テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「村長に報告する! 有線が切れていなければ通じるはずだ!」
エリオは祈るような気持ちで通話ボタンを押した。数秒、長く感じられる呼び出し音。やがて、低く落ち着いた女性の声が応答する。
『……こちら、セレナ・ヴァルディア』
「観測所のエリオです。村長! 西の塔結界率――ゼロを確認。
赤黒い霧が島全域へ拡散中。有害ガス濃度、急上昇。情報を役場の端末に送信し共有します。直ちに島外退避を進言します!」
回線の向こうで、息を呑む気配。
だが、その声は乱れなかった。
『……確認しました。観測所は持ちこたえられますか』
「一時的なら。しかし長くは……」
『分かりました……気を付けて』
通話が切れた。
セレナは受話器を握ったまま、しばし立ち尽くした。
長年、一族で護ってきた西の塔。幼い頃から「決して絶えぬ光」と教えられてきたあの塔が崩れた。その現実が、胸を静かに締めつける。
セレナはゆっくりと顔を上げ、窓の外を見た。港町の灯りが、夜の気配に包まれながらも、まだ温もりを保っている。あの一つ一つの灯りに、家族がいる。子どもがいる。帰りを待つ者がいる。
(守らければ……)
赤黒い霧が、遠く森の向こうで蠢いている。セレナは、ゆっくりと息を吸い込んだ。そして、受話器を静かに置いた。
そのとき、役場の若い職員が駆け込んできた。
「村長! 政府へ緊急事態を発出しましたが、ノイズで応答がありません!王研回線も沈黙。衛星チャンネルも、すべてノイズです!」
(島は、完全に孤立した……ならば……自分で動くしかない)
その静寂を破るように、再び有線電話機が鳴る。
『西の島村長、セレナ・ヴァルディアさん。こちら、イザリオ王子随行武官ロスク。現在、王子殿下は西の別邸にて待機中です』
セレナの瞳が、わずかに揺れた。
『殿下より伝達を申し上げます。本件は王令と同等の扱いとなります。“安全に最大限配慮し、全島民を港へ集結させよ。王宮専用艇オルシオンによる輸送支援を実施する。隣島ヨナクルへ段階的退避を行い、西の島は安全確認が取れるまで入島禁止とする”』
村長室に、重い沈黙が落ちる。ロスクは、さらに続けた。
『オルシオンには臨時受け入れ態勢を整えております。なお、王子殿下は最後の便まで現地に残られる意向です』
「王子様の御身は……」
『殿下は申されました。“王族は最後に退くものだ”と』
その言葉が、空気を変えた。
孤立していたはずの島に、確かな“柱”が立った。セレナは、ゆっくりと息を吸う。揺れていた心が、静かに定まった。
「……承知いたしました。殿下に、深い感謝を申し上げます。
どうか、王子御一行様もご無事で」
『ご心配には及びません。殿下は我らが命に代えても御守り致します。直ちに退避命令を』
桜城
308
#恋愛
ばたっちゅ
20,038
#ファンタジー
comi
4,702
「はい」
回線が切れた。
セレナは、防災有線のスイッチをした。
塔が崩れようと。この島と、島民は守る。
その瞳に、もう迷いはなかった。
――港町中央広場。
防災有線塔から、静かな声が流れ出す。
『島民の皆さんへ。セレナ・ヴァルディアです』
戸口から人々が顔を出す。
『これは訓練ではありません。直ちに港へ避難してください』
一瞬、ざわめきが止まる。
『西のエルフバリア塔が崩壊しました』
密林が揺れた。遠くで、獣の咆哮が響く。
『高齢者と子どもを優先し、落ち着いて行動を。輸送艇を総動員します』
村長は一瞬、言葉を止めた。
『ヴァルディア家は、代々この塔を守ってきました。しかし今、最優先すべきは皆さんの命です』
赤黒い霧が、島の縁を覆い始めている。
『必ず、全員を島外へ退避させます。私は最後まで港に残ります』
その声は、揺るがなかった。
『落ち着いて、急いで避難してください。港へ!』
防災無線の声が、夜の港町を震わせる。
「西の塔が崩壊だと!?」
「空を見て! 光の膜が消えている! 何、あの赤黒い霧は」
島に、波紋のように動揺が広がった。
集落の外れで、かすれた声が上がった。
「災いが来たか……」 人々が振り向く。
そこに立っていたのは、島で最も年を重ねた老人だった。深い皺の刻まれた顔。その目だけが、異様なほど冴えていた。
「爺さん、何か知っているのか?」
老人は、ゆっくりと首を横に振った。
「知っている……というより、“聞かされてきた”だけじゃ」
震える指が、赤黒い霧の立ち上る森を指す。
人々は息を呑む。
「この地にはな……最初から、“在ってはならぬもの”が封じられておった」
「封じられて……?」
「この島は、かつて赤と黒の霧を噴き上げていた。それに触れた獣は獣でなくなり、人は……人でなくなる」
誰かが、ごくりと喉を鳴らす。
「だから塔が建てられた。だから結界が張られた」
老人は、静かに言った。
「決して壊してはならぬ。決して覗いてはならぬと」
森の奥で、赤黒い霧がうねった。まるで、その言葉に応えるかのように。
「……だが」 老人は目を閉じ、そして告げた。
「封印が解ければ、“それ”は必ず目を覚ます」
遠くで、枝が折れる音がした。背筋に冷たいものが走る。
「爺さん……それって……」
老人は答えなかった。ただ、重く呟いた。
「逃げよ。今度は、話で済む災いではない」
そのとき、路地裏の闇から、低く落ち着いた女の声が聞こえた。
「……中継、無理ね」
黒い戦闘服に身を包んだ一人の女が姿を現す。
肩には撮影用カメラ。
背後では、数人のクルーが無言で機材を構えていた。女は耳元のインカムに指を当てた。返ってくるのは、途切れ途切れのノイズだけだった。
「電波、完全に死んでるわね……」
「でも、録画は続けて」
その声には、迷いがなかった。モンスター使いのサラだった。
港に続く農道の奥から、異形の影が現れ始めた。夜の王者だった名残を持つ、猫科の影。枝を渡っていた霊長の名残。湿った森に棲む、硬い殻を持つ巨大な甲虫。そして、球状の実を揺らしながら、根を“脚”のように動かす、植物の異形が行く手を阻む。
だが、それらはもはや、島の生き物ではなかった。赤黒い霧が、皮膚の下を這い回り、目は濁り、口元からは、意味を持たない唸り声が漏れている。
「……来たわね」
サラは、深く息を吸い一歩前へ出た。
「音、出せる?」
背後で、クルーの一人が無言で頷いた。携行用スピーカーが起動し、流れ始めたのは、この島の風土を思わせる、軽快な南国調のインストゥルメンタルだった。
太鼓の拍。乾いた打音。思考より先に、身体が反応してしまう種類のリズム。サラは腰に下げていたマスカルを取り、手首を返すように、軽く振った。
シャラリ、と乾いた音が、霧を震わせる。
次に、タンバリン。
叩くのではなく、揺らす。
サラの身体が、音に合わせて動き出した。
激しくはない。
無駄のない、しなやかなステップ。
呼吸、足運び、腕の動き。
すべてが、一定のリズムへと調和していく。
「――《心波調律(ハートビート・リズム)》」
その名を口にした瞬間だった。
赤黒い霧の中で、異形の獣たちが、ぴたりと動きを止めた。
いや、止まったのではない。獣の四肢が、ぎこちなく揺れ始める。
爪が地面を叩き、尾が拍を刻み、首が、左右に揺れる。
「そう……そのまま」
サラは微笑を浮かべ、音楽に身を委ねるように踊り続けた。
異形の獣たちは、咆哮を上げることもできず、赤黒い霧を纏ったまま、サラのダンスに引き込まれていく。
クルーの一人が、息を呑んで呟いた。
「制圧、じゃない。野生のモンスターを調律している……さすが、モンスター使いのサラちゃん」
サラは振り返らずに言った。
「暴れる心は、叩き潰すより、合わせた方が、止まるのよ」
タンバリンの乾いた音が、空気を震わせた。
次の瞬間、異形の獣たちの動きが、
完全に、サラのリズムに捕まった。
四肢が、拍に縛られ、
首が、意思とは無関係に揺れ、
爪が、地面に一定の音を刻む。
赤黒い霧が、獣たちの動きに合わせて渦を巻く。
「そう、そのまま……」
サラは、静かに手を振った。
「踊ってなさい……今のうちに、住民の皆さんを避難させて!」
その声を合図に、集落のあちこちで、人々が一斉に動き出した。
「急げ! 急げ!」
子どもを抱え上げる者。老人の肩を支える若者。荷を捨て、手を取り合い、ただ一つの方向へ港へ。
赤黒い霧の縁で、異形の獣たちはなおも不格好に踊り続けている。
理性も、殺意も奪われたまま。ただ、心拍の律動に縛られて。
軽快だった南国のリズムに、わずかな“揺らぎ”が混じり始める。
タンバリンの音が、ほんの少しだけ遅れた。サラの呼吸が、深くなる。額を伝う汗が、赤黒い霧の中で鈍く光った。
(長くは、持たないわ……) クルーの一人が檄を飛ばした。
「サラ、頑張れ、もう直ぐ港だ」
港の闇を裂くように、王家専用艇――オルシオンが、船体の魔導刻印が淡く輝き、波止場を照らしていた。
村長セレナが拡声器を握り、叫んだ。
「落ち着いてください。ご老人と子どもを優先して乗船を! 慌てないで! 船はまだ動かしません!」
その声に、不思議と群衆の動きが揃っていく。船員たちが手を伸ばし、若者たちが背を押す。住民は次々と船内へ吸い込まれていった。
その背後で。タンバリンの音が、明らかに遅れた。サラの膝が、ぐらりと揺れる。
「あ……っ」
踊っていた獣の数体が、ふとこちらを見た。
赤黒い霧の奥で、理性の欠片が火花のように瞬いた。
「村長! もう限界!」
サラの声が裂ける。
その瞬間、セレナの元へ役場職員が駆け寄った。
「全住民、確認完了! 取り残しなし!」
セレナは一瞬だけ目を閉じ、そして叫んだ。
「船長――出港して! 今すぐ!」
「了解!」
オルシオンの汽笛が夜を引き裂いた。船体がゆっくりと岸を離れていった。その瞬間、サラは甲板の縁に立ち、最後の力を振り絞るようにマスカルを振った。
シャラリ――
乾いた金属音が、夜気を震わせる。
獣たちの動きが、再び、わずかに揃った。
ほんの一瞬。
理性の残滓のように。
「……これで、終わり」
次の瞬間、リズムが完全に途切れた。赤黒い霧が、踊る異形を包み込む。目が濁り、牙が剥かれ、狂気がゆっくりと目を覚ましていく。
だが、もう、港に人影はない。オルシオンは速度を上げ、闇の海へと滑り出していった。
サラは膝に手をつき、荒い呼吸を整えながら、
闇に浮かぶ島影を見送った。
「間に合ったわね。録画は残っている?」
クルーの一人が、震える声で言う。
「はい、全部、録画、残っています」
サラは、ゆっくりと頷いた。
「この映像は……王族にも、世界にも、必ず届く」
その瞳に、疲労と決意が同時に宿った。
船内の通信室。
セレナが衛星無線の送信ボタンを強く押し込んだ。
「ザー……ッ。」
激しいノイズ。
「……王宮別邸、応答してください。こちら、村長です」
数秒の雑音の後、歪んだ音声が、かろうじて返る。
『……村長……こちら、侍従ロスク……』
通信は不安定だった。
背後で、何かが爆ぜるような低い衝撃音が混じる。
セレナは即座に続けた。
「住民の避難は完了しました。これより島を離脱します」
ノイズの向こうから、はっきりとした声が返る。
『セレナ。承知した。こちらも、これより王族別邸を離脱する。ヘリによる脱出を開始する』
一瞬、荒い呼吸音が混じる。
遠くで、何かが砕けるような音。
『我々は無事だ』
その一言に、張り詰めていた空気がわずかに緩んだ。
「承知いたしました……どうか……ご無事で」
そして、通信は途切れた。セレナは無言で通信室から甲板に出て前方を見据えた。沖へ向かうオルシオンの甲板を、冷たい風が吹き抜ける。島の灯台の上空で、赤黒い霧がゆっくりと膨らんでいた。まるで、何かが目覚め、深く息を吸い込んだかのように。そして、吐き出す。霧は脈打ちながら、島を覆い始めた。それを見たセレナの背筋が凍り付いた。
コメント
1件
第45話、めっちゃ熱かったッス……! 村長セレナの“迷いを捨てて島民を守る”覚悟がガチで胸に来ました。特に「最後まで港に残る」宣言と、王子の「王族は最後に退く」の応酬には震えた。あとサラの《心波調律》、戦闘じゃなく調律でモンスターを鎮めるって発想がクールすぎる。タンバリンの乾いた音が脳内に鳴り響いたわ。避難完了の瞬間、一息つける感じがたまらなかったっす!🔥