君こそ、ご婦人と睨み合って。何、あれ?」
「それは、こちらの話。で、ハリソン、お前、この店をどうしたいんだ?」
金原の言葉に、店員達は、沈痛な面持ちになった。
「うーん、せっかくの、取引先だし、店主は、逃げてるし、完璧に行き詰まり。でねぇー、君に、いや、金原商店に買い取ってもらうとかなんとか、とにかく、ここを再生したいんだけど?」
そして、ハリソンは、櫻子を見て微笑んだ。
「さすがに、鬼キヨの名前が出るのはまずい。客も逃げてしまう。だから、屋号は、そのまま、成田屋で。そして、こちらの、奥様に、新しい店主として、取り仕切ってもらう、というのが、理想なんだけど?どう?」
そうすれば、妻可愛さで、低金利で融資してもらえるよ、などと、ハリソンは、成田屋の店員へ言っている。
皆は、店が持ち直すのならと、頷いていた。
「いや、まて!ハリソン!なぜ、そこで、櫻子を!!」
「ねっ?人前で、櫻子なんて、名前で呼ぶぐらい、溺愛してるんだよ?奥様が、店主になれば、成田屋存続に力をいれるさ!」
ハリソンの卓越した日本語に、乗せられ、店の者達は、すっかりその気になっている。
櫻子へ向かい、宜しくお願いしますと、皆で頭をさげていた。
「まったく!怪しい情報屋には、勝てねぇってことか!」
忌々しげに言う、金原の横で、櫻子は、唖然としていた。