【プロローグ/赤の序章】
エリュシオン=ヘイル共和国、ヴェレジア地区。
共和国の隅に追いやられたその一角は、陽の差さぬ路地と、泥水のように濁った空気が常だった。だがそこには、確かに”暮らし”があった。
笑い声が聞こえる。
食卓を囲む家族の姿。
修理中の屋根に登る少年。
ささやかな日常。
それでも人々は、生きていた。誰もが、明日もこの日常が続くと信じていた。
__あの日の夜までは。
空が、割れた。
耳をつんざく轟音と共に、紅い閃光が闇を裂いた。
瞬間、街が爆ぜた。何の前触れもなく。何の情けもなく。
「な……に、あれ……?!」
レオがそれを認識したのは、爆発の衝撃に地面へ叩きつけられた直後だった。
辺り一面が火の海。焼け爛れる肉の匂いと、嗚咽と、助けを求める叫びが混在する。
大人も、子どもも関係なかった。全てが等しく、崩れ、焼かれ、潰された。
「母さんっ!!」
泣き叫ぶ声は、炎にかき消された。
血に濡れた手が、何かを求めるように空を掴む。
目の前で人が死ぬ。何人も、何十人も。
異能の力により強引に“壊された”この地獄に、救いの言葉などなかった。
その中心に、“それ”はいた。
──赫きマントをなびかせた男。
笑みを浮かべ、足元で死んでいく人々を、まるで芸術品のように眺めていた。
「嗚呼…素晴らしい……戦争こそ、人間を最も美しくするなァ?」
それが、ザナフ公国だった。
“最悪”の訪問者だった。
レオの世界は、この夜を境に──すべて、終わった。
──全てが焼け落ちたヴェレジアの夜明け。
黒く煤けた瓦礫の山に、ひとりの少年が膝をついていた。
焼け焦げた地面。割れたガラス片に映る、蒼白な自分の顔。
生き残ったのは、彼だけだった。
レオは拳を握る。血がにじんだが、それすら彼の力となった。
「許さない……」
唇が震える。視界が揺れる。焦げた涙が、頬を伝う。
「全部……ザナフ公国が……ッ……!」
怒りも、悲しみも、恐怖も、すべてその名に飲まれていった。
死んでいった誰もが、何も言わずに消えていった。
守れなかった。救えなかった。
「……なら、せめて俺が……!」
少年は立ち上がる。焼けた瓦礫の中で、ただ一人生き延びた体を引きずって。
「俺が全部、壊してやる……! ザナフを──地獄に落としてやる……ッ!!」
炎の中で芽生えたのは、破滅的な願いだった。
彼の心に宿ったのは、希望ではない。
ただひとつ、「復讐」という異能にも似た確信だった。
──数日後。共和国の中央都市・リセリオ本営にて。
「……なるほど、焼け残った少年がいた、ってわけか」
話を聞いていたのは、リセリオ共和国の公子──いや、現在は軍属の一人として働く青年、ユリウス・ヴァレンスタイン。
王族でありながら、前線で戦う奇異な存在だ。
灰にまみれた少年、レオを前に、彼は静かに言った。
「君に……その力があるなら、ウチの“遊撃部隊”に入らないか?」
「……遊撃部隊?」
「奇襲、潜入、暗殺、そして復讐──そういう“人間”が集まってる部隊だ。君のようにな」
「俺は……戦いたい。奴らを……この手で潰したい」
目を伏せたレオの瞳は、黒く、炎のように光っていた。
「いいだろう。今日から君は”遊撃隊の一員”だ」
──そうして、レオは軍属となる。
復讐をその胸に抱いたまま。
血を熱光に変えるその異能を、戦場で解き放つために。