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「…………」
“何か……居る?”
最初から室内灯さえ点されていなかった事務室内。声がした方に目を凝らしても、暗過ぎて視覚出来ない。
だが確実に何かが存在を示す気配が――
“カシャ”
静寂が支配する闇の中、何かが擦れる音が確かに聞こえた。
やがて小さな燈と共に浮かび上がる者。
「お前は……」
「――っ!!」
確認するなり、反射的に悠莉が幸人の背後へと回り込むように身を隠し、そろりと片目で覗かせた。
その視界の先に映る者――
「ふぅ……」
それは煙草に火を点け、燻らせる時雨の姿だった。
“何時の間に?”
それもその筈。それに時雨は今回の依頼に、何も関与していない。
それが此処に居ると言う事は、先程のも当然――
「いや~参ったねこりゃ。お前は何時か何かやらかすと思ってたら、まさか自分から規約を破るとはね……」
煙草を吹かしながら笑う時雨のそれは、正にしてやったりだ。
「ふん……着けてたのか俺達を?」
たが幸人に動揺の色は見られない。
「偶々だよ。この依頼を請けた事は反応から分かったからな。暇だったし様子見てたって訳。いや~良いもの見れたよホント」
時雨はまるで『思わぬ収穫』と愉しそうに笑うが、とどのつまり最初っから幸人達を着けていた事になる。何かしらの弱味を握る為なのか、興味本意だったのか定かではないが。
「で……どうする気だ? この事を上に報告でもするか?」
「そうだなぁ……それも面白いが――」
二人のやり取り――と言うより駆け引きか。一番重要なのは正にそれ。このままだと、幸人は組織を“背いた者”と言う事に。
「まあ何だっていいんだよ。お前を“消す”口実が出来りゃあね……」
時雨は吸いかけの煙草を指で弾き、歩み寄りながら落ちた吸殻を靴で揉み消した。
幸人へと向けるそれは――明らかな“粛正”への顕れだが、組織は関係無い己の意思で。
「ならそれで構わん。言い訳する気も無い。それなら――狂座を敵に回し、お前ごと纏めて“消す”だけだ」
そしてそれは幸人も同様。時雨処か狂座さえも、敵に回す事さえ厭わぬ覚悟の顕れ。
「ククク……いいねぇ! やっぱお前はそうじゃなきゃ……消し甲斐が無ぇ!」
時雨は歓喜の雄叫びと共に、両目尻に指を添える――コンタクトを外す為に。
最早二人の激突は避けられそうになかった。御互い組織の柵(しがらみ)は、どうでもいいのかもしれない。
“有るのは宿敵としての決着のみ”
時雨が特異点として、その真の姿を顕にする――その時だった。
「――待って!」
割り込むかのように悠莉が、二人の間に入っていたのは。
「……はぁ?」
「悠莉……?」
これには間隙を縫って、踏み込もうとした二人の動きも止まる。時雨もコンタクトを外しきっていない。
「お願い……ボクが罰を受けるから――幸人お兄ちゃんを悪く言わないで!」
悠莉は止めに入ったのだ。手を広げて幸人の前で庇うように立ち竦むそれは、彼女の覚悟の顕れでもある。
「何……言ってんだ?」
その今までに無い立ち振舞いに、流石の時雨も戸惑いを隠せない。
“ボクが相手になる”――ならまだしも。
「悠莉……離れてろ。お前は何も見ていなかった。この件には何も関与していない」
幸人――雫は、立ち竦む悠莉を退かそうと、この場から退かせようと肩に手をやる。彼女を守る為に。
だが悠莉はその手を振り切って、幸人の胸元に抱き着いていた。
「だってだって……ボクが悪いんだもん。嫌だよぉ……幸人お兄ちゃんが狂座の敵になるなんて」
悠莉は梃子でも動かない構え。そして――嗚咽と共に声無く泣き出していた。
「…………」
二人は止まったままだ。室内に悠莉の嗚咽だけが小さく響く。
「全く……幸人お兄ちゃん幸人お兄ちゃんって、もうやってらんねぇよ!」
沈黙を破ったのは時雨だ。彼はコンタクトを外す筈だった両手を、ジーンズのポケットに突っ込みながら二人に背を向けた。
「……どう言うつもりだ?」
時雨が突然、背を向けた事に対する雫の問い。
「どうもこうもねえよ、揃いも揃ってロリコンブラコン共が。殺る気削がれちまった――ってんだよ!」
つまり時雨にはこれ以上、事を荒立てるつもりは無いらしい。
「俺は何も見なかった……それでいいだろ?」
「時雨……お前……」
「それによ……お前を殺った処で、どっちにしろそいつも規約から処理される事に違いはねぇ」
時雨が親指を向けた先。そいつとは悠莉の事。雫と時雨、どちらが勝とうが負けようが、彼女も対象者になる事に違いはない――と時雨は言っているのだ。
「別にお前等がどうなったっていいが、それじゃ琉月ちゃんが悲しむだろ?」
「えっ……?」
つまり時雨が思い留まったのは、悠莉が処罰される事により、彼女を実の妹以上に愛している琉月の気持ちを汲み取っての事。
これには悠莉は言葉を詰まらせた。
只の軽薄男と思っていた時雨も、琉月に対してだけは本気の本気――と言う事に。
「まあお前とはまた何時か、別の形でケリを付けてやるから……それは忘れるなよ?」
