放課後の教室は、誰もいない静寂に包まれていた。蒼井は窓際の席に腰を下ろし、外の景色をぼんやり眺めている。
樹はその隣の席に座り、教科書に目を落とすが、どうしても蒼井の視線が気になってしまう。
「……今日も、まだいるんだね」
樹の声に、蒼井はちらりと顔を向ける。
「当たり前だろ」
短く、けれどどこか鋭さを帯びた声。
樹は思わず背筋を伸ばし、心臓が跳ねるのを感じた。
蒼井は言葉少なに黒板の方を向き、また窓の外に目を落とす。
樹は無理に視線を外すふりをしながらも、机の端に置かれた蒼井のペンやノートをちらちらと見てしまう。
一言も交わさず、互いに空気を読み合うこの時間が、樹にとってはじわじわとした緊張の連続だった。
「……手伝おうか?」
思わず声をかける樹。
蒼井はしばらく無言のまま樹を見つめ、そしてゆっくりと首を振った。
「大丈夫だ」
その一言の裏に、微かな意図が隠されていることを、樹はなんとなく感じ取る。
放課後の光が教室に差し込み、蒼井の影が長く伸びる。
樹は息をひそめるようにして、机に置いた手をぎゅっと握った。
窓の外では風に揺れる木の葉が、教室の静けさに絶妙な揺らぎを与えている。
その揺れに心が乱されるたび、樹は蒼井の存在の大きさを思い知らされるのだった。
「……何で、そんなに無口なんだよ」
小さく呟く樹の声に、蒼井はわずかに眉をひそめる。
「別に……」
冷たく聞こえるその声に、樹は胸がぎゅっと締め付けられる。
言葉で拒絶されているのに、なぜか心は離れられない。
沈黙の中、机を挟んだ二人の距離はじわじわと縮まる。
樹がふとペンを落とすと、蒼井は何も言わずにそれを拾い、机の上にそっと置く。
その仕草だけで、樹は顔を赤らめ、息を整える。
無言のやり取りが、互いの心を微妙に侵食していく。
放課後のベルが鳴る頃、蒼井は立ち上がり、窓の外を見ながら言う。
「また、明日も来いよ」
短い言葉だが、樹の胸に重くのしかかる。
「……うん」
答えた樹の手は、無意識に机の角を握りしめていた。
二人の間に言葉はほとんどない。
しかし、それ以上に確かなものがそこにあった。
視線、沈黙、微細な仕草……。
それらが交錯し、放課後の教室という密室で、樹の心は蒼井に少しずつ支配されていく。
窓の外の光が傾き、教室に長い影を落とす頃、二人の距離は日常のままに見えて、確実に変化していた。
言葉ではなく、静かな心理の駆け引きで――じれじれと、そして確実に、心は侵食されていく。
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