「ん………」
ゆっくりと瞼を開ける。
目を擦って、布団の上を転がった。月光を浴びる。
ふと横に視線を移すと、太宰が居ない事に気付いた。
「…ッ………だ、ざい…?」
俺は肘と膝を付いて四つん這いになる。寝起きな所為で、上手く躰が動かないのだ。
刹那、縁側の方から、とぽとぽとぽ、と音が聞こえる。
俺は横に視線を移した。目が一瞬にして冴える。
其処には────縁側に座る太宰の姿があった。
「…………太宰?」
俺の声に気付いて、太宰は振り向く。
「おや、起こしてしまったかい?済まないね」
苦笑じみた、けれども優しい笑顔で太宰は云った。
手には猪口(チョコ)が握られており、反対の手には瓢箪(ヒョウタン)が握られている。
「何、呑ンでるンだ?」
目が冴えた俺は起き上がって、太宰の元へ歩く。隣に座った。
「日本酒……………お酒を呑んでいるのだよ」
俺の質問に太宰は答える。
俺は猪口の中を覗いた。透明な液体の水面に満月が映り、揺らめく。
「酒って…………結婚式とかで呑むやつか?」
「そうだね、中也は呑んだ事ある?」
「ねェよ、それに酒は貴重だから大切な行事とか儀式にしか使わねェンだ」
「へぇ、如何りで毎回供物に大量の日本酒が添えてあると思ったら………」太宰は俺に視線を移し、苦笑する。「君の村は“キマリゴト”が多くて大変だねぇ」
「……まぁ、そんな悪いトコじゃねェよ………」
俺は膝を立てて両脚を抱え、呟くように小さな声で云った。
「そう……」
太宰は何処か興味なさげに云った後、「君の事を殺そうとした癖に」と呟く。
聞こえない程の大きさの声は、何故か俺の耳にはっきりと響いた。
ワザとか、其れとも偶然か。
何方にしろ、俺は何も云えなかった。
「………………」
「………………」
沈黙が続く。
太宰は猪口に入った酒を飲み干し、瓢箪を傾けた。
とぽとぽとぽ、と云う音を伴って、太宰は猪口に酒をつぐ。
水面を波立たせながら、透明な液体は猪口の中で膨らんでいった。
「それ……美味いか…?」
俺は太宰の方に視線を移しながら聞く。
美味しいよ、と太宰は酒を一口呑んで答えた。
ふーん、と俺は呟く。
「試しに呑んで見る?」
太宰が聞いてくる。其の言葉の弾みには、冗談半分のような感じが混じっていた。
「いいのか……?」
「別にいいよ。此処はあの村じゃあないしね」
そう云って、まるで太宰は取れとでも云うように、俺の目の前に酒が入った猪口を出す。
良いのか心配になったが、呑んでみたいと云う思いには勝てなかった。
「じゃ、じゃあ………」
好奇心を原動力に、俺は手を伸ばす。
刹那、太宰が何かを思い出したかのように「あっ!」と声を上げた。
俺は驚いてびくりと躰を揺らす。
伸ばした手を宙で止めながら、何だ?と聞いた。
「矢っ張り駄目」
太宰が俺から猪口を話す。
「はぁ!?何でだよ、呑ませろよ…!」
急に駄目と云われた事に、俺は反抗する。猪口を取ろうと前に出た。
「駄目だよ、この年頃から呑んでたら彼“みたい”に酒の事しか考えられなくなる……」
そう云いながら、太宰は俺から猪口と瓢箪を離す。
“彼”……?
俺は目を丸くして、動きを止めた。
仕方無く縁側に座り直し、太宰に云う。
「呑んで見る?って聞いたの手前だろ?」
太宰は俺の言葉に口をつぐむと、
「………中也はまだ“子供だから”」
あと小さいし、と呟き、
「桃でも食べてい給え」
と云って、俺の方に小綺麗な形に切られた桜桃を寄せる。
太宰が呟いた『あと小さいし』と云う言葉に、俺は苛ついていた。
「大人になったら手前の身長越してやるっ……」
そう云って、桃を食べる。
「中也が…?」
目を丸くして聞いてきた太宰に、俺は「嗚呼」と答えた。
其の言葉に太宰はクスリと笑う。
「そうだねぇ、なら君に呪いをかけてあげよう。君が大人になっても対して身長が伸びない呪いだ」
「腹立つ呪いかけんなっ!!」
「ふふっ、でも君の事だ。若しかしたら彼“みたい”に160糎(センチ)で止まるかもしれないねェ」
「そんな小さくならねェよ!絶対手前の事越えてやる!覚悟しとけよ太宰っ!!」
「其れは楽しみだ、160糎で止まった時の中也の顔が目に浮かぶよ」
俺を莫迦にしながら太宰は云う。羞恥心を抑え込みながら、太宰を睨んだ。
桃を食べる。
再び沈黙が俺達を襲った。
「………………」
顔をしかめる。
何時もなら甘い桃は、吐き出したい程に不味かった。
彼。
彼。彼。
彼。彼。彼。彼。
彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。彼。
太宰は俺と話す時、その言葉を云う。
“彼”が誰を指しているのか、俺は知らない。
只、“彼”の話をしている時、太宰はとても嬉しそうなんだ。嬉しそうで、そして幸せそうで。
けれど、太宰は“彼”の話をしている時、其の“彼”が、まるで目の前に居るかのような目をする。
俺しか居ないのに。
太宰が云う“彼”が、まるで目の前に居るかのように彼奴は話して。
そして──────────。
太宰は何時も、その目で俺を見る。
ソレが如何しても気持ち悪くて、俺は嫌いだ。
***
山の麓に、或る村があった。一つの家の庭に、男が立っている。
視線の先には立派な桃の木があった。
まるで子供に愛情を注ぐような眼で、男は優しく桃の木を撫でる。
然し何かに気付いたのか、目を丸くした。
男は疑うような表情をする。
『パパ!なにしてるの?』
家の中から、七つばかりの少女が聞いてきた。
少女の声に男は振り返る。
『何でもないよ』
優しい笑顔で云った。
男は少女の父であった。
『ねぇ、わたし桃たべたい!』
無邪気な表情で、少女が鈴のような声を響かせる。
『もう少し熟してから食べようね』
少し苦笑して男は云った。少女の頭を優しく撫でる。
『二人共、夕餉(ユウゲ)の用意ができましたよ』
玄関から柔らかな笑顔を浮かべた女性が、二人に云った。
女性は男の妻であり、少女の母である。三人は家族なのだ。
『やったぁ!ご飯ご飯っ♪』
足を弾ませながら、少女は家の中へと這入って行く。
妻は其れを見て微笑した。
『あら貴方、如何かしました?』
未だに桃の木を見つめ続ける夫に、妻が声をかける。
『いや………少し変だなぁと思ってね』
夫が呟いた。妻は首をかしげる。
『変、ですか?』
妻は夫の隣に立って、同じように桃の木を見つめた。
異変な部分を探しているのだ。
『おかしい所等、特に在りませんよ?』
夫の顔を覗き込むように、妻が云う。夫は地面に視線を落とした。
『そうだよな、少し変だと思ったが──』
──────────きっと、気の所為だ。
***
「ッ…!ゲホッゲホゴホッ!ゲホッ!!」
ある日、太宰が強く咳き込んだ。
「大丈夫か…?」
顔を曇らせながら、中也は聞く。
うん、大丈夫、と太宰はニコッと笑って云った。
「風邪か…?熱でもあるンじゃねェの?」
そう云って、中也は熱があるか確かめる為、太宰の額に触れようと手を伸ばす。
「だ、大丈夫…!」
太宰は中也から離れて云った。まるで中也が自分の躰に触れるのを拒否するように。
「……?」
中也は首を傾げた。
ニコッと太宰が笑顔を作る。
「大丈夫だよ」
──────────きっと、気の所為だ。
然し、太宰は咳き込む事が多くなり、顔色も悪くなっていった。
明らかにオカシイ。
其れは中也も感じ取っていた。
けれど太宰は、其れを紛らわすように、笑顔を作り続けた。
***
「………………」
私は自分の掌を見る。そして、何かを堪えるように握り締めた。
拙いな……。
一つ、深く呼吸をする。
ゆっくりと立ち上がり、中也の元へと向かった。
「中也ー」
声を張りながら、辺り見渡して私は中也を探す。
足音が奥の方から聞こえてきた。
「如何した?」
私の呼びに中也が歩いて来た。私は中也に気付かれないように笑顔を作る。
「桜桃をとって来てくれないかい?」
「はぁ…?桃なンて朝食ったばかりだろ?」
「そう云う気分なんだ、頼むよ」
「ったく、しょうがねェなァ……」
中也はそう云って、台所から籠を持って玄関の方へと歩いて行った。
縁側へ移動する。中也を見送る為だ。
「二三個で佳いか?」
声を張って、庭から中也が云ってくる。
私も同じように声を張って「出来るだけ大きいのでね」と云った。
「はいはい……」
適当に返事をして、中也は私に背を向ける。
中也の姿が見えなくなると、私は、ふぅ……と吐息をして、表情を元に戻す。
顔にびっしりと汗が浮き上がった。
刹那──────どくん、と鈍い鼓動が体中に響き渡る。
それは、何かの合図のようなものに聞こえた。
視界が黒に侵食されていく。
躰の力が抜けた。視界に入る全ての景色が横に回る。
私は縁側に倒れるように座り込んだ。
ドサッ!
振動と、柱に躰が当たった痛み、服の擦れる音が耳に響く。
何時もなら鼻腔を擽る杉の匂いは、何故か感じられなかった。
「はぁ……はぁ……は…………」
肺が大きく膨らむ。けれども浅い呼吸だった。
私は其れを何度も繰り返す。
息が白くなり、躰は燃えるように熱い。何処からか汗が出てきた。
躰が思うように動かない。
其の瞬間───────────どくん。
再び、あの鈍い心臓の音が、体中に響き渡った。
心臓の痛みは無かった。苦しみと痛みは無かった。
然し、何故か一気に心拍数が上がった。
目を見開き、縁側の上に横になる。自然と躰が倒れたのだ。
大きく開いた目に景色は映らない。黒に侵食されていった。
心臓の音は鈍く、けれども何故か耳から籠もって聞こえ、まるで自分では無い誰かの鼓動を聞いている感覚に陥った。
先程の浅い呼吸とはちがって、荒くなっていく。
「ハ、ハァッ………ハッ───ヵヒュッ────ヒュー、ヒューッ」
口は全くもって動かず、咽喉(ノド)の奥から息を吐き出しているようだった。
笛のような音が聞こえる。
疾く波打つ鼓動と、笛のような呼吸音のみ耳に響き続けた。ソレは徐々に大きくなっていく。
見開いた眼は小刻みに揺れた。
激しく肩で息をする。
「ヒュー、ヵヒュッ──ヒュ────カヒュー──ッ」
大きくなり、疾くなる鈍い鼓動。ソレを聞いているだけで、頭がオカシクなりそうだった。
この儘止まらなかったら?
この儘死んでしまったら?
頭だけは妙に働いていた。
まるで信号を送る脳と、その信号を受け取る躰────其の間の電子空間が何かに遮られたような感覚。気持ちが悪かった。
死への恐怖は微塵も感じなかった。
只、君を置いて逝ってしまう事に対して、私は強い恐怖を抱いた。
──────止まれ。
同じ事を何度も願った。
そして、君の名を呼んだ。
投稿遅くなってごめんね〜!
あと、関係者募集してます!
気軽に声かけてね!
コメント
27件
よーし!太宰さん!私が中也を連れてきてやろu(( 今回も神作だネ❗️おぢさんすっごく尊敬しちゃうナ❗️(おぢさん構文でごめん☆)
ちょっとだけ覗きに来ました!今回も最高でした!良ければ関係者になりたいです…!