4~5日前、杏樹は優弥にこう聞かれた。
「海と山どっちがいい?」
杏樹は迷わず『海』と答える。
「じゃあ今回は砂浜のある海にするか。せっかくだから一泊で行こう」
優弥の一言でドライブは一泊の旅へと変わる。
そして土曜日、杏樹は優弥の車の助手席に座っていた。
今二人は南伊豆を目指して高速道路に乗っていた。
「砂浜のある海って言うから湘南辺りだと思ってた」
「ハハッ、それだと日帰りで行けちゃうよ。でも一泊だとゆっくり出来るな」
「うん。私も久しぶりの旅行だから嬉しい」
「最後の旅行はいつ?」
「去年の2月だったかな? 美奈子先輩と箱根に行ったきりよ」
「そっか……俺は去年の秋東北の温泉に行ったのが最後だなぁ」
「誰と?」
「一人旅」
「本当?」
「本当だよ」
「なんかあやしい」
「マジだって。なんなら旅館に行って宿泊名簿を調べてもいいぞ」
そこまで言うのだから本当なのだろう。そこで優弥がボソッと呟く。
「一緒に行きたいような相手も特にいなかったしなぁ…」
(え? って事は私とは行きたいと思ってくれたの?)
杏樹は嬉しくなる。しかし照れを隠すように話題を変える。
「今日はどんなところに泊まるの?」
「海が目の前にある素敵な和風旅館だよ」
「海の近くならお魚が美味しそう」
「うん、料理も評判の宿だから期待出来るよ」
それを聞いてますます楽しみになる。
高速を降りて一般道を走り始めると左手には海が迫っていた。穏やかな海は海面がキラキラと輝きとても美しい。
二人は途中海鮮料理の店へ入り刺身定食を食べた。刺身はどれも新鮮で美味しかった。
「あーっ、お腹いっぱい」
「夜も海鮮だけど大丈夫か?」
「お魚好きだから問題ないでーす。副支店長は大丈夫ですか?」
そこで優弥が杏樹をチラリと見て言った。
「そろそろその『副支店長』呼びはやめないか?」
「え? でもこの呼び方落ち着くし…」
「なんか仕事中みたいで俺は落ち着かないんだよなぁ。この際いい機会だから変えるぞ。杏樹の好きな呼び方でいいから呼んでみろ。もちろん下の名前で頼むよ」
突然そんな事を言われたので杏樹は戸惑う。そしてとりあえず無難な呼び方で呼んでみた。
「優弥さん?」
「うーん、なんかよそよそしいなぁ」
「でもいきなり呼び捨ては無理です」
「じゃあ他に考えて」
そこで杏樹は頭をひねる。そして適当に思いついた呼び方を呟く。
「優ちゃん、優君、優たん、優ぽん、ゆーやん……それからえっと……」
そこで優弥がプハッと噴き出した。あまりにも可笑し過ぎて笑いが止まらない。
「ふっ腹筋が痛い……杏樹は俺を殺す気か?」
杏樹はキョトンとしていたが再び頭をひねる。しかしそれ以外に思いつかないので降参した。
「なんかどれも変よね?」
「一番しっくりくるのは?」
「ゆう…や……かな?」
「はい来たー、よしそれで行こう」
「はーい」
杏樹はしぶしぶ了承する。
「じゃあ練習で言ってみようか?」
「ゆっ、ゆうや」
「はい、もう一度」
「ゆう…や」
「はい、繰り返して。こんなの慣れだよ慣れ」
「ゆうや……」
「いいねぇ馴染んできた。ラストもう一回」
「ゆうや!」
「よしっ、オッケー! あ、でもベッドの上ではたまに『副支店長』呼びを頼むよ。あのプレイは燃えるからなぁ」
優弥がニヤッと笑って言ったので杏樹は顔を真っ赤にして優弥の腕を思い切り叩いた。
車は一度海岸沿いを離れて内陸部の道を進む。しばらく進むと再び左手に海が見えてきた。
弧を描くような白い砂浜の向こうにはエメラルドグリーンの美しい海が見えた。
「うわぁ綺麗…エメラルドグリーンの海よ」
「ここならシーグラスもありそうだね」
「うん、あると思うわ。それに貝殻も。ねぇ、砂浜に行ってもいい?」
「もちろん」
二人は駐車場に車を停めるとすぐに砂浜へ向かった。
杏樹が足元を取られながら歩いていると優弥が手を差し出したので杏樹はその手を握る。二人は手を繋いで波打ち際のすぐ近くまで行った。
目の前に広がるエメラルドグリーンの海、そしてその上には真っ青な空が広がっている。
海から吹いてくる潮風が心地良くて二人は同時に大きく伸びをした。
「運転お疲れ様でした」
「どういたしまして。海はやっぱり気持ちいいな」
「うん。それに凄く空いてる。誰もいないわ」
「伊豆半島の先端だし途中道が途切れているからなかなかここまでは来ないんだろうなぁ
「ひっそりとしていてプライベートビーチみたい」
杏樹は早速シーグラスを探し始めた。この時の為にちゃんとビニール袋も持ってきている。
杏樹が屈んで探し始めると優弥も一緒に探し始めた。
しばらくすると杏樹が「アッ」と叫ぶ。
「あったか?」
「ううん、可愛い貝殻がいっぱいあってびっくりしちゃった」
杏樹はご機嫌な様子で一生懸命貝殻を拾っている。思わず優弥の頬が緩む。
そして優弥も探し始めた。
10分ほどすると今度は優弥が叫んだ。
「おっ!」
「あった?」
「あった。これそうだよな?」
優弥は手のひらに載せた物を見せに杏樹の傍まで来た。
「そう、これこれ! うわぁ、淡いグリーン色の綺麗なシーグラスね」
「ほら」
「ありがとう、いつも貰ってばかりだわ。今日こそは絶対に自分で見つけたいなぁ」
杏樹は再び探し始める。
杏樹が必死にシーグラスを探している間、優弥は綺麗な貝殻をいくつか拾う。
手のひらに載った砂のついた貝殻を見ながら思わず優弥が微笑む。こんなデートは初めてで新鮮だった。
屈んで砂浜を見つめる杏樹の横顔を見ながら優弥はこう思った。
(杏樹は今必死に宝物を探しているけど、俺は一足先に一生涯の宝物を見つけたよ)
その時杏樹が叫んだ。
「あ、あった」
「本当か? どれどれ」
杏樹は誇らし気に手のひらに載った淡いブルーの美しいシーグラスを優弥に見せた。
その後二人は大きな流木に並んで座る。杏樹は目的の物を沢山拾ったのでご機嫌だ。
しかし優弥はなんとなくいつもより口数が少なくなっていた。
(どうしたんだろう?)
杏樹がそう思っていると突然優弥が立ちあがる。そして杏樹の前にひざまづき右手を差し出した。
「桐谷杏樹さん、私と結婚して下さい」
「…………」
突然優弥からプロポーズをされたので杏樹はびっくりして言葉を失う。
「杏樹?」
「えっ? ま、まさかプロポーズの為に旅行を?」
「もちろん」
そして優弥は杏樹に聞いた。
「杏樹、返事は?」
「えっと……なんか突然でびっくりしちゃって」
「プロポーズを前もって予告する奴はいないだろう?」
「そ、それはそうだけど」
「そうだけど?」
「今頭が真っ白で……まさかこんな事になるなんて、こ、心の準備が……」
「まさかNOはないだろうなぁ?」
そこで杏樹は首をブンブンと振る。そして緊張のあまり乾ききった口をなんとか開く。
「えっと…だから……」
「だから何?」
突然優弥が職場での上司モードになったので余計に焦る。
「だ、だから……」
「あーこの姿勢きっつい。足が痛くてつりそうだ…つったら運転出来なくなるぞー」
「ちょっ、ちょっと待って…わかったわ……じゃあもう一回言って」
「二度もプロポーズさせるなんて贅沢な奴だなぁ……じゃあ行くぞ?」
そこで優弥はもう一度姿勢を正して言った。
「杏樹、俺と結婚して下さい」
「はいっ、よろしくお願いします」
杏樹は頬を赤く染めたままペコリとお辞儀をすると優弥の差し出した右手を掴んだ。
すると優弥はホッとした様子で微笑む。
そして杏樹の手を握ったまま一緒に立った。
優弥は右手を上着のポケットへ突っ込むと中からリングケースを取り出した。それを杏樹に渡す。
「え? これって?」
「杏樹のだ。開けてごらん」
「う、うん…」
杏樹が緊張気味にリングケースを開けると、そこにはハートシェイプのダイヤのリングが輝いていた。
「素敵! ハート型だわ、可愛い」
「これを見た時ピンときたんだ。杏樹に絶対似合うってね」
その言葉に杏樹の胸がズキンと疼く。
優弥が杏樹の事を思いながら真剣に選んでくれた指輪。それも立派なハート型のダイヤだ。気に入らないはずがない。
「ありがとう。すごく素敵!」
「気に入ってくれて良かったよ。つけてごらん」
優弥はリングケースから指輪を抜くと杏樹の左手の薬指にはめる。ハート型の美しいダイヤモンドは杏樹の指にとてもよく似合っていた。
「本当にありがとう」
「どういたしまして。これから末永くよろしく」
「はい、こちらこそ」
二人は見つめ合うと互いに引かれ合うように唇を重ねる。
優弥の優しいキスを受けながら、杏樹は頬を撫でる海風と心地良く耳に響く波の音、そしてほんのり香る潮の香りを一生忘れないだろうと思った。
コメント
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優弥さん、杏樹さんご婚約おめでとうございます!先に婚約してたミナコ先輩より先にゴールインしそうだね〜。幸せになってね!
キャァー🩷🌊海でプロポーズ💍✨なんて素敵(*´艸`*)✨優弥さん、杏樹チャン、ご婚約おめでとうございます👏✨🥰
サプライズのプロポーズ🎵 指輪は、元町のあのジュエリーショップでしょうか😊 幸せになってね🩷