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記念すべき第四十回の定期演奏会は、素晴らしい演奏で幕を閉じた。
観客も満員で立ち見が出るほどの盛況ぶり。
奏が現役だった頃と比べると、格段にレベルが上がっているのを耳で感じ取った。
彼女は、同期で同じトランペットパートだった仲良しの女性と、創部四十周年記念パーティに出席するため、八王子駅の南北通路を歩いていた。
「来年こそはコンクール全国大会で金賞取れるんじゃない?」
「そうだね。でも東京は吹奏楽部強豪校がたくさんあるし」
奏が言いながら思い出すのは、怜の事だ。
(そう。葉山さんの通ってた藤学吹奏楽部は同じ市内だし……)
彼の事を考えていた奏を見透かすように、同期の彼女は、『そういえばさぁ』と前置きしながら奏に話を振ってきた。
「奏。ゲネプロの時に、イケメンリペアラーの人といい感じで話してたよね? もしかして彼氏?」
彼氏と聞かれて、奏の胸の奥が甘い痛みでキュっと疼く。
「違うよ。あのリペアラーの人は、私の友人の旦那さんの高校時代の友達だよ。結婚式で知り合ったんだ」
「うわ、そうなんだ。結婚式での出会いってさ、何か素敵だよね!」
「ちなみに、あのリペアマン、藤学吹奏楽部OBだよ」
それを聞いた同期の女性は片眉を上げ、『なに!? 藤学!?』と敵視しているのを見て、思わずクスッと笑ってしまった。
「サックス吹きだったらしいんだけど、さすが藤学OB、凄くいい音出してたよ」
「サックス吹いているところまで見たの? それって彼といい雰囲気って事じゃない!?」
奏は慌てて首を数回横に振りながら、『まさか』と言って言葉を濁す。
とりとめもなく話をしているうちに、二人はいつしかパーティ会場へ到着していた。
受付を済ませ、開宴十分前に、奏と同期の彼女は宴会場へ入っていく。
立食形式のパーティ会場には、美味しそうな料理やお酒、ノンアルコールのカクテルやソフトドリンクなどが数多く並び、奏の食欲をそそる。
既に茅場先生を始め、先ほどまで素敵な演奏を聞かせてくれた現役の学生、多くのOBとOG、外部委託で指導をしているコーチの先生や楽器店関係者、そして会場の隅には怜の姿もあった。
定演の時はスタッフブルゾンを羽織っていたが、ダークネイビーのスーツを纏った彼は、ため息が出そうなほどカッコいい。
まるでメンズのファッション雑誌から抜け出してきたような怜の姿に、奏の胸が高鳴っていくのを感じた。
(葉山さん、背も高いし、スーツ姿はカッコいいよね)
奏は遠目からチラリと彼の様子を伺うと、過去に楽器を修理調整してもらったOBやOGが彼の周りに集まり、談笑しているのが見えた。
もちろん、その輪の中に現役の学生もいる。
(葉山さん、現役の学生はもちろん、OBやOGの人たちにも慕われているんだな……)
リペアラーとしての腕前も確かであり、たくさんの人たちに慕われている。
そしてかなりのイケメン。
こんな人から告白された事が、実は夢なのではないか、と奏は思ってしまう。
「皆様、本日はお忙しい中、片品高校吹奏楽部創部四十周年記念パーティにお越し頂き、誠にありがとうございます」
開宴時刻になり、司会進行役の男性の声が会場に響き渡る。
「開宴時刻になりましたので、只今より、片品高校吹奏楽部創部四十周年記念パーティを開宴致します」
司会者の声に、奏はハッと我に返ると同時に、鼓動が嫌な音を立てた。
「申し遅れましたが、私、本日の司会進行役を務めさせて頂きます——」
この男の声は奏にとって、約十年前の記憶を全て消したいほど、耳にこびりついている。
「——二〇一二年度卒業生、中野祐樹と申します」
司会者が名乗った瞬間、奏の背筋がゾワリと泡立つのを感じた。
「皆様、どうぞよろしくお願い申し上げます。それでは開宴に先立ちまして——」
奏を傷付けた男、中野がこのパーティに来る事は、彼女の中で予想はしていたものの、まさか、司会進行役を務めているとは思いもしなかった事だった。
奏の両膝はカクカクと小刻みに震え出し、司会者の男を凝視する姿を、会場の隅からじっと見つめる怜に、彼女は気付くはずもない。
怜は多くの人に囲まれながらも、ポツンと佇む奏の背中を時折見つめる。
彼女の表情は、彼のいる場所からは伺えない。
ただ、奏が何を注視しているのかは、怜も容易に想像が付く。
定演本番前のゲネプロの時に見せた、恐怖に染まった瞳の色と強張った奏の表情が、彼の脳裏に焼き付いて離れない。
本当なら今すぐにでも奏の元へ行き、彼女の名を呼び、強く抱きしめたい。
たくさんの人に囲まれた状態のまま、身動きが取れない怜は、ただ奏を遠くから見つめる事しかできなかった。