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#戦乙女
混乱する自軍を眺めながら、
カシスはゆっくりと腰の短剣を抜いた。
その刃は、かつてジュリアスの胸を貫いたものだった。
陽光を受けて鈍く光る。
「……皮肉なものだな」
かすれた声で呟く。
「あの日、死ぬべきだったのは俺のほうだったのかもしれん」
遠くでは敗走する兵たちの叫びが響いている。
勝利を信じて集まった軍勢は、
今や砂の城のように崩れ去ろうとしていた。
「ジュリアス」
カシスは空を見上げた。
「俺はな……神なき世界を生きる自信がなかった」
「だからお前を殺した」
「神々が定めた秩序を守るために」
自嘲するように笑う。
「だがどうだ」
「神の加護を受けるはずの俺たちが敗れ」
「お前の後継者たちが勝つ」
「何が神意だ」
握る手に力が入る。
「俺たちは……神に騙されていたのかもしれんな」
その瞬間、
カシスはためらうことなく刃を胸へ突き立てた。
ぐしゃり、と鈍い音。
血が鎧を染める。
膝をつき、
最後にもう一度だけ空を見る。
そこに神の姿はなかった。
「……くだらん」
短剣を投げ捨てる。
刃は地面に突き刺さり、
乾いた音を立てた。
そしてカシスは前のめりに倒れる。
ジュリアス暗殺者の一人、
カシスは、こうして戦場に果てた。
カシスが倒れた砦から東へ数日の場所に、一つの大きな街があった。
フィリピア。
かつてこの地を支配したフィリポスの名にちなみ、人々はそう呼んでいる。
街は交易で栄え、周囲には豊かな農地が広がっていた。
今はその全てが戦争のために使われている。
城壁の上には見張りが並び、
街道には兵糧を積んだ荷車が絶え間なく行き交う。
そして――。
大地を埋め尽くす軍勢が、その街へ入っていった。
十万。
ブルートゥースが率いる軍である。
槍が森のように並び、
軍旗が風に揺れ、
兵士たちの足音が地鳴りとなって響く。
住民たちは家の戸を閉ざし、
窓の隙間からその光景を見つめていた。
街の中央。
かつて総督が使っていた館に入ると、
ブルートゥースはようやく兜を外した。
その顔には疲労が刻まれている。
カシスの死。
盟友を失った悲しみはまだ消えていなかった。
だが立ち止まるわけにはいかない。
彼の前には地図が広げられていた。
副官が静かに口を開く。
「敵軍は西より接近中」
「指揮官はアントン」
部屋の空気が重くなる。
ブルートゥースはしばらく地図を見つめ、
やがて低く呟いた。
「ついに来たか」
かつてジュリアスの右腕だった男。
今や王国最強と呼ばれる将軍。
その軍勢が、このフィリピアへ向かっている。
窓の外では、
十万の兵が陣地を築いていた。
しかしブルートゥースの目は、
遠い西の空を見ていた。
そこからやって来る男こそ、
自分たちの運命を決める相手だと知っていたからである。
カシスが戦死した砦の東。
フィリピアの平原に、再び大軍が姿を現した。
無数の軍旗が風にはためき、
槍の穂先が朝日に輝く。
アントン率いる八万を超える軍勢である。
軍勢は整然と進み、
やがて先着していたスピリタス軍と合流した。
本陣の前。
諸将が見守る中、
アントンは馬を降りる。
そして一直線にスピリタスのもとへ歩み寄った。
「カシスを倒したって?」
その顔に大きな笑みが浮かぶ。
「見事だな」
両手を広げ、
そのままスピリタスの肩を力強く叩いた。
「敵将を討ち、反乱軍の片翼をもぎ取った」
「簡単にできることじゃない」
周囲の将軍たちも頷く。
カシスは名の知れた武将だった。
その死は反乱軍にとって大きな痛手である。
アントンは振り返り、
集まった諸将を見渡した。
「諸君!」
野太い声が平原に響く。
兵士たちの視線が一斉に集まった。
「我らの前にはブルートゥースがいる!」
「十万の兵を集めようと!」
「東南の属州すべてを抑えようと!」
「勝つのは我らだ!」
兵士たちが槍を打ち鳴らす。
アントンはその歓声を受けながら、
隣に立つスピリタスの肩へ腕を回した。
「この英雄に続け!」
「我らも武功を挙げようではないか!」
おおおおおおお――!
歓声が大地を揺らした。
だが、その中でスピリタスだけは静かだった。
彼の視線は遠くフィリピアの丘陵地帯へ向けられている。
そこにはブルートゥース軍の軍旗が見えていた。
十万。
数では敵が勝る。
地形も敵が有利。
浮かれる理由など何一つない。
だがアントンは笑っていた。
まるで勝利を疑っていないかのように。
スピリタスはその横顔を見て思う。
(やはり、この男は恐ろしい)
(戦う前から兵に勝利を信じさせている)
「何度言ったらわかるのだ!」
ブルートゥースは机を叩いた。
「我々は圧倒的有利な状況にいる!」
「ここで構えて待てば敵は遠からず自滅する!」
将たちは顔を見合わせる。
だが一人が叫んだ。
「我々には神がついております!」
「今こそ敵を殲滅すべきです!」
「臆病者のライナー王など戦場にも来ておりませぬ!」
「アントンを討ち取り、神への供物といたしましょう!」
「おおっ!」
天幕に歓声が響いた。
ブルートゥースは拳を握る。
反射的に怒鳴り返しそうになった。
――神だと?
喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
(違う)
(俺はこいつらとは違う)
(ジュリアスは人でありながら神になろうとした)
(だから俺は剣を取った)
(人を神にしてはならぬと思ったからだ)
歓声は続いている。
誰もが勝利を疑っていない。
誰もが神の加護を信じている。
だが――
(神の加護?)
ブルートゥースの脳裏に血塗れの元老院がよぎる。
ジュリアスの最後の顔。
カシスの迷い。
そしてライナーの姿。
(ならばなぜ)
(なぜ神はジュリアスを救わなかった)
(なぜ神はこの国を争わせる)
(なぜ神は沈黙している)
胸の奥に、わずかな冷たさが走る。
(神は……本当にいるのか)
歓声の渦の中で。
その疑問だけが、誰にも聞こえぬまま残った。
歓声の渦の中で。
その疑問だけが、誰にも聞こえぬまま残った。
そして数日後。
フィリピアの平原で、十万と八万が激突する。
コメント
1件
いやあ、第11話、めちゃくちゃ重くて熱かった…!カシスの最期、自嘲しながらの自決、切なすぎる。「神なき世界を生きる自信がなかった」って台詞、ズシンときたわ。ジュリアスとの因縁がここで回収されるの、構成として美しい。 一方でブルートゥースの葛藤。「神は本当にいるのか」って、信仰にすがる将士の中で一人だけ冷静に疑いを持ってるのが、逆に人間らしくて惹かれる。いよいよアントンとスピリタスとの全面戦争か…次が待ちきれん🔥