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最初は柔らかな感触だった。驚いて息を飲んだ隙を見逃さず、彼女の舌が強引に、そして深く侵入してくる。
「っ……んん……っ!?」
血の匂いに混じって、甘い女の子の香りがする。相反する香りに、思考が溶けていくような感覚になる。その甘い毒が、俺の思考をどこか遠くへ押し流した。
夢猫の細い指が俺の髪を掴み、更に深く舌を絡ませてくる。唇と舌に支配され、呼吸を奪われ、全てを食い尽くされるような感覚。
(……な、んで……今……!?)
魔物が目の前にいる。死ぬかもしれない状況だ。 なのに、彼女は俺を貪っている。
「……んっ……っは……」
甘い吐息が聞こえる。
血の味と、彼女の甘い唾液が混ざり合う。
その背徳的な味が、俺の理性をドロドロに溶かしていった。
(……あぁ)
呼吸ができない。
ただ、その場の快楽に身を任せるのみだった。
(……脳が……溶けそうだ……)
逃げようと足に力を入れるが、夢猫は更に体を密着させ、足を絡ませてくる。
わざとらしく響かせた濡れた音が、洞窟内に満ちていく。
薄目を開けると、冷めた瞳の夢猫と目が合った。 混乱する頭の片隅で、冷めた思考が囁く。
(憧れの夢猫ちゃんが、俺なんかにキスするわけがない)
(……そうか)
溶けそうな脳の片隅で、どこか冷静に見ている自分がいた。
(これは……愛の口づけなんかじゃない)
彼女は今、俺という生贄を使って、リスナーを煽っている。
その瞬間。
コメント欄が視認不可能な速度で流れ始めた。
『は??????????????????』
『俺の夢猫ちゃんを汚すな』
『NTR配信じゃねーか!』
『〇ねよ!! マジで〇ねよ!! おっさん、そこ代われよ!!!』
『裏切りだ! 処刑しろ! 今すぐそいつを殺せえええええ!!』
『夢猫ちゃん……嘘だろ……? 俺の、俺の夢猫ちゃんこがぁぁぁぁ!!』
嫉妬。
怨嗟。
憎悪。
リスナーたちの殺意が、物理的な圧力となって空間を支配する。
「う、ぐ……っ」
俺は思わず呻いた。
(……痛い)
ビリビリと肌を刺すような悪意。それはただの文字の羅列ではなかった。数百人分の「死ね」という感情が、周りに漂い始める。
『ふざけんな!』
『殺す殺す殺す!!!!!』
『俺の夢猫ちゃんに触るな! 汚い汚い汚い!!!!』
『許さない許さない許さない許さない』
怨嗟の声が脳内に直接響いてくる。
(……効くな。さすがに、胃が痛い)
だが、不思議と耐えられない重さじゃない。
ブラック企業で毎日浴びた、人格否定の暴言。
それに比べれば、顔も見えない奴らの罵倒なんて……ただのノイズだ。
夢猫は、満足げにゆっくりと唇を離した。
二人の間に、名残惜しく銀色の糸が伸びる。
「……あは。最高。みんな、すっごく怒っている。殺意の合唱だよ」
彼女は、この悪意の嵐の中で、恍惚とした表情で頬を染めていた。
アンチコメントを最高のご馳走として味わっているかのようだった。
俺は口元を、泥だらけの袖で乱暴に拭った。
その時、目の前にホログラムの画面が現れた。
『コメント数が、規定値を突破しました』
「ふふ、準備が整ったね」
赤いシステムログが音を立て、激しく点滅する。
コメントの文字が黒い粒子となり、渦を巻いて夢猫の周りに収束していく。 夢猫の全身から、ドス黒い光が溢れ出す。
(なん……だ……? あの光は……)
目を見開いていると、夢猫の目の前にホログラムが現れる。
『固有スキル【傾聴者の破壊《デストロイ・オブ・リスナー》】準備完了。いつでも起動できます』
夢猫は、呆然とする俺の頬を優しく撫でた。
その指先は、ひどく冷たかった。
「……ワンちゃん。これが夢猫の愛のカタチだよ」
夢猫が右手を掲げると、空中に漂う罵詈雑言の文字たちが、渦を巻き始めた。
ギチチチチチ……!
ガガガガガッ!!
空気が悲鳴をあげているように音を立てる。
黒い文字たちが集まり、一つの凶悪な形を成していく。
それは、巨大で禍々しい斧だった。
彼女の華奢な腕とは不釣り合いな、あまりにも巨大で暴力的な処刑道具。
斧からは、見るだけで呪われそうな禍々しさが溢れ出ていた。その刃からは「死ね」「殺す」などの文字が浮かび上がっている。
「ねぇ、夢猫に殺られたい人、いたらコメントして?」
その瞬間、殺意が込められたコメント欄が塗り替えられていく。
『殺ってください!!! お願いします!!!』
『斧で叩き潰してください! お願いします!』
『殺っちまえ!! 魔物もおっさんも!!』
『夢猫様について行きます』
『お願いしますお願いしますお願いしますお願いします』
一瞬の出来事だった。
こんなにも簡単に踊らせられるなんて。
「……すごい」
思わず声が漏れた。
彼女の迫力に圧倒される。見えないはずの禍々しい黒いオーラを纏う彼女は美しかった。
(これが、俺が惚れた推し……)
目の前に立った彼女は、誰よりも凶暴で、誰よりも輝いている。 俺みたいな凡人が、手綱を握れる相手じゃない。
すると、夢猫はゆっくりと俺の頭に手を伸ばし、愛おしそうに撫でた。
「ねぇ、ワンちゃん。特等席で見ていてね。夢猫の最高に可愛い姿を」
夢猫は俺の目の前で、巨大な斧を片手で軽々と持ち上げ、魔物を見据えた。
その背中は、魔物よりも恐ろしく、そして愛おしかった。
「さぁ、始めましょ。愛の共同作業を」