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湿っぽい梅雨が明け、世間は本格的な夏を迎えようとしていた。
日に日に騒がしさを増していく蝉たちの合唱に辟易しつつ、やはりこの季節に特有の解放感が、どことなく気分を浮つかせる。
今件は、そんな七月の半ばに起こった奇妙な出来事である。
高羽市、ならびに栄市の程近くに、綺麗なお椀型をした山がある。
標高こそ然程でもないが、ルートによってはそれなりに難易度が上がることから、登山初心者にも、中級者にも重宝される身近な山だ。
この山に御座す道祖神は、人里に暮らす神々とは違い、喜怒哀楽に乏しく、基本的に会話すらままならない。
彼自身がそうあるよう望んだのか、それとも長いこと自然の中に身を置く内に、少しずつ感情が剥がれ、心身ともすっかりと環境に順応してしまったのか。
彼はいまや、物言わぬ巨石そのものの外見で、山中にどっしりと腰を据え、日がな己の役割に従事していた。
「………………」
彼の役割とは、ひとえに登山道の監視である。
故人の妄執が形をなした彼の“人影”をはじめ、妖霊や物怪の類が姿を現さないか、四六時中目を光らせている。
昨日は、遠足と思しき子供たちが通りかかった。
中には優しい子がいて、おやつの飴を供え、手を合わせてくれた。
「其に見ゆるが、着き処かえ?」
「然なり」
本日も、子供の声がする。
またぞろ遠足か。 年若い男の声は、引率の教師だろう。
そういえば、蝉の声がピタリと止んでいる。
「御屋形さま」
「ふん?」
「ようやっと我らが悲願、ここに成就と相成りまするな……」
「……然り」
男の語り口は、妙に芝居掛かっている。
しかし、教師が生徒を“御屋形さま”と呼ぶ。
妙ではないか。
それに、この気配。 これは何処かで………。
「……………!」
間もなく、彼は自身の前を通過する二名の姿を目の当たりにした。
それは、疾うに感情を捨て置いたはずの彼をして、戦慄を禁じ得ないものだった。
片や、淡い色味のワンピースを身につけ、足元には白木の下駄を突っかけた童女。
片や、夏の昼日中にも関わらず、几帳面に三つ揃えスーツを着込んだ男性。
何れの容貌も、一種の魔性を感じさせる美しさではあったが、問題は先を行く童女のほうだった。
この美貌は、恐らく国の一つや二つ、容易に傾がせる。
童女の身辺に無数に浮かぶ青白い火の玉が、自身の頬に相当する部位を掠めようとも、彼はただ呆然として、物言わぬ巨石に徹するのみだった。