「ああ……これは“貸し”とは思わん。何時か……必ずな」
「ふん……じゃあな」
此処での二人の闘いは、取り敢えずは避けられたが、宿敵同士である事に変わりはない。
時雨が立ち去ろうとする、その時だった。
「ちょっと待って!」
悠莉が時雨を呼び止めていた事に。
「はぁ?」
これには時雨も怪訝そう。もう用は無い筈――と振り向いた。
「ごめんなさい……そして――」
珍しく素直に頭を下げる悠莉。それはこの場での事を、無かった事にしてくれた時雨の配慮に対してか。
「ありがとう“時雨お兄ちゃん!”」
「ちょっ!」
――も束の間、悠莉の『お兄ちゃん』発言に時雨はおろか、幸人まで吹き出した。
「いきなり変な事言ってんじゃねぇ! そう言うのはほら、アイツに……」
途端に頬が赤く染まっていく時雨。彼も満更では無いらしい。焦る処がまた幸人と同レベルか。
「えへへ~」
「……もう何でもいいや、じゃあな!」
構わず悪気の無い、満面の笑みを向ける悠莉から逃れるかのように、強制的に打ち切った時雨が室内からその姿を消したのだった。
「あぁ~行っちゃった……」
「ククク……」
残念そうにしている悠莉に対し、幸人は堪えきれず微笑を洩らしていた。
“あの焦った顔”
時雨の意外な一面が垣間見れて、可笑しくて仕方無いのだろう。
「でも良かったね。話が分かる人で~。ボクてっきり、何もかもいい加減な人だと思ってた」
悠莉は幸人へと振り返り、そう笑顔を見せた。泣いたり笑ったり、感情の起伏が激しい所がまた彼女らしい。
「まあ、根は悪い奴じゃない……良い奴でもないが」
そう咳払いを一つ、真顔に戻った幸人は眼鏡を掛けながら、そう時雨の事をフォロー。即座に銀から黒へと戻る。
宿敵で在りながら、根本から嫌悪している訳でもない。寧ろ親友悪友に近いノリ――とも取れた。
そんな幸人の下へ悠莉は近寄り、その胸元へと抱き付く。
「幸人お兄ちゃん……あの人とは、何時か闘うの?」
それは不安。この場は収まったが、円満解決と言う訳ではないから。
「アイツとはどんな“形”であれ、何時か決着を付ける。いや“付けなきゃならない”んだ……」
幸人ははっきりと肯定の意思を伝えた。それは御互い揺るぎない――譲れない意地か。
「でも~“殺し合い”とかして欲しくないよ……」
先程まで笑みが戻った悠莉の表情が、また曇り始める。彼女としては二人に仲良くして欲しいが、そうもいかない事に。
闘えばどっちにしろ、御互い只では済まないのは明らかだからだ。
「何も“死”だけが決着ではないさ」
そんな悠莉を幸人は意味深に、掌をポンと彼女の頭に乗せながら伝えた。
「うん……?」
悠莉にその意味は分からなかったが、少なくとも『闘わずに済むかもしれない』と――。
「帰ろうか? 今日の事は何も心配するな……」
「うん!」
何時までも此処に長居する訳にはいかない。誰かが見廻りに来る可能性も有る。
今は考えなくていい――二人は共に室内から姿を消す、その時だった。
「オ~イ――」
壁の向こうから聞こえる声。
“見廻り!?”
と思う間もなく――
「オレを忘れんな!」
声と言うより、それは鳴き声。
「あっ!」
二人は顔を見合わせ、そして苦笑した。
室外通路に取り残されたジュウベエの事を、二人はすっかりと忘れていたのだ。
************
――穏やかに流れていく日々。それからというもの、二人は殊更仲良くなった。
特に幸人の方にわだかまりは消え、診療所でも騒ぐ悠莉を暖かく見守っていた。
『ボクは将来、幸人お兄ちゃんのお嫁さんになりま~す』
診療所に訪れた人に交わされるこんな冗談も、幸人は否定も肯定もせず、ただ穏やかに――。
悠莉が此処に来てからというもの、雰囲気そのものが殊更明るくなった気がする。彼女目当てに診療所に足を運ぶ者もいる程だ。用と言う用は無くとも。
幸人を手伝う訳でもないが、名実共に如月動物病院のマスコット的存在になっていたのだ、ジュウベエとセットで。
――相変わらず、世間では凶悪事件や募る恨みが絶える事は無い。
『“俺”が引き請けよう――』
依頼の度に幸人は悠莉の代わりに、己が率先して請けるようになった。
それに対して琉月も、最初こそ怪訝に感じてはいたが、今では憚る事もない。
御互いに“悠莉をSS級へ”の御題目等、もうどうでも良いのかもしれない。
在るのは『悠莉が幸せで在りさえすれば』と言う想い。大人の都合で子供を巻き込むのはどうか。
今更ではあっても――
“汚れ役は俺達だけでいい”
「うん? どうしたの幸人お兄ちゃん、ボクをまじまじと見ちゃって」
――昼下りの自宅居間内。昼食後の寛ぎ中にて。
「いや……何でもないよ」
“これで良いよな……姫紀?”
それは悠莉と瓜二つの、今は“逢う事の無い”少女への想い。
例え過去は変える事も、戻る事も出来なくとも――
「もう~恥ずかしいよ幸人お兄ちゃん」
「……さて、仕事に戻るかな?」
「あぁ~ボクも行く~」
今度こそ守り抜いてみせる――と。
そんな何気無い“日常”の昼下りの事。
季節は師走。今年ももうすぐ終わろうとしていた。
※四の罪状 “終”
~To Be Continued