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放課後の相談室は、昼間のざわめきが嘘みたいに静かだった。窓際の席に座る遥の前で、ひとりの男子生徒が鞄を抱えたまま立っている。
蛍光灯の白さが二人の影を細く長く落とした。
「……ここ、相談室って聞いたけど」
かすれた声。
遥は机から視線を上げ、軽くうなずく。
「座れば」
男子は椅子を引く音をやたら大きく響かせて腰を下ろした。
拳を膝の上で握ったまま、言葉を探している。
「先のことが、全然見えないんだ」
小さく吐き出した声は、教室の壁に吸い込まれていく。
「高校終わったあと、どうしていいのか分からない。
親は大学に行けって言うし、先生は“やればできる”って。
でも……自分が何をしたいか分からない。
空っぽなのに、時間だけが進んでる感じでさ」
遥は窓の外を見た。
夕暮れの雲が、濃い灰色に縁取られている。
「みんな進路決まってんの?」
男子が問うように呟いた。
「クラスのやつら、もう動いてる。
推薦とか、オープンキャンパスとか。
俺だけ置いてかれてるみたいで」
遥は、机の上に置いた指先を軽く叩いた。
「置いてかれてる、って言葉、俺もよく使ってた」
「……遥も?」
「うん。俺は今も進路なんて決まってない。
みんなのスピードが速く見えるだけで、
本当はそれぞれの時間で動いてるだけなんだと思う」
男子は目を瞬かせた。
「でもさ、遅れたら終わりじゃないの?」
「終わりって、誰が決めた?」
遥の声は穏やかだが、はっきりしている。
「自分で決めなきゃいけないだけ。
それに――空っぽって、悪いことじゃない」
男子は首を傾げた。
「何もないのに?」
「何もないなら、何でも置ける。
今、無理に形を作らなくても、
その空っぽのまま動いてること自体が、
案外、大事だったりする」
男子は黙り込む。
遥は言葉を足した。
「怖いのは分かるよ。
俺も毎日、自分の足場があるのか分からない。
でも、今日ここに来たこと自体が動いてる証拠だ」
男子は小さく息を吸った。
「動いてる……か」
「そう。
未来って、いま考えてる“正解”より、
動いた後に見える景色のほうが多い。
だから、止まったまま考えすぎなくてもいい」
教室の時計が六時を指した。
外の光は少しずつ紫に変わり、窓ガラスが鏡みたいに二人を映す。
男子は椅子の背に寄りかかり、目を伏せた。
「なんか……少しだけ息できる」
「それで十分だろ」
遥はかすかに笑った。
「明日も息してれば、それだけで次に繋がる」
男子はその笑顔に、ほっとしたように息を吐いた。
まだ答えはない。けれど、胸の奥にわずかな温度が灯る。
静かな教室に、時計の音だけが続いていた。