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「お目にかかれて光栄です」
サイラスは、ケプロス島の港で
一人の青年と向かい合っていた。
潮風の中でもなお目立つ、赤い外套。
陽光を受けて輝く金髪。
堂々と胸を張るその姿には、
若さゆえの傲慢さと、
不思議な華が同居している。
カルド王の嫡子――リチャード王子。
「うむ。かつて父と戦い、
父が認めたサイラス殿に会えて、
余もうれしく思うぞ」
リチャードは屈託なく笑った。
その声音には警戒よりも好奇心が強い。
まるで新しい遊び相手でも見つけた子供のようだった。
「それにしても、
このケプロスの地の重要性を理解し、
それを電光石火で落とすとは」
「見事というほかございませぬ」
(……重要性?)
リチャードは内心で首を傾げた。
確かに島は取った。
だがそれは、
リチャードが怒りの勢いで攻め込み、
あっという間に制圧しただけである。
戦略的意図など、
たぶん本人も深く考えていない。
だが情勢は違った。
「今まで陸路を選んだ聖地遠征軍の多くは、
補給を断たれ、撤退を余儀なくされました」
「しかし王子は、
この島を拠点に湾岸諸都市へ圧力をかけ、
海から戦局を変えようとしておられる」
サイラスが感嘆したように語る。
(えっ、そういうことなの?)
リチャードはちらりと側近たちを見る。
側近たちも気づかなかったようだ
だが次の瞬間には、実に堂々とうなずく。
「うむ」
(乗るんかい)
「まこと、武勇のみならず知略にも優れておられる」
「王子の深謀遠慮、このサイラスの及ぶところではございません」
するとリチャードは、満更でもなさそうに口元を緩めた。
「予の胸中を理解できるそなたも、大したものだ」
「このうえは力を合わせ、サラディンから聖地を取り戻そうではないか」
その言葉には、不思議と人を惹きつける力があった。
粗削り。
単純。
だが、だからこそ真っ直ぐだった。
サイラスは静かに頭を下げる。
「サラディンなど、王子の前では猫も同然」
「王子はまさに、獅子の心を持った王になられるお方です」
獅子心王。
その響きが、やけに気に入ったのか。
リチャードは声を上げて笑った。
「悪くないな、それは」
港に潮風が吹き抜ける。
赤い外套が、大きく翻った。
「いざ、アッコムへ参りましょう」
「王子が現れれば、あの城塞もひと月と持ちますまい」
「うむ、任せておけ」
自信満々に答えるリチャード。
その姿を見ながら、サイラスは静かに目を細めた。
――この男は、本物になる。
今はまだ、勢いだけの若獅子。
だが、人は期待されることで変わる。
英雄とは。
勝ってから生まれるものではない。
皆が、そう信じた時に生まれるのだ。
「……それについて、わたくしに考えがございます」
「うむ、申してみよ」
サイラスは、いたずらを思いついた子供のように微笑した。
「はい。実は――」
朝焼けに染まる海を、
無数の船影が進んでいた。
アッコム包囲陣地。
長き包囲戦に疲弊した兵たちは、
その光景にざわめき始める。
「船だ……!」
「増援か!?」
見張りの叫びが陣中を駆け抜けた。
泥と血にまみれた兵士たちが、
次々と海岸へ駆け出していく。
その先頭を進む一隻は、
まるで海を割るように波を切っていた。
船首。
そこに、一人の男が立っていた。
赤い外套を潮風になびかせ、
微動だにせず前を見据える若き王子。
リチャード。
その背後には、
巨大な赤い十字の旗が高々と掲げられていた。
白地に深紅の十字。
朝日を受けた旗は、
まるで燃える炎のように翻る。
そしてその周囲を囲むように、
ケプロスで集められた艦隊が続いていた。
旗、旗、旗。
海そのものが十字架に染まったかのようだった。
「おお……」
「リチャード王子だ……!」
「獅子心王……!」
誰かが叫んだ。
その名は、一瞬で包囲軍全体へ広がっていく。
「獅子心王!」
「獅子心王!」
「聖地を取り戻せ!」
歓声が爆発した。
疲れ切っていた兵士たちの顔に、
初めて生気が戻る。
負け続けた遠征。
失われた大軍。
病と飢え。
終わりの見えぬ包囲戦。
だが今、
彼らの目の前には“英雄”が現れた。
船首のリチャードは、
その歓声を受けながらゆっくりと剣を抜く。
陽光を浴びた剣が、
まばゆく輝いた。
「共に進もうぞ!」
その一声だけで、
海岸は熱狂に包まれた。
その光景を遠眼鏡で見ていたサラディンは、
静かに表情を失っていた。
赤い外套。
歓声を浴びながら進む若き王。
絶望しかけた軍勢を、
たった一人で奮い立たせる存在。
その姿が、
ある男と重なる。
――ボードウィン。
モンジールの湿地。
泥濘。
崩れゆく軍列。
そして。
白い布で顔を覆いながら、
こちらへ突撃してきた“病める王”。
『なぜ、彼はそこまで戦えるのだ』
かつて抱いた悪夢が、
脳裏によみがえる。
サラディンは無意識に拳を握り締めた。
「……まさか」
小さく漏れた声は、
自分でも気づかぬほどかすれていた。
「私はさらなる強敵を呼び寄せてしまったのか……」
潮風が吹く。
海の彼方から、
紅い十字の旗が、
まるで時代そのものを変えるように翻っていた。
サイラスは静かに青い外套を脱いだ。
幾多の戦場を共に渡ってきた、
彼の象徴ともいえる軍師の装束。
それを侍従へ預けると、
代わりに純白の衣へ袖を通す。
手には白扇。
血と泥に染まった包囲陣の中で、
その姿だけが異様なほど清らかに映った。
「……さあ、これからだ」
サイラスは静かに微笑した。
その頃、
リチャードの到着は包囲軍に激震を与えていた。
「獅子心王だ!」
「本当に来たぞ!」
兵たちの歓声が陣地を揺らす。
長い包囲戦で沈み切っていた空気が、
まるで嘘のように変わっていく。
リチャードは馬上から周囲を見渡すと、
堂々と声を張り上げた。
「皆の者!」
「聖地失陥の後も、よく戦ってくれた!」
その声は若く、
どこまでも真っ直ぐだった。
「このリチャード、礼を申す!」
兵たちが沸く。
その熱狂を見ながら、
リチャードはふと肩をすくめた。
「……もっとも、こんなもので皆の神への忠誠が変わるとも思わぬが」
そう言って、
大量の金貨袋を兵たちへ放り投げた。
「私からだ!」
歓声が爆発する。
金貨を拾い集める兵。
泣きながら祈る者。
剣を掲げる騎士。
その光景を見ながら、
古参の将たちは顔を見合わせていた。
――派手だ。
――だが、人心を掴む。
リチャードはさらに驚くべきことを始めた。
入営するや否や、
各部隊を自ら見て回り、
隊長たちへ気さくに声をかけ始めたのだ。
「その鎧では城壁戦は重すぎる」
「槍兵をこちらへ回せ」
「弓兵は海側へ」
「いや、その配置では死ぬぞ」
しかも驚くべきことに、
その指示は的確だった。
兵の装備。
疲労。
地形。
補給。
彼は一目見ただけで、
戦場の形を理解していく。
その様子を遠巻きに見ていたサイラスは、
静かに目を細めた。
「……こと軍事に関しては」
「天性のものがあるのかもしれないな」
勢いだけではない。
この男は、
戦場そのものに愛されている。
やがて、
包囲軍の諸将がリチャードのもとへ集まった。
重苦しい空気が流れる。
誰もが、
新たな総司令官が誰になるのかを理解していた。
その中で、
ひときわ強い存在感を放つ人物がいた。
銀の甲冑。
赤い装飾。
鋭い眼差し。
スパルーニャの女王――レイナ。
彼女は諸将の間を進み出ると、
リチャードの前で静かに片膝を折った。
そして、
包囲軍全てに聞こえるように言い放つ。
「ご命令を」
その瞬間だった。
誰がこの軍の中心なのか。
誰が聖地奪還軍を率いるのか。
全軍が理解したのは。
諸将たちも次々と頭を垂れていく。
ギー前国王は、
エルガイム王国を滅ぼした元凶として、
兵たちから深く疎まれていた。
敗北。
混乱。
内紛。
その象徴ともいえる男だった。
ゆえに、
司令官交代は必然だった。
だが。
誰もが薄々理解していた。
これは単なる交代ではない。
新たな“英雄”の誕生なのだと。