いきなり現れた熱源にじわりと汗ばむのがわかる。いや、目の前にあるそれが脅威であると認識したが故の汗なのかも知れない。
生唾を飲み込み、隣をうかがうとまだのんびりと立ち上がるところのミーナの姿が映る。この状況でも変わらずあくびなんてしていることに、危機感を高めるべきか戸惑う。
「まだだからぁ。向こうもまだ何も出来ないから大丈夫なんだよぉー」
「それは一体……どう見てもあれはヤバいだろ。というか蝶ってアレのことなのか⁉︎」
「ん? そうだけど?」
いや、ここには紅蓮の“蝶”を捕まえにきたはずだ。てっきり紅い色した蝶だとか羽が燃えるような赤だとか。そんな蝶と呼べる範疇のものを想像していたのに。というか虫網もせいぜい直径40cmほどのものなのに。
どう見ても羽を広げたそれは横幅で1mを超え、縦にも50cmはあろうかという、およそ蝶とは呼べないサイズなのだ。おまけに全身が揺らめいている。炎で。
「魔獣って、別に獣に限るわけじゃないんだよ。虫も植物も。この世界に満ちる魔力ってのを過剰に取り込み変異した強個体のことをひっくるめてるんだよね」
つまり、これは蝶の魔獣だと。その説明する口調はやっと緊張感のない間伸びしたものが消え、これから戦闘が始まることを予感させるものだった。
「魔力を取り込めないのは人間だけ。他の何でもが魔獣になる可能性を秘めてるの。ただ種族によってルールはあるの。この紅蓮蝶は魔力溜まりのこの場所で獲物が油断しきったところにここに生きるチョウチョを変異させて獲物を狩るのよ」
狩るのは常に冒険者側というわけではない、こんな何もない一見平和な場所に、罠が仕掛けられている。
「何かの悪意みたいなのを感じちゃうよね」
笑顔のままそんなことを言われて、呆気にとられていると
「やっと安定したみたいだね。一度顕現しだすとすぐに消えることなんて出来ないのよ。こうやって魔獣誕生の瞬間に立ち会えることはなかなかないよ。ビリーくんよかったね!」
これから起こることを想像したら喜べるわけなどない。すでに焼け付くような熱さに全身が逃げたくて仕方がない。安定したと言うのは魔獣が出来上がったと言うことだろう。そうなる前に捕獲でもした方が良かったに違いない。
「ダメなんだよねー。安定してないうちに捕まえると魔力が拡散してただのチョウチョに戻っちゃうから。でもまだ1匹は途中だから先に目の前の子だけ仕留めちゃおう!」
今のは自覚してる。きっと悔しさから非常に苦い顔をしていたことだろう。
逃げたい気持ちは抑え込む。魔獣に対してそれが叶わないのは経験済みだ。だから、ミーナのその言葉を聞いた瞬間、一足飛びに迫り上段からの縦一閃。
生死の掛かった状況がかつてないほどに鋭い斬撃を繰り出せたのがわかる。脚が、背中が、腕の先まで漲った渾身の一撃は、しかしねっとりとした手応えを残したのみで、見るとこの手にあるナマクラは溶けた何かの残骸となっていた。
炎が吹き荒れる。質量を伴った炎のひと撫でに弾かれ地面を転がった。焼かれた。一瞬で鉄を溶かした炎に俺の身体は焦がされた。
そう確信する状況ではあったが、しかし服こそ焼かれ貧相な半裸を晒したものの幻視したようなことにはならずに済んでいる。
「へぇー。ビリーくんて好奇心旺盛なんだね。炎の化身のような魔獣に鉄の剣で突っ込むとか」
なんだか珍しいものを見たかのように嬉しそうにそんなことを言うミーナ。
「はあっ⁉︎」
つい呆けた返事をしてしまう。だって死んでないこともそうだし、臨戦態勢かと思ったミーナがまだそんなふうに振舞っていると言うことに理解が追いつかない。
「虫とりに来たのに虫あみ使わないとか」
にこりと。可愛らしく小首を傾げ、その指は地面に置いたままの虫あみを示していた。
